"四季折々 この一枚″

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「あぶり餅」と今宮神社

2013年11月25日 11時44分30秒 | 紀行

京都の洛北、大徳寺の北側に、創建1100年といわれる
「今宮神社」があります。

その神社の東門に通じる参道です。

   

こちらは、神社の南側の正門です。

京の都の疫病を鎮めるために創建されたという神社です。

その東門参道に二軒の「あぶり餅」屋さんが向かい合わせに商売をしています。

この店は、参道の南側、「かざりや」。


 創業、400年をうたっているそうです。

こちらは北側にある一文字屋和輔こと、「いち和」屋。

こちらは、創業、1100年だとか。

「あぶり餅」は親指大の餅に、きな粉をまぶし、竹串に指して、炭火であぶったあと、
白味噌のタレをぬった餅菓子です。

材料は、餅、きな粉、白味噌、砂糖でしょうか。

味は、なかなか乙なもので、15串で500円。

二軒とも同じように仕上げ、値段も同じです。

23日の勤労感謝の日に訪ねましたが、大勢の参拝客が「あぶり餅」を食べていました。

どちらの店が古いのか判りませんが、平安時代のころからある、
日本最古の和菓子屋さんとされています。

一文字屋の暖簾の横には、「廿五代」と染めてありました。

応仁の乱や飢饉のとき、庶民に振る舞ったと言い伝えられ、

病気回復、厄除けを祈願し、あぶり餅を食べるとご利益があると親しまれているそうです。

 

参道の北側、駐車場の奥に見える大ケヤキです。

「 紅葉」を見ながら大勢の観光客の中を歩くのにくらべ、
鄙びた感じの参道で、厄除け祈願のあと、「あぶり餅」を食べるのも、
それなりの雰囲気がありました。

 

 

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隣のハナミズキ

2013年11月24日 13時26分50秒 | 画像

ハナミズキは紅葉が素晴らしいと言われます。

隣の家にも一本のハナミズキが植わっていて、毎年、秋が深まると
目を楽しませてくれます。

普段は、目に止まらない隣のハナミズキですが、秋の深まりと共に
見逃せない今日この頃です。

(写真は11月21日、午前7時半ごろ撮影しました)

 

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右馬允(うまのじょう)・大鹿村を訪ねて

2013年11月14日 10時42分14秒 | 紀行


11月8日、浜松で開かれた同窓会に出席した家内が、友人たちと9~10日の一泊二日で
長野県下伊那郡大鹿村大河原に旅をしました。

この項は、家内が撮影してきた大鹿村の宿舎近辺の写真です。

浜松から東海道線で豊橋へ。
そこから、飯田線に乗り換え、特急、普通電車と乗り継いで「伊那大島」下車。
およそ、4時間の列車旅です。

駅は長野県下伊那郡松川町。天竜川の上流です。

大鹿村は、駅から、さらにバスで、およそ40分。

大鹿村大河原の旅舎・右馬允(うまのじょう)に到着です。

「右馬允」は江戸時代、馬に関する取りまとめをする者に与えられた
由緒ある役職名だったそうです。

大鹿村の名主だった前島家は代々、これを屋号としてきました。

宿のテーブルは、かって、屋敷の門であった扉が使われていました。

明治から昭和のはじめにかけては造り酒屋として栄えました。

現在は、過去の文化遺産を今に蘇らせ、未来へ伝える「右馬允」として、
伝統を守っていこうと意気込んでいます。

「人に歴史があれば、家にも歴史あり」です。

宿の煙と鄙びた大鹿村の木々や風情が心を休めてくれました。

南アルプスの山塊に抱かれた静かな山村ですが、この日はあいにくの雨模様。

「天気であれば、はるかに、南アの山々も見えたのかなあ」とおもいながら、
帰りの列車に乗りました。

 

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新梅田シティに「緑の壁」

2013年11月10日 11時58分56秒 | 画像

 

大阪駅の北側、新梅田シティのスカイビル東側に、緑化モニュメント
「希望の壁」、緑の壁が完成し、11月5日、
一般に披露されました。

高さ9メートル、長さ78メートルもあるそうです。

ステンレスのネットを張り、900個のプランターにいろんな植物を
植えています。

東に見えるのは、グランフロント大阪の高層ビルです。

この壁は、建築家、安藤忠雄氏の発案になるもので、
子会社が新梅田シティを管理する積水ハウスの賛同を得て実現したそうです。

プランターにはフジやボタン、サザンカ、ツバキなど百種類以上の
植物が植えられています。

写真の左側は、6月に撮影した大阪マルビルの「都市の大樹」。

大阪の街を緑でつなぐ、「緑の回廊」の第2弾です。

四季折々に違った花を咲かせる緑の壁は、ここを訪れる人を楽しませてくれそうです。

 

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神戸文学館と関西学院

2013年11月03日 15時17分21秒 | 紀行

11月の連休初日の二日、雨の心配もなかったので神戸市灘区王子町の

「神戸文学館」を訪ねました。

神戸王子動物園の西側、煉瓦づくりの「文学館」は、かってこの地にあった関西学院
原田の森キャンパスの礼拝堂、チャペルを生かしたものです。

内部には、明治以降の神戸にゆかりのある文学者を時代ごとの
テーマに沿って紹介。

神戸を愛し、神戸を描いた作家たちの作品も展示され、
蔵書も並んでいました。

上の模型は、昭和4年、キャンパスが上ヶ原へ移転する前の風景です。
(手前にチャペルが見えます)

明治22年(1889)に創立された関西学院は、昭和4年(1929)に上ヶ原
(現在の西宮市)のキャンパスに移るまで、この原田の森に2棟のバラックから
出発したと伝えられています。

この写真は、大正11年ごろ、関西学院正門西側の風景です。
門柱は、現在の上ヶ原キャンパスの正門に移設されているそうです。

明治37年(1904)に建てられチャペルは、
明治の洋風教会建築としては神戸市内最古のものと言われています。

神戸大空襲や阪神・淡路大震災を経て、平成18年(2006)、
神戸市の文学館として生まれ変わりました。

ときあたかも、関西学院は、来年、平成26年(2014)に創立125周年を迎えます。

神戸とかかわった文学者や作家は数多く、堀 辰雄、宮本 輝、
山崎豊子、司馬遼太郎、庄野潤三、新田次郎、野坂昭如、などなど。 

王子動物園の西隣、関学の原点とも言う、この「文学館」にも大勢の人たちが
訪れるかも知れません。

 

写真は文学館の南から撮ったものです。

手前の道路は、かって、神戸の市電が走っていました。

南へ少し下がるとJR灘駅があります。 

小学校の4年生から昭和20年の空襲で焼け出されるまで、
灘駅の南東にあった自宅から、この市電に乗って熊内町にある
雲中小学校(当時は国民学校)へ電車通学をしたことを思い出しました。

遠い昔のことです。