書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

syuun の不思議な少年時代 その11

2007-07-09 14:54:17 | 世の中妙な??事ばかり
学習塾の場所は、町名変更の時になくなってしまった公民館の奥の路地にあった。それもなんとかやぶき屋根だった。
こんなかやぶき屋根の家、当時でも田舎に行かなければ見ることはなかった。
まして、街の中心部だ。考えてみれば戦争の空襲でここだけ焼け残ったのだろうか‥‥そんな家だった。
塾と言えば、それなりの学校の復習でもしてくれるかと思ったら、自分が持っていた教科書で分からないところがあったら聞けというものだった。
しかし、そんな質問をどんどんするような塾の生徒なら塾に来る必要もない。
それで毎回、教科書を持っていって学校宿題をする自習だった。
何ヶ月か経った後に、同じ塾の友達と「先生、黒板で教えるような‥‥‥」ことをやってくださいといった。
先生もそうかそうか、と言いながらそれから2-3回はやったが、説明がマズイというか、文章体では説明されてもよく分からなかった。
そのうち、来ていた友人が一人、二人と来なくなり、2-3人となった頃又2-3人増えてと言った具合。
その中には、後に中学3年間と高校の3年で同じクラスになるKT(後・東工大・工博)が来たとがある。
地方銀行の支店長の息子で、当時は歯の矯正の金具をはめていた。それは何だというと、これは実は随分お金がかかったのだ。
あんた達には、金がないからやろうと思っても無理だろうけどね‥‥とうそぶいていた。
彼がいたのは1か月だった。

そして、5年の時には、朝6時からなどと冗談を言ったら、本当に朝6時から塾に行くことになった。
しかし、学校に行く前に塾に行くほどつらいものはない。
結局、そのまま止めてしまった様な気がする。

自分の家での生活は、兄はもうとっくに前橋高校の高校生だった。
この頃兄は、勉強をしているかと思えば、本‥‥世界の文学‥トルストイとか‥を読みあさっているか、半田ごてをもって何やら作っていた。
中学時代は、オリジナルのラジオを作っていたが、この頃は、オーディオアンプだったらしい。しかし、完成したのかどうか分からない。
高校生から見れば、小学生の弟はうるさいだけで何の役にも立たない。
一方、弟から見れば小学校5年の夏休みに、1mもあるブラジル丸という商船の模型(木製)を作った兄だった。

もっとも、学校から帰ってきて、「西わき」という空き地に行って、暗くなるまで家に帰らなかった。
子供には、色々な遊びがあった。

秋の運動会‥‥これは結構豪華なものだった。
この頃は、まだ棒倒しも、玉転がしも騎馬戦(今もある)何でもあった。いずれにせよ、徒競走で始まり、最後に5-6年生のリレーで終わった。
しかも、クラス対抗だった。
今でもある一本松の周りを回ってのコースは今はない。昔は校庭が広かった。
運動会など、別にどうと言うことなく終わる。

スペリオパイプ‥‥縦笛だが、これは3年生くらいからやらされたものだ。
それが、5年くらいから急に学校に鼓笛隊というものが作られるようになった。
NY先生は、小学校の唯一の音楽教師だから急に指揮者になった。
そして、なぜかクラス委員のもう一人TKが鼓笛隊の重要メンバーになった。

以下 つづく‥‥

光ケーブルの発明者なら何でもごもっとも‥でも‥‥

2007-07-09 14:52:18 | 新聞社説・正論・主張を読み解く
西澤先生と言えば、光ケーブルの発明者として有名だが、なぜかノーベル賞は貰っていない。
特許は審査されずにお蔵入りになったから、日本では光ケーブルの特許はとれず、コーニング社も製造特許だけ。
但し、その周辺の重要部分……光ケーブルを接続するとか、読み出しとかは西澤教授が特許を取っているはず。
だからそういう沢山の特許使用料を集めて、東北大学に先端技術の研究所を作ったのではなかったろうか。
いずれにせよ、我々世界のIQ100の人間とは訳が違う。
まだ東北大学で現役教授だったころ、大学院学生の理論について、もしそうだとすると、……‥になるはずがない。‥‥厳しく指摘していたのを覚えている。
「覚えたことの中になくても、既得の知識から推定ができる。だから基礎的なことを頭に入れ、よく考えて他の知識とつないでおくことである。」と言うことの実践であろうと思う。

しかし一方で思ったのは、西澤先生も歳を取ったなぁ~と思う。
なぜなら、西澤先生自らが指摘しているように、「実験もできていない研究に研究費などだせるか」というNTTの研究者そのものだからである。
技術とか言うものは、常識の外にあることが多い、それをその時の常識の範囲に限定使用するために結果として成果を見逃す。
その典型例が、東大という大学だ。
東京大学というのは、高校時代までの「暗記勉強中心」の勉学によって入学する。
だから、「平成教育委員会」などで東大出のタレントが良い点を取ったりする。
ならば彼らに良い研究が出来るが、又は何か生み出せるかと言えばほとんどNoに近い。
なぜなら、記憶ロボット、受験ロボットだからである。
だから、東大は官僚を養成する大学と言えば、過去の記憶、前例を基にする方法は、官僚に合致する。

