今年は、「水害」や「地震」、「台風被害」と大変な一年でした。
その一年も、間もなく終わろうとしています。
せめて「もみじ」だけでも飾りたいと、晴れ間をぬって
池田の市立植物園へ行ってきました。
「もみじ」も、もう終わりでしょうか。
来年、新しい年は穏やかな年になってほしいと願っています。
(2018年11月28日 午前 写す)
今年は、「水害」や「地震」、「台風被害」と大変な一年でした。
その一年も、間もなく終わろうとしています。
せめて「もみじ」だけでも飾りたいと、晴れ間をぬって
池田の市立植物園へ行ってきました。
「もみじ」も、もう終わりでしょうか。
来年、新しい年は穏やかな年になってほしいと願っています。
(2018年11月28日 午前 写す)
これは、今年の11月20日に発行された
「毎日新聞朝刊と大阪発行130年の記念別刷」です。
1888年(明治21年)11月20日、それまでの「大阪日報」から題字を
「大阪毎日新聞」に改め、「大毎(だいまい)」の愛称で親しまれました。
大阪市北区梅田3丁目の社屋に、「当時を物語る機器が展示されている」と
書いてあったので、勤労感謝の日に見に行ってきました。
法被(はっぴ)の後ろにあるのは、号外を配るときに鳴らした「鐘」です。
筆者の記憶では、「もっと小さな鐘を二~三個、
腰の帯にぶら下げて、走るたびに鐘が鳴る」式だったようにおもいます。
後ろにある写真を見て驚きました。
「どこかで見た写真だ?」と、
そうです、私の祖父が立ち上げた神戸の「大毎販売店」の
本店ではありませんか。
この写真は、私も持っています。
私の祖父は明治の半ば、石川県から神戸に出、
生田神社の前に本店を置き、市内の大半を販売区域として
「大毎」の販売に生命(いのち)を懸けました。
わが家の写真には「明治44年(1911年)と記録されています。
その祖父も、昭和13年に死亡。
三代にわたった新聞専売店も、今は廃業しています。
時は移り、時代は変わりました。
「栄枯盛衰は世の常」、とは言うものの、今は、孫や曽孫が
それぞれの道を邁進しています。
一気に冬の気配が強くなった「勤労感謝の日」。
大阪まで出かけたので御堂筋の「いちょう」を見てきました。
淀屋橋の交差点。西側から南を見たところです。
今年は暖かかったのでまだ緑が目立ちました。
色づくのもこれからでしょうか。
朝になって降り出した雨もお昼前には上がり、青空も顔を出しました。
でも、気温は下がり、秋の気配が濃くなってきました。
街中には枯葉が舞い、はや、冬の訪れさえ感じます。
夏が良いか、冬が良いか、と問われれば、「夏」とこたえるでしょう。
でも、今年の8月のように、わが家にいてさえ、「熱中症」になりそうな
気温では、思い出す度、ウンザリします。
とにかく、「早く春よ来い」と言いたいですねえ。
パソコンの調子が悪く、11月7日以来、休載していました。
娘の応援を得て、何とか回復しましたので久しぶりに掲載します。
今日は宝塚市にある「紫雲山 中山寺」(通称 中山観音)の風景です。
朝から快晴。空は澄み切って青く、絶好の観光日和でした。
凡そ400年ぶりに日本の建築技術を生かして、
昨年の4月に完成、落慶法要をおえた「五重塔」です。
五重塔の心柱は、
岡山県美作市の神社から伐り出した檜で、塔の高さ28mとか。
このお寺は安産祈願で知られており、いつも、
帯を求める人や子供連れでにぎわいます。
この日も「七五三まいり」の親子でにぎわっていました。
山門を入ると沿道にはテント張りの「店」が軒を並べ、
参拝の親子を待っていました。
「もみじ」の少ないのが残念でしたが、
深まる秋を楽しむには、絶好の秋晴れでした。
樹木の緑が赤く染まりはじめ、はや、「立冬」を迎えました。
数日前の寒さもゆるんで、関西では、ここ、二~三日暖かくなりましたが、
これも、つかの間の暖かさで、間もなく寒さの訪れです。
今日は、その「立冬」です。一般には冬の始まり、と言われています。
これから、あの、寒さが来るのかとおもうと、いささか、
憂鬱になります。