訳出時間枠:57分05秒から最後まで
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聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、改革派神学基礎教理を学ぶ。
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「彼は徹底的に抑え込まれ、ひどく苦しんでいた。しかし、口を開くことはなかった。ほふり場へ連れていかれる子羊のように、毛を刈る人の前で静かにしている羊のように、彼は口を開かなかった。抑圧と裁きによって彼は取り去られた。私の民の罪のために、生ける者たちの土地から切り除かれたと彼の時代は思った。彼らにとって、その一撃は当然だったのであろうか。彼の墓は邪悪な者たちとともにあてがわれた。しかし、死の中で、彼はひとり裕福な人とともにいた。何故なら、彼は暴力を行なわず、彼の口には欺きがなかったからだ。」
これが従順な身代わりであります。
傷だらけの身代わりは、十分な身代わりとなり、従順な身代わりとなり、主権を有する身代わりで終わるのであります(10節)。
それがどのように流れていくのか見ていきましょう。
「主はご自身の時代を長くするであろう。」
これは復活のこと。
「主の喜びは、彼の手の中で反映するであろう。」
ご自身の魂の苦悩の結果として、彼はそれを見て満足する。
彼の知恵によって、義なるお方、私のしもべは多くの人を義とするであろう。彼が彼らの罪を担うからだ。それ故、私は、その偉大性ゆえに、彼に一部を割り当てる。彼は、その力ゆえに、戦利品を分配する。」
これが完全なる勝利。
何故から、彼が罪人に数えられたからであり、彼が多くの罪を担ったからであります。
この章全体について最も素晴らしいことは何でしょうか。
それは過去の時制にあります。
拾い上げることができましたか。
十字架の数百年前に書かれた預言であります。
彼は神によって打ち叩かれた。
彼は突き通された。
彼は激しく罰せられた。
彼は抑圧された。
彼は痛め付けられた。
すべて過去形です。
どういうことか。
この章全体は壮大であります。
この章全体は、ユダヤ人の展望に由来しています。
十字架の後、将来において、キリストを振り返って真理を知るのです。
ゼカリア12章10節に何と書かれていましたか。
「彼らは私を見て、私のために悲しむであろう。彼らは刺し通された私を見上げるであろう。」
イスラエルの拒絶によって将来生じるであろうこととは、イスラエルの救いであります。
単にイスラエルの救いではなくて、異邦人の救いです。
誰でも十字架を振り返って、そして真理を知るのです。
清めの泉は人々に開かれる。
「あなたがたは私を拒絶し、刑罰へと入る」と言うことによって、イエスの人生と宣教活動は最高点に達する。
それから、そばにいる弟子たちには次のように言います、「しかし、問題はない。何故なら、私はイザヤ53章を成就させる。そして今この時から多くの魂は振り返る。振り返ってイザヤ53章から十字架の事実を知り、それを信じて受け入れる人は救われる。」
私たちの父よ。天に無数の星があるように、われらのキリストの栄光ある無数の事実に関して、心より感謝申し上げます。主の人生のひとつひとつが眩いほどの光を放ち輝いています。主の栄光ある御業は数知れません。主の荘厳と栄光のわずかの光を私たちは只々拾い上げるのみであります。われらの主を愛していることをここに断言しようと思います。あなたが最初に私たちを愛して下さったので、私たちもあなたを愛することができるのです。私たちの冷淡で無頓着な心をお赦し下さい。心を尽くして、思いを尽くして、力を尽くして、われらの主イエスキリストを愛するようになりますように。私たちが振り返り、主の事実を正しく理解できる者たちの中にあることは何という特権でありましょうか。このご恩寵に感謝します。キリスト尊き御名によって、すべての栄光をあなたに与えることができますように。アーメン。