書道家Syuunの忘れ物

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社会主義者の倒錯した政府の少子化問題

2007-07-10 22:51:48 | 新聞社説・正論・主張を読み解く

少子化問題、子育て支援を論じるとき、政府関係者、学識経験者という東大教授などが異口同音に言うことは、女性を如何にして職場に貼り付けるかという事に尽きる。
即ち、「結婚して子供を産んでも保育所に子供を預けるようにすれば、仕事を休まなくても子育てが出来ます。(小さい頃の子育ての煩わしさから解放できます。)子供は社会が育てます。」と言うのは、 
<wbr>子育て支援ではあるまい。
これは、女性の高名な学者先生の様な女性の社会進出の扶助ではあっても、名もない一般の女性にとっては、社会主義経済下での職場に貼り付けようとする、労働強化に他ならない。
今の子育て支援政策が、決して「少子化問題」や「真の子育て支援」とは無縁である証拠がある。
それは、必死に子育てに専念する「専業主婦」に対する攻撃を見ればよく判ることだ。
その女性の労働強化策は、政府の政策としては、「専業主婦」の攻撃の第一弾として配偶者控除を無くし、経済的に追い詰めて労働者として働かせようとしていることである。
だから「子育てなどはクソ食らえ」、何の意味もない、役立たずと言う事で「専業主婦」を「怠け者」と罵倒していたではないか。
要するに、子供の教育は親がするのではなく、政府管理下で「教育してやる」というものだ。
実は、子供を育てる上での子供の三歳児までが一番可愛いときだ。
その一番可愛い盛りの子育てを労働強化の名目で奪うというのは、冷たい如何に非人間的なことだろうか。
そしてその年齢の子供は、親の愛情というものをしっかりと見極めると言っても過言ではないのである。
子供に愛情のある目を注がない親は、子供から見れば「親」とは見なさないと言うのが実は真実なのだ。
子育て支援と言うが、ここでの支援は実は「専業主婦」になって子育てに専念するため収入が減ると言う事であって、子育てに金がかかるというものではない。
子育てに金が掛かり始めるのは、三歳を過ぎてからだ。
実のところ、幼稚園に行っても低所得者は15万円くらいまでの補助が来ることがある。幼稚園の費用は年間30万円強だから、最大その半分程度になる。

ここで、長谷川教授は二人の子供を育てるのに6年間の扶助が必要だという。
普通、そんなことを聞いてそうかと思う主婦はいまい。
なぜかというと、本当の意味での子育て支援は一番お金が掛かる小学校へ上がってからの教育費だ。だから少なくとも教育支援という減税があってもよいのではないか。

フリーターなどの生活が安定しない若い男性の結婚意欲と結婚率はきはめて低いと言うが、実は彼らだけではなく「向上心の欠如した」一般社員も同様だ。
結婚というのは、男性にとって少なくとも一人の女性から選ばれる事だ。
「選ばれる」というのは、女性が人間として、男性として評価することだ。
「フラフラした」奴隷の平和を望む様な人間は、女性が子供を産んで育ててゆく上で、家庭を守ることが出来ないと思えば、絶対に女性は結婚相手として選ばない。
これは、人間限らず動物の本能だ。

逆に言えば、結婚をする夫婦は子供を作りたくて結婚する。
だから、結婚した夫婦では子供を作ることを最優先する。
まだ日本は、ドイツの様に結婚しても40%は子供を作らないと言うところまでにはなっていない。

子供のいる世界、家庭というものは、実は楽しいものだ。
親の自分が、小さいときどこにも連れて行って貰えなかった経験を、子供を介して再度一緒に経験する。
親にとって、子供と遊び、子供と行楽に行くと言うことは、もう一度子供時代を経験する楽しさなのである。

但し、そんなことが判らず、子供を社会に育てさせた人々は、結局子供に捨てられる。
自らはキャリアを積み自己満足しても引退すれば、ただの老人。
将来は老人ホームという牢獄で誰の訪問者になく過ごすのが楽しい人には良いのかも知れない。


syuun の不思議な少年時代 その12

2007-07-10 00:04:27 | syuun の不思議な少年時代

鼓笛隊、今ではマーチングバンドだが昔は鼓笛隊という、太鼓と笛のものだった。
この鼓笛隊というものを市の小学校は全部作ることになったようだ。
だから夏頃から急に早朝練習と言うことになった。早朝練習があるから朝の塾は行かなくなったともいえる。
なんと言っても、今度この曲をするから練習してくるようにと言う。
しかし教科書に載っていたかどこかにあったかという曲だ。
元々やる気のない感じだったから、なんとかズルをして適当に吹いていた。
そう、5年生の時は本当に何もやる気がなかった。
実際は、まともに吹いている児童など本当にいたのかと思わせる寂しい音だった。

男のクラス委員には、相当反感を買っていたTSと色の白い好男子風のTKがいた。
TKは優等生で後に前高から都立大(首都圏大学)へ行った。
そのTKはこの頃成長が早かったのだろう、もう背が大きかった。
それで突然に大太鼓に抜擢された。‥‥なり手がいない??と言うことだそうだ。

