サツキツツジというのでしょうか。
我が家の生垣のツツジが、満開の花を咲かせました。
生垣に植えられるのは、最もポピュラーなツツジと言われていますが、
新興住宅地のご近所は、どこも満開です。
40数年、この地に住んで、どこの家も一斉に満開になったのは、
初めてのようにおもいます。
ツツジがきれいな花を咲かせることに気がついたのも、
今年が初めてです。
サツキツツジというのでしょうか。
我が家の生垣のツツジが、満開の花を咲かせました。
生垣に植えられるのは、最もポピュラーなツツジと言われていますが、
新興住宅地のご近所は、どこも満開です。
40数年、この地に住んで、どこの家も一斉に満開になったのは、
初めてのようにおもいます。
ツツジがきれいな花を咲かせることに気がついたのも、
今年が初めてです。
梅田蔦屋書店にいたロボット「ペッパー君」です。
JR大阪駅ノースビル、「ルクア イーレ」の9階、約3.300㎡に、5月8日から
「梅田 蔦屋書店」がオープンしています。
ここでは、購入する本を事前に読むことができ、
店内のカフェから、飲み物や軽食を摂りながら本を選んでいました。
座席も約500人分が用意されているとのことでした。
書籍は、約20万冊あり、文庫本や単行本という並びではなく、歴史書、文学、
アートと言った風に、系統別に並べられています。
モバイルや銀行ATM、靴磨き専門店も店を構え、まさに、ライフスタイル提案型書店です。
本屋で本を購入する前に、お茶を飲みながら下読みをするとは、
これまででは考えられなかったことです
近くには、マルゼン&ジュンク堂や紀伊国屋書店のグランフロント店など大型店舗もあり、
梅田の書店戦争は、これからどうなっていくのか、いささか気になりました。
まだ、梅雨にも入らないのに、太陽は真夏の輝きを見せています。
24日からはじまった週も、ほとんど雨は無く、天気予報は次週の日曜日に
「雨マーク」がついているだけです。
そのうちに、ドサッと雨が降るかもしれません。
写真は、近くのターミナルにある屋上庭園の風景ですが、空は晴れて夏の日差しが強く、
花壇の花も暑さに負けて元気が無いように見えました。
私たちの旅も最後の日になりました。
「有馬六彩」のロビーから南方向を見た写真です。
この日、有馬は快晴。キリシマ躑躅でしょうか、朝日に映えていました。
階段状に建つホテルは、見晴らし、抜群です。
朝のバスだったので、温泉情緒を味わう時間は僅かしかありませんでした。
5月10日(日)、「元気で、また、会いましょう」を言い合って、
東へ帰る人たちと午後2時前、JR大阪駅で別れました。
(「新緑を求めて」二泊三日の旅 おわり)
京都に一泊した私たちは、5月9日、JR京都駅から新快速で大阪へ向かいました。
一向は7人ですが、なにせ、80歳を越える高齢者が4人のため、移動が大変でした。
京都駅は人、人、人で、7人全員がこぼれることなく、よく乗れたとおもいました。
大阪駅から、タクシーでミナミに移動、13時過ぎに法善寺横丁に着きました。
法善寺横丁は江戸時代、浄土宗法善寺境内の露店から発展しました。
明治から昭和の初期にかけては,
寄席や飲食店が軒を連ね付近はにぎわいました。
昭和20年、あの空襲で付近はすべて焼けました。
その後、復興した横丁の飲食店は、平成14、15年と二度の火災にあいました。
現在は、飲食店の中に、「水かけ不動」と「金毘羅堂」が残るだけです。
建ち並ぶ飲食店は60軒余り、
今、なお、浪花情緒あふれる一角として、にぎわっています。
横丁の道幅は2.7m。長さ、約100m。
小料理屋「正弁丹吾亭」の前には、この地を愛した文壇を代表する人たちの
「文学碑」や「句碑」がたっています。
小説「夫婦善哉」で一躍有名になった織田作之助の
「行き暮れて ここが思案の 善哉かな」の句碑もあります。
また、藤島桓夫のヒット曲、「月の法善寺横丁」の歌碑なども目立ちます。
この日は、小雨まじりのあいにくの天気。
連休の後だったこともあってか、人出も比較的少なかったようです。
昼食時間を含めて2時間あまり。
急いで梅田に戻り、阪急高速バスで有馬に向かいました。
(つづく)
5月12日、広島の三原市に住む、家内の友人から、
「シャクヤク(芍薬)の花」が数十本、届きました。
古民家を買い取って花の栽培に力を入れているとのこと。
それにしても立派なシャクヤクの花に驚きました。
「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」
