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"四季折々 この一枚″

ブログのタイトルを上記に変更しています。アドレスは同じです。
右端にカレンダーが出ればご覧いただけます。

年末に氷雨

2010年12月30日 12時20分30秒 | 連絡

けさは「氷雨」になった。白いものも舞い、寒いというより冷たい。
家の中も冷えている。くもりガラスで、庭の景色も寒々と見える。
「大晦日から元旦にかけて西日本は寒い正月になる」との予報。

二日には娘が来るというが、長男一家は、孫たちの受験でことしもこられない。
我が家は老夫婦二人の静かな正月になりそうだ。
それでも、二人が元気に新年を迎えられれば、これに越したことはない。

ところで、ことしも、ブログを見ていただいてありがとうございました。
来年も、もう一つの私のブログ、「まい フォトブログ 75」(画面の右、ブックマークの
下をクリック)と合わせてよろしくお願いします。

みなさん、どうか、よい年をお迎えください。


最後の忠臣蔵

2010年12月26日 13時50分44秒 | 画像

映画「最後の忠臣蔵」。
毎年、年末になると忠臣蔵が話題になる。今年も、この映画が話題になった。

四十七士の討ち入り後、大石から「これから生まれてくる遺児」の養育を託された武士が、
討ち入りの名誉を捨てて、その使命を果たす物語りである。



今年いちばんの冷え込みから、寒さしのぎに飛び込んだ映画館ではあったが、
なかなか、面白かった。
役者もよかったが、監督の映画作りもうまかった。

ただ、これからの日本で、「武士」の生き方が理解され続けていけるのか、
いささか、疑問におもった。


整備すすむ大阪駅 1

2010年12月19日 16時13分59秒 | 画像

来春、5月のオープンを目指して大阪駅の整備がすすんでいる。
先日は、ホームを覆うドームの試験点灯も行われた。
「大阪 ステーション  シティ」と名付けられた駅は、南側が「サウスゲート」
北側が「ノースゲート」で、ホームの上には南北ををつなぐ歩道ができ、さらに、その上を
ドームで覆う。

駅の南側、「サウスゲート ビル」。

 


寒波襲来

2010年12月16日 15時10分18秒 | 画像

街はどこへ行ってもキラキラと電飾が輝いている。
年末とXマスで、少しでも販売を伸ばそうという商魂のあらわれか。

地下街の小さな隙間。水槽に浮かぶ雪だるまだろうか。灯りが入って可愛らしい。
今年一番の寒さというが、穏やかな年末年始を願わずにはいられない。

 


JR大阪駅

2010年12月13日 14時20分43秒 | 画像

来春のオープンを目指して大阪駅の工事は急ピッチ。
年末のここに来て、だいぶん、駅の雰囲気も整ってきた。
駅はできても、周辺の工事は大丈夫なのか。そのあたりがいささか気にかかる。


写真は大阪駅サウス ゲート(2010・12・11写す)


平敷安常氏の第二作

2010年12月10日 17時48分29秒 | 連絡

「キャパになれなかったカメラマン ~ベトナム戦争の語り部たち~」で「大宅壮一ノンフィクション賞」を
受賞した平敷安常氏が、受賞後の第一作を発表した。

本の題名は「サイゴン ハートブレイク・ホテル ~日本人記者たちのベトナム戦争~」。
9日発売と聞いていたが、きょう、10日、梅田の紀伊国屋書店の新刊コーナーに並んでいるのを
目にした。

発売されたばかりで、まだ読んでいない私としては批評はできないが、話題になることを
期待している。


草津宿 3

2010年12月05日 14時45分01秒 | 紀行

現在の草津宿には、「本陣」から少し西へ寄ったところに「草津宿街道交流館」があり、人や物が
行き交ったかっての宿場の資料を展示している。



その街道筋には、昔を思い起こさせるような町屋の姿もあり、訪れる観光客を和ませている。

江戸城のを造ったことで知られる太田道灌。太田氏は、徳川の三代将軍のころ、街道の
守りを命じられて、この草津の地に移り、のちに酒造りを始める。 
その遠祖の名にちなんで「道灌」と名付けられた酒は、今も、好評を博しているといわれる。



(草津宿 おわり)

 

 

 


平敷安常氏のベトナム

2010年12月04日 17時22分51秒 | 連絡

先日お伝えした平敷安常氏がかかわったNHKのドキュメンタリー番組が、3日の23時から
49分番組としてBs1で放送された。
タイトルは「戦場のジャーナリスト ~俺たちが見たベトナム~」。



番組の中身は、平敷氏を含む日・米・ベトナムの記者やカメラマンが登場し、ベトナム戦争の
取材をふりかえる。平敷氏はNHKの取材に同行、かっての戦場を訪ねる。

多数の犠牲者を出したかっての戦場は、今は、その形をとどめていない。こんなところで、なぜ、
激戦があったのだろうかとおもうばかり。ただ、戦争のわびしさを感じさせる。
番組に登場する記者やカメラマンも、当時の取材意欲を語るが、誰も、今は70歳を越えており、
振り返って「戦争のむなしさ」をおもう。

 

 

 


草津宿 2

2010年12月03日 14時16分33秒 | 紀行

江戸から東海道で五十二番目、中山道で六十八番目の宿場になる草津宿の本陣は
天保14年(1884年)当時の姿を、ほぼそのままにとどめている。

表門をくぐると、中央に式台を持った玄関、その先には長い畳廊下が延び、両側に従者、
奥に主客の休泊する部屋や主客用の湯殿や台所があった。

この本陣屋敷は、建坪468坪、部屋数は30室余りもあったという。

宿泊した大名たちの名札が今も残っている。



向かい上段の間。


(つづく)


草津宿 1

2010年12月02日 14時26分42秒 | 紀行

このところ、なぜか「宿場」づいている。それは、年齢をとってきて古い物が懐かしいのか。
それとも、郷愁を覚えるからか。いや、健康のための運動の意味からも、昔の宿場を歩くのが適当な
運動になるからかもしれない。

今回は、東海道と中山道の合流地点、滋賀県草津市の草津宿を訪ねた。


草津市内を流れれていた「旧草津川」。昔は、天井川で、中山道を西へ辿った人は、この川わたると
草津宿に入った。


川の西側に「道標」が建っている。
右は東海道で伊勢へ通じる。左は中山道で美濃路へ向かう。


上の道標から旧草津川を東へ越えた覚善寺というお寺の門前には上のような「道標」が
建っていた。



草津の宿場、約1.3キロには、大名らが止まる「本陣」が2軒、脇本陣が2軒、旅籠が72軒もあったという。
下の写真は、草津宿本陣の一つであった「田中七左衛門本陣」で、昭和24年に国の史跡に指定され、
現在も東海道随一の本陣として保存されている。


(つづく)