書道家Syuunの忘れ物

趣味のパソコンやカメラの実機レビュー、書道展の情報発信、CyberLink MVPなのでYouTube配信をしています。

syuun の不思議な少年時代 その10

2007-07-09 00:11:27 | 世の中妙な??事ばかり

NY先生になってから、試験の成績は良いはずなのに、通知表には少しも反映されていないと思うようになった。
まあ人数が多くなったから‥と言っても5は10%だから大方男女3人ずつ。
結局成績は、4と3ばかりで3の方が多いと言うより3の中に4が混じる‥‥いや点在していると言うところだった。
まあ、5年での成績は諦めた‥‥将来に賭けよう‥‥‥とはいうものの茫洋としたものだ。

理科実験の頃から益々、首を潜めていたがたまに引っかかる時がある。
それは何かと言えば、先生の指示が聞こえず、周囲に聞いていたりする時だ。
「先生わかりません!!!」と言えれば良いが、大体そんな雰囲気ではなし、聞いても「聞いていないのが悪い」と言われるのが落ちだからだ。

それて、ちょっと聞こうとしたら「今喋った前にで出来なさい」と2-3回ぐらいやられたことがある。
教室の隅の教師の机のそば並べられたもの6-7人‥‥
但し、例のお気に入りは「あんたはよい」と‥‥席に戻る。

教師質問‥「静かにしろ」というTSの注意が聞こえたでしょう‥‥

ここで「聞こえた」と言えば、‥‥「なぜ聞こえたのに喋った」と追求。‥‥1
「聞こえない」と言えば、‥‥‥「喋っていたからも聞こえなかった」と追求。‥‥2

最後の方は、答えようがないから「黙り」を決め込むと‥‥「なんでもかんでも分からないことを」言い出す。‥‥3

追求の仕方は同じもので、一回目にヒッカッタ時は、2で対応したが、二回目は、3にした。
このとき、こう言ったものだ‥‥「あんなたの母親は学年代表をやっているけど、子供がこのざまじゃねぇ……」と
そのうち、エスカレートして逆上したか「母親を呼んでこい」とまで言ったのだ。

そういわれたから、一応母親に言ってみると、「困ったら行ってやるから‥‥」今回はそっとしておこうだ。
それでも酷くなって、一回は学校へ行って貰った。
何たって先生が「親を呼んでこい」と言ったからだ。
先生の言うことは絶対で、「言うことを聞きなさい」というなら、正確に報告すると言うのが生徒というものだねぇ。

それで、授業の休み時間に来て貰ったら、NY先生は「赤い顔」‥‥ほんとに紅潮したように真っ赤‥‥をして廊下に出て「何でもないのです」で終わり。
その後、もう一回来て貰ったことがあるが、それは5年の終わりに近づくころだ。

小生の頃、いわゆる学習塾というものはほとんど無かった。
ただ、小中学の学校の教師がやっている塾があると言えばあった。

子供だから、遠くには通えない。行ったのは学校の正門から50メートルも離れていないところだった。
もっとも3年-4年の頃には、絵の教室へ通っていた。
まあ有名な画家で高校の教師でもあったから、毎週日曜日の午前中だ。
これがつまらない。
行くと、何やら花瓶に花がさしてあって、これを描けと言う。
そして、適当に書いて、色も塗らないうちに時間が来て、そのスケッチを少し直して終了。
何だったのでしょうね‥‥‥

とこが、小学4-5年生なのに木炭デッサンとか、油絵とかを持ってくる児童がいるから驚きだった。
それを見た時、もう止めようと思ったものだ。
又、絵画教室に通うことになるのは、約20年後だ。
但し、洋画ではなく日本画。

近くの公民館では、珠算塾をやっていた。
ここには、毎日何十人という商業高校の女子学生や児童生徒まで集まって、座るところもないほどだった。
ある日そのにクラス委員のTSが現れて、突然習い始めた。
あんな程度のTSが出来るなら通ってみるかと行ったのがこの珠算塾。

正直言って、そろばんというのはなぜ出来るのか分からなかった。
何たって読み上げ算が早い。
それでほとんどが正解だ。
結局ついて行けなかった。ところがなんとTSは、最低のランクの級(5級?)を取りあえず取り始めた。
TSが止めた時、4級ぐらいは成っていたそうだ‥‥止めた理由。
何を言っているのか理解できなかった理由だった。

小生の方は、「西わき」で遊んでいて宿題を忘れ、「そろばん塾」へいって忘れましたと嘘をつく程度にしか使えなかった。
そういえば、当然「宿題を忘れるような『そろばん塾』は止めなさい」だ。
もっともその頃は、止めようと思っていた頃だ。

学校なんかつまらなくても、毎日近所の子と遊んでいれば、何の苦にもならなかったからだ。

一方、学校の成績が下がって心配したのは親の方。
父の昔の小学校の後輩だという、元商社マンの塾を紹介された。
ここが、正門から50メートルの場所だ。
その講師の先生は、前橋中学で3年(4年生、3年から飛び級で受験が可)で一高(第一高等学校)へ受かったという大秀才だった。‥‥一高、東大。
しかし、悪いのは「酒癖」。
出来すぎて、上司が馬鹿にみえ、酒乱だったから酒の席で上司を殴って退職したという。

会ってみると、普段は優しくて良い先生のだけどねぇ‥‥
酒を飲むと手がつけられないとは、それから何回か有ったことがある。
何やら酒を飲んでしまうと、今日ダメだ!帰れなどと怒鳴ったりする。

今から考えれば、上手く教われば良かったと思う。

以下 つづく


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