まあしようがないとはいうものの、鼓笛隊もあっという間にまともな鼓笛隊なったのは不思議だった。
だんだん冬が近づき、寒くなってくると暖房の時期になるのだが、新校舎だからとガスストーブと言うことになった。
養護学級(保健学級)の時は、スキー場でも使われるような重油ストーブの立派なヤツで、これは特別に設置されたと以前T先生が言っていた。
4年の旧校舎の時は、石炭のだるまストーブだ。こいつはお湯が沸かせるから色々と都合が良かった。但し湯を使ったことはないが。
それが今度は、円筒形のガスストーブ。
ガスストーブの大きさに比べて教室が大きいから、正に寒い教室だった。
なんと言っても、本当にストーブの周りしか暖かくない。

そんなストーブもまだ12月はよい。1月末の冷える頃になると本当に寒いのだ。
そしてこの頃学年末が近くなったのか、何やら試験ばかりだった。
夏前の全国統一試験で算数100点を取ったMMがクラス委員になったりもしたが、特に変化もない。
逆に言えば、MMは、たまに先生のお眼鏡にかなった点数が取れない時もあり、「実力試験の点数はマグレだったのか」と試験答案を返す時、NY先生が言い出すこともあった。

何やら最近NY先生はかなり強気なのだ。
母によるとPTAでもうどこにも転任させることは出来ない、何年も居座ると行っていたそうだ。
事実その後10年くらい桃井小学校にいたらしい。
それから10年と言えば小生が大学生になっている頃だ。随分と長い。

正月の元旦、以前は元旦は学校の招集日だった。
元旦に学校へ行って、寒い校庭で校長の話を聞き、クラスに帰ってミカンをもらって帰るこんなことだった。
但し、3年になったときには冬の招集日が無くなった様な気がする。
そして、夏休みの招集日もだんだん無くなってしまった。

今は、全校児童を集めて、先生のお話というのは体育館でする。
しかし、昔は体育館もなかったし、だいいち1000人も入る場所はどこにもになかった。
校庭に整列している写真が卒業写真に使われている。
昔は、いつもそんなものだった。

席替えは学期ごとに行われたが、3学期は算数が得意(?)と言われたKと隣り合わせになった。
クラスでは、以前Kは算数が出来ることになっていたが、実際は算数の計算が得意で、少し複雑になると全くお手上げだった。
逆には、小生は計算は苦手だか多少面倒な算数に困ることはなかった。

だから授業の算数の練習問題は、計算式まで出して最後の計算をする時に答えだけ教えろと言うわけで写していたことがある。
逆には、分からないからと計算式まで教えて、計算だけさせていたことがある。
どうせ、かけ算、割り算などは、時間を掛ければ出来るのである。
ついでに言うと、算数の概念より数学の概念の方が性に合っていた。
かけ算も‥‥10円の物が5個は、10×5   は◯
しかし、5個あるものの1個の値段は10円だと 5×10  は×
少し言い回しが変だが、数学的に同じだ。

そうやって算数の授業は、適当に手抜きでやっていた。
今から思えばなぜだったのか‥‥と思うが、何やらやる気をなくしていたというかよく分からない。
6年になった以降そんなことは一度もないのだ。

今自分の子供を見ていて、同じように適当に誤魔化していい加減なのは、同じDNAのなせる技なのか‥‥何やら心配になるところだ。

だから、普段の試験も同じようだった。
問題の計算式全てを書いて、隣のヤツ(K)に計算だけさせていた。
これは、立派なカンニングというヤツだが、どちらかと言えばほとんど理解できていない隣のKの方にメリットは大きかったはずだ。
但し、いつもやっているわけではない。

ところが、ある時の試験後、NY先生が一番前の空いている席に座れと言う。
そして、この前の試験の問題の難しそうな「これ」と「これ」をやれと言う。
別に、内容は分かっていたから、短時間に解けたので出来ましたというと、今度はこれをやれと言う。
計算問題は面倒だったから嫌だったが、計算が少ない文章体は得意なのだ。
それも難なく解いたら、席に戻れと言う‥‥‥

まあ、ストーブの前で暖かくて良かったと思った一日だか、何やら嫌な感じがした。
いずれにせよ、試験の点数はつかなかった。

前に座らされたの理由。
その後に周りに言われて気づくが、随分と見くびられたものだと感じた。

‥‥先生よ俺の本当の実力を知らないな‥‥だ。‥‥

なんと言っても、5年も最後の何ヶ月となると、4年生の最初に(成績優秀者候補として)並んだ児童の何人かはとっくの昔に脱落していた。

但し、クラス委員になっていたほとんどは、そのまま優等生に変わりはなかった。
委員になった6人のうち4人は少なくとも前高、前女には将来進んだからだ。
しかし、その他のうち養護学級出身者2人は見逃していたようだ。
教師のメガネというのは時々曇ることがあるものだ。

以下 つづく‥‥