子供のころから耳になじんでいた言葉です。
5月15日、しゃくやく(芍薬)は、ほぼ満開になりました。
花の直径は、16~7センチはありそうです。
漢方薬にも使われているらしく、「お風呂に入れても効能がある」とのことでした。
話は変わりますが、きのう、買い物に出かけた猪名川町で珍しい花を見つけました。
たぶん、カエデの木だとおもうのですが、大きな木に可愛らしい花をつけていました。
チューリップの花のように上をむいており、その中までは見えませんでした。
カエデにもこんな花が咲くのでしょうか。
初めて見ました。
源光庵の本堂にある二つの窓。紅葉の時季ににぎわう部屋です。
丸窓は、「悟りの窓」と名付けられ、角窓は、「迷いの窓」と呼ばれています。
悟りの窓は円形に「禅と円通」の心を表わし、大宇宙を表現します。
迷いの窓は角型に「人間の生涯」を象徴し、
生老病死の四苦八苦を表わしている、と言われています。
660年余りの歴史を持つ「源光庵」は曹洞宗のお寺で、観音像がまつられています。
曹洞宗といえば道元禅師ですが、
禅師の書画や木版が保管されていると言います。
本道裏の庭園は枯山水で、北山を借景とし、四季を通じて趣があります。
もう一度、悟りの窓を見てください。
紅葉の時季は一層の風情があります。
源光庵の筋向いに「光悦寺」があります。
ここも紅葉には見逃せないお寺のようです。
小雨も降り出し、次の予定もあったので、「光悦寺」の拝観は中止し、
ホテルのバスでJR京都駅へ向かいました。
(大阪・法善寺へつづく)
京都市内で「鷹峯」は千本通りの北の端になります。
仏教大学の北側から緩やかな上り坂を上がり、突き当りの「源光庵」まで約1キロ。
ホテルはその中ほど、西側にありました。
閑静な住宅地ではありますが、古い店も残っており「鯖街道」当時の
郷愁を感じます。
老夫婦が店番をしていた組紐やさん。
店の中には、電気で動く古びた機織(はたおり)機が、ガタゴトと
リズミカルに動いていました。
同行の女性4人に1本、200円の組紐を買いました。
名残惜しそうな老夫婦は、人懐っこい顔で店先まで送って出て、
笑顔を振りまいてくれました。
おばあさんは92歳。おじいさんは93歳。
「この家は、築130年になります」。こちらから聞かないのに教えてくれました。
「何時までもお元気で」と、つい、声をかけていました。
(次回は「源光庵」です)
静岡県から「家内の姉一家5人が京都・大阪・有馬へ旅をする」と言うので
案内役をかってでました。
5月8日、好天に恵まれた京都は新緑が美しく、もう、初夏を感じさせてくれました。
目の前に見えるのは「三条大橋」です。
鴨川の床も、昼間からお客さんがはいっていました。
連休明けとあって、高瀬川沿いの木屋町あたりは、比較的静かで
観光にはもってこいの雰囲気でした。
「鴨川をどり」を見たあと、宿泊先のホテル「京都鷹峯」へ向かいました。
左手前が「鷹峯(たかがみね)」です。
右奥は「鷲峯(わしがみね)」だそうです。
ホテルの前は、鷹峯街道です。
昔は、若狭で獲れた「鯖」を京都へ運んだ「鯖街道」としてにぎわいました。
先日、NHKテレビの「ブラタモリ」、と言う番組で、
秀吉が造った「お土居」の紹介がありましたので、この付近は参考になりました。
(つづく)
「ゴールデンウイーク」の休日とあって、どこも人出で満杯。
近場で休日を楽しむ人も多く、私もその一人。
憲法記念日の3日、家内と伊丹市内に買い物に出かけました。
伊丹市内も、それなりに人出があり、活気がありました。
天気は、今、ひとつでしたが休日の賑わいに触れてきました。
伊丹は、「町」起しもかねて古いものを残そうという姿勢が見え、
町のあちこちに落ちついた感じの建物が目を引いています。
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ところで、話は変わりますが。
2月はじめに歯が折れて、抜歯、入れ歯と歯科医に通った治療は、
5月1日、3ヵ月ぶりに2本の入れ歯が入りました。
継ぎ歯は経験がありますが、入れ歯は初めて。
まだ、四日あまりですが、なんとかこれでおさまりそうです
毎年、庭木の剪定を頼んでいた植木やさんが引退することになり、4月19日に引継ぎの
造園業の人と一緒に挨拶に来ました。
そのときにもらった「西洋シャクナゲ」」が十日あまりで満開の花を咲かせました。
欧米で育成されたものを総称して「西洋シャクナゲ」と言っているらしいのですが、
日本原産のシャクナゲにくらべて、花が大きくカラフルなところが人気を呼んでいるそうです。