しかし、実際のところ技術の分野、創造性というのは、高校時代までの「暗記勉強中心」の勉強とはあまり関係がない。
暗記の能力が高い人はその他の能力が高い場合が多いが、「暗記勉強中心」の勉強ばかりすると創造性が発揮できないらしい。

実は、東大生の過半は、中学生くらいまでに知識を集約して覚えさせ、その後の受験テクニックによって出来た所詮試験ロボットにすぎない。
これは、自らの創造性を犠牲するばかりである。
それでも、東大出には研究成果が有るではないかという。
ところが実際は、駅弁大学や他の大学からの「血液補充」によって存在しているに過ぎないのだ。

‥‥‥「日本の創造的研究を進めるとき、まず多くの高官が海外に研究を視察に行き、日本でも同じことを始めるという。」
東大出の官僚や、成り上がって学者の考えそうなことだ、日本も馬鹿学者にはそろそろ引導を渡すべき時に来た。
‥‥でも渡す人がいない。

老人介護の自己負担と税金との関係 ニュース記事に関連したブログ

2007-07-09 14:50:37 | 新聞社説・正論・主張を読み解く
社会保障カード」は、米国ではこれで納税の番号も全てまかなっているのだったと思う。
日本は、その代わりに「住民基本台帳ネットワーク」というものを導入したはずだがなぜか反対が多い。
確か、あの田中康夫元長野県知事もそうだった。
ところが、住基ネット情報というのは、住所、氏名、生年月日など住民票と同じものだから大した情報とはいえない。
これを使えば、不動産登記‥‥特に個人が行う住所移転の表示変更など簡単にできて便利なものだ。
経費の節減という観点なら、「社会保障カード」は「住基ネット」を使うのが妥当だろう。
住基ネットに参加していない自治体があるといっても、住基ネットより広範なデーターを扱う「社会保障カード」は、住基ネット反対の自治体は必ず反対するだろうからだ。
そういうところは、抜かしてしまうというのも結果として仕方がない。

一方、朝日社説は、介護福祉士のホームヘルパーの時給を上げよと言っている。
厚生労働省の試算だと、ヘルパーの時給は1210円。全産業の平均時給より600円近く安い。」と言っている。
ガストのパートのバイト代が時給880円-980円、首都圏だと時給850円-1063円。
これから見ると、時給は極端に安くないが、ヘルパー宅への移動時間等を考えると実働時間が少なくなる関係から手取りは良くないだろう。
朝日新聞社説は、介護報酬の人件費の給与水準を保証、それが出来ない場合は税金投入という。
ところが、財政赤字に悩む国としては無い袖は振れないから、朝日も「所得の低い人に配慮しつつ、保険料や利用料を引き上げる必要があるかもしれない。」 <WBR>と逃げているが、事実上のばらまき福祉を推奨している。

この福祉に金を使えというのは、民主党などの主張なのだが、そのためには北欧並に間接税の大増税をしなければならない。
ところが、消費税の大幅増税は結局何も生み出さない。
そして、増税によって生み出されるのは、単なる老人介護や生活保護者、ニートの生活扶助などだ。
一方、それによって消費社会が破壊されるようにでもなれば、企業は業績赤字を積み増し、失業が増える。
それでも失業者に手厚く福祉が行き渡るようになれば、ますます生業たてて働く人が減る悪循環に陥る。

かって、増税論議の時、中曽根康弘氏が今後増税するかどうかは、皆さんが「老人介護」について、「国にやらせるか」、「自分でやるか」の選択で決まると言っていた。
今介護費用というものは一律だ(状況によって違う)と思ったが、介護報酬そのものを利用本人が直接業者に支払い、あとで補填する形式にすると利用するものの意識が高まって良いのではないか。
その場合、介護費用を多くして多様な介護形態をとることも出来る。

本来、老人介護というものは子供などの家族が行うべきものだ。
それが出来ないから、又はしないで社会に押しつけ目というのは、子供を社会で育てるという社会主義者の考えだろう。
やはり、老人介護には、保健、税金からでは無理がある。
各種の税制と勘案して、老人介護ももうてっぺん考え直す必要があろう。
老人介護をしている人には、減税をしても良いはずだからだ。

syuun の不思議な少年時代 その10

2007-07-09 00:11:27 | 世の中妙な??事ばかり

NY先生になってから、試験の成績は良いはずなのに、通知表には少しも反映されていないと思うようになった。
まあ人数が多くなったから‥と言っても5は10%だから大方男女3人ずつ。
結局成績は、4と3ばかりで3の方が多いと言うより3の中に4が混じる‥‥いや点在していると言うところだった。
まあ、5年での成績は諦めた‥‥将来に賭けよう‥‥‥とはいうものの茫洋としたものだ。

