"四季折々 この一枚″

ブログのタイトルを上記に変更しています。アドレスは同じです。
右端にカレンダーが出ればご覧いただけます。

2012・盛夏

2012年07月31日 10時34分28秒 | 画像

それにしても暑いですね。

連日、35度を越す猛暑に、いささか、へばり気味です。
皆さんは、いかがでしょうか。

「今年は、地球全体が猛暑に見舞われている」とか、テレビで放送していました。

そのくせ、地域によって、大雨の被害が出たり、だんだん、住み難くなってきました。

暑いので、つい、テレビを見てしまいますが、そこは、オリンピック一色。
そのオリンピックも、審判のあり方に問題が集中するなど、
いろいろ難しい時代です。

オリンピックに助けられて、政治問題は一服している感じですが、
これも、見過ごすことはできません。

なにか、猛暑を表現する写真、涼を呼ぶ写真と考えてみましたが、これと言った名案もなく、
「入道雲」を選びました。

 

「春夏秋冬 まい ブログ」も更新しています。


ロイヤルステンドグラス

2012年07月25日 14時29分52秒 | 画像

 

 

 

 

今年、神戸にオープンした結婚式場を兼ねた聖堂のステンドグラスです。

建物は6階建て、聖堂は吹き抜けで天井の高さ8.2m。

ステンドグラスの高さは5.2mです。

 

 

米国財閥の創始者 J.P.モルガン( ジョン ピアポンド モルガン[1837~1913])は、
美術品の収集家としても知られていました。

彼は、19世紀初頭に造られたステンドグラスをパリの教会に寄贈しました。
それが、200年の歳月を経て、ここに復元されたといいます。

教会の冊子には、「歴史的、美術的価値が非常に高いステンドグラスを
現代に蘇らせた」と書いてありました。

一度、写真に撮ってみたい、とおもっていたので、今回、
見学を申し込み、撮影させてもらいました。


グランフロント大阪

2012年07月22日 17時35分44秒 | 報告

梅雨が明けて本格的な夏の到来か、とおもったら、またまた、気圧のいたずらか、
大雨が降ったり、雷が鳴ったり、天気は気まぐれでした。

22日は、雨のない日曜日になり、久しぶりに大阪まで出かけました。

いつも気になるのですが、JR大阪駅のノースゲートビルのアトリウムから見る
「グランフロント大阪」のビル郡は、来るたびに工事がすすみ、
進捗のめざましさがわかります。

来年の春にはオープンの予定とか。最近のビル建設の早さには驚かされます。

JR大阪駅の北側は、総称、「うめきた」。
現在工事中の四つの高層ビルを、「グランフロント大阪」と呼んでいます。

商業施設やオフイス、ホテル、分譲住宅などで構成されています。

(「春夏秋冬 まい ブログ 75」もご覧ください)


暑中 お見舞い 

2012年07月17日 21時42分52秒 | 歳時記

きょう、17日、四国から中国、近畿、東海、関東甲信越地方の「梅雨」が明けました。

それにしても暑いですね。

今朝の空は、「真っ青」に澄みきっていました。

これから、暑さのきびしい夏本番になりそうです。皆様、気をつけて頑張ってください。

九州には、まだ、大雨の恐れありとか。全国的に、早く、すっきりしたいものです。

                           (写真は、西宮市今津西浜町の「今津灯台」です)

 

私のもう一つのブログ、「春夏秋冬 まい ブログ 75」へは、画面右端にある
ブックマークのタイトルをクリックしてください。


旧九鬼家住宅

2012年07月13日 10時13分21秒 | 紀行

JR三田駅から徒歩で約15分、三田市内屋敷町に「旧九鬼家住宅資料館」はありました。

明治初期(明治8年前後)に建てられた全国でも数少ない「擬洋風建築の建物」で、
平成10年4月に兵庫県重要有形文化財に指定されています。

1階は和風、2階が洋風に造られた家屋で、全国でも数少ない建築様式です。

三田藩の家老職を代々勤めた九鬼家の住宅として、
明治の初期(明治8年ごろ)、九鬼隆範(りゅうはん)が自ら設計して
建てたものです。

主屋(おもや)は1階が土間、台所を除いて6室。

2階は洋風に造られており、東半分がベランダになっています。、
洋間には床に畳を敷いたり、壁や天井は壁紙の代わりに
日本的な襖(ふすま)紙を張るなど、洋風の技法が取り入れられているといいます。
 
(2階は開館日が決められており、この日は、2階へは上がれませんでした)

九鬼家は、もともと、九鬼水軍の家柄で、徳川時代に入って三田へ移封されました。

屋敷内には、昔をしのぶかのような、大きな和船の模型も飾られていました。

 

(写真は、7月8日(日)に撮影しました)


日本手拭 3

2012年07月07日 10時25分03秒 | 画像

明治にはいり文明開化がすすむと、タオルやハンカチが進出、日本手拭は古いもの
として、時代の流れに押されてゆく。

その用途は、実用品としてのものから、装飾品、PR用手ぬぐいへとうつる。



年配の方なら、日本手拭に郷愁を感じる方も多いのではなかろうか。

こうした手ぬぐいは、まだまだ、日本の家庭に多く残っていることだろう。

(おわり)

 

 


日本手拭 2

2012年07月06日 13時42分24秒 | 画像

日本手拭は木綿の平織りの布。
初期のころは祭礼時の装身具として用いられたらしい。

 

江戸時代から明治・大正と日本手拭の用途は広がった。
小間物として使われたり、PRの図柄を刷り込み、宣伝用に配られたりするようになった。

(つづく)

 


日本手拭 1

2012年07月05日 15時55分28秒 | 画像

最近、トント見かけなくなった「日本手拭」。

西宮市内の古物商が、多数の日本手拭を集めていると新聞に出ていたので、
見せてもらいにいって来ました。

日本手拭の歴史は古く、奈良、平安時代の昔に遡ると言う。
型染のようなありきたりのものから、手描きの染物を感じさせるものまでさまざまです。

手描きのものは、それなりに値も高いそうです。

この古物商が集めた日本手拭は、「一千本をくだらないだろう」との店の話でした。

                                    (つづく)