理科実験の頃から益々、首を潜めていたがたまに引っかかる時がある。
それは何かと言えば、先生の指示が聞こえず、周囲に聞いていたりする時だ。
「先生わかりません!!!」と言えれば良いが、大体そんな雰囲気ではなし、聞いても「聞いていないのが悪い」と言われるのが落ちだからだ。

それて、ちょっと聞こうとしたら「今喋った前にで出来なさい」と2-3回ぐらいやられたことがある。
教室の隅の教師の机のそば並べられたもの6-7人‥‥
但し、例のお気に入りは「あんたはよい」と‥‥席に戻る。

教師質問‥「静かにしろ」というTSの注意が聞こえたでしょう‥‥

ここで「聞こえた」と言えば、‥‥「なぜ聞こえたのに喋った」と追求。‥‥1
「聞こえない」と言えば、‥‥‥「喋っていたからも聞こえなかった」と追求。‥‥2

最後の方は、答えようがないから「黙り」を決め込むと‥‥「なんでもかんでも分からないことを」言い出す。‥‥3

追求の仕方は同じもので、一回目にヒッカッタ時は、2で対応したが、二回目は、3にした。
このとき、こう言ったものだ‥‥「あんなたの母親は学年代表をやっているけど、子供がこのざまじゃねぇ……」と
そのうち、エスカレートして逆上したか「母親を呼んでこい」とまで言ったのだ。

そういわれたから、一応母親に言ってみると、「困ったら行ってやるから‥‥」今回はそっとしておこうだ。
それでも酷くなって、一回は学校へ行って貰った。
何たって先生が「親を呼んでこい」と言ったからだ。
先生の言うことは絶対で、「言うことを聞きなさい」というなら、正確に報告すると言うのが生徒というものだねぇ。

それで、授業の休み時間に来て貰ったら、NY先生は「赤い顔」‥‥ほんとに紅潮したように真っ赤‥‥をして廊下に出て「何でもないのです」で終わり。
その後、もう一回来て貰ったことがあるが、それは5年の終わりに近づくころだ。

小生の頃、いわゆる学習塾というものはほとんど無かった。
ただ、小中学の学校の教師がやっている塾があると言えばあった。

子供だから、遠くには通えない。行ったのは学校の正門から50メートルも離れていないところだった。
もっとも3年-4年の頃には、絵の教室へ通っていた。
まあ有名な画家で高校の教師でもあったから、毎週日曜日の午前中だ。
これがつまらない。
行くと、何やら花瓶に花がさしてあって、これを描けと言う。
そして、適当に書いて、色も塗らないうちに時間が来て、そのスケッチを少し直して終了。
何だったのでしょうね‥‥‥

とこが、小学4-5年生なのに木炭デッサンとか、油絵とかを持ってくる児童がいるから驚きだった。
それを見た時、もう止めようと思ったものだ。
又、絵画教室に通うことになるのは、約20年後だ。
但し、洋画ではなく日本画。

近くの公民館では、珠算塾をやっていた。
ここには、毎日何十人という商業高校の女子学生や児童生徒まで集まって、座るところもないほどだった。
ある日そのにクラス委員のTSが現れて、突然習い始めた。
あんな程度のTSが出来るなら通ってみるかと行ったのがこの珠算塾。

正直言って、そろばんというのはなぜ出来るのか分からなかった。
何たって読み上げ算が早い。
それでほとんどが正解だ。
結局ついて行けなかった。ところがなんとTSは、最低のランクの級(5級?)を取りあえず取り始めた。
TSが止めた時、4級ぐらいは成っていたそうだ‥‥止めた理由。
何を言っているのか理解できなかった理由だった。

小生の方は、「西わき」で遊んでいて宿題を忘れ、「そろばん塾」へいって忘れましたと嘘をつく程度にしか使えなかった。
そういえば、当然「宿題を忘れるような『そろばん塾』は止めなさい」だ。
もっともその頃は、止めようと思っていた頃だ。

学校なんかつまらなくても、毎日近所の子と遊んでいれば、何の苦にもならなかったからだ。

一方、学校の成績が下がって心配したのは親の方。
父の昔の小学校の後輩だという、元商社マンの塾を紹介された。
ここが、正門から50メートルの場所だ。
その講師の先生は、前橋中学で3年(4年生、3年から飛び級で受験が可)で一高(第一高等学校)へ受かったという大秀才だった。‥‥一高、東大。
しかし、悪いのは「酒癖」。
出来すぎて、上司が馬鹿にみえ、酒乱だったから酒の席で上司を殴って退職したという。

会ってみると、普段は優しくて良い先生のだけどねぇ‥‥
酒を飲むと手がつけられないとは、それから何回か有ったことがある。
何やら酒を飲んでしまうと、今日ダメだ!帰れなどと怒鳴ったりする。

今から考えれば、上手く教われば良かったと思う。

以下 つづく