けさも屋根は真っ白。雪が舞っていた。
それにしても寒い。外へ出る機会が減っているためか、寒さがこたえる。
日が昇ると、すぐに解けてしまう雪なので、積雪で難儀をしたことはないが、
やはり、春が待ち遠しい。
(写真は午前8時30分 写す)
けさも屋根は真っ白。雪が舞っていた。
それにしても寒い。外へ出る機会が減っているためか、寒さがこたえる。
日が昇ると、すぐに解けてしまう雪なので、積雪で難儀をしたことはないが、
やはり、春が待ち遠しい。
(写真は午前8時30分 写す)
きのう夜、NHKのBShiで「叫び声が聞こえる ジャーナリストたちの ベトナム戦争」とい
ドキュメンタリーを見た。
昨年の12月に放送したものを再編集し、1時間30分番組にしたものである。
ベトナム戦争を取材したジャーナリストたちをテーマに「サイゴン ハートブレイク・ホテル」という
本を書いた「平敷安常」氏がかっての戦場に同行取材していた。
取材班は、アメリカや日本でも、かっての記者やレポーターから取材をする。
そこからは、「あの戦争がなんであったか」というよりも、ただ、「戦争とは恐ろしいものである」
と言うことが伝わってくる。
作品としては、もう少しインパクトの強いものができなかったかと残念におもった。
ハノイに住む、もと北ベトナム軍のカメラマンが印象に残った。
あの戦争から35年が過ぎ去った今、日本で、ベトナム戦争に関心を持つ人がどれぐらい
いるだろうか。そこが気になった。
NHKがベトナム戦争の後を追ったドキュメンタリー番組を制作した。
大宅壮一賞をもらって第二作の「サイゴン ハートブレーク・ホテル」を出版した平敷安常氏も
昨年の夏、その取材班に同行したという。
これは、その放送予告のPR葉書です。制作者から平敷君の先輩M氏あてに届いたものを
コピーしました。
放送は、NHK BShi で1月22日夜(1時間29分)と再放送が29日昼です。
今回のハートブレーク・ホテルは、昨年の12月28日の私のブログ、「まい フォトブログ 75」に
書けなかった「サイゴン ハートブレーク・ホテル」の読後の感想です。
表題の本は、著者が10年を越えるベトナム戦争の取材で知り合ったカメラマンや記者たちを
とおして、ベトナム戦争が何であったか、何をもたらしたかをを問いかけたもので、大宅賞を
もらった第一作、「キャパになれなかったカメラマン~ベトナム戦争の語り部たち~」につづく
第二作です。
内容は7章からなっており、今回は、「フォトブログ」で書けなかった、第6章、「日本人記者群像」と、
第7章の「記者たちの戦争症候群」について書いておきます。
ここで、彼が言う、日本人記者は、主として新聞記者であり、著者の経歴からも毎日新聞の記者
がしめるスペースが大きい。
どの記者も、著者の質問には丁寧に答え、自分の意見を率直に語っている。
その受け答えが、テンポよく整理され、読む者には歯切れよく、あの戦争が何であったかを語り
かけてくれる。
戦争症候群については、それぞれの記者の中に、35年を経て具体的には残っていないようだが、
「何かを書き残したい」という気持ちが強くあるのを感じた。
しかし、その人たちも、もう書くだけの多くの時間が残っていない年齢になっている。著者の問い
合わせに、「自分のおもう真実を語りたい」という気持ちが読むものの心を打つ。
著者にとって、ベトナム戦争がなんであったのか。その答えを探す旅が、まだ、終わりでないこと
を強く感じさせてくれた。
とにかく、著者と出版社の語らいが、うまくかみ合った、素晴らしい出来映えの一冊になったとい
える。
(写真は、本の表紙と講談社の新刊案内のパンフレットから借用しました)
池田市の人口は10万人と少し。それほど、増減は無い。
狭い路地に昔の家ももあれば、近代的なマンションや新しい施設もある。
大衆演劇の池田呉服座の向かいには、「落語みゅーじあむ」が開業していた。
池田といえば、小林一三記念館や逸翁美術館で知られるが、その昔、この地方の
豪族だった摂津池田氏の城があったという城山地区には、「池田城跡公園」も完成して
いる。
いまや、新旧まざりあった町が池田というべきかも知れない。
阪急池田駅前の商店街を歩けば、ご他聞にもれず、シャッターも目にはつくが、こんな
暖簾をつるした店が目に付くのも池田市ならではの風景というべきか。
「町おこし(池田)」おわり。
西光寺の路地から南へ出ると、西本町の交差点のそばに
新しい「呉服座」の看板が目に付いた。
かって、呉服座(くれはざ)としてつづいた大衆演劇の芝居小屋は昭和44年に閉館、建物は
犬山市の明治村に移設された。
あれから41年、地元の有力者の念願がかなって、去年の11月、現代の大衆演劇の
場として新しい「池田呉服座(ごふくざ)」が復活した。
拡幅整備されたこの通りは、向かい側に落語を聞かせる落語ミュージアムもあり、少しづつ、
賑わい取り戻しつつあるようだ。
呉服橋を西から東へ渡れば、もう池田市内。
そのかかりの路地を入るとお寺と古いたたずまいの民家があった。
向かって左は、「西光寺」。浄土宗の寺である。
右側が古い造酒屋(つくりざかや)、吉田酒造の今にのこる建物です。
酒造業は、昔からその町の中心として栄え、財を成した有力者が多い。
従って、建物もしっかりしており、町として保存される建造物も多い。
私たちの隣町「池田市」は、京都・能勢・西宮の街道筋にあたり古くから栄えてきた。
従って、現在でも他の都市には見られない古い町並みがのこっている。
寒い冬の一日、運動をかねて、徒歩で西の境界にあたる猪名川から市内を見た。
猪名川の橋上から五月山を見る。
2011年1月3日、午後から、神戸の生田神社へ初詣に出かけた。
元日にくらべれば、天気も穏やかで暖かかった。
初詣風景は例年と変わらないように見えたが、楼門の上で叩く、神戸太鼓保存会の
「神戸太鼓」の響きが威勢よく、元気をもらった「初詣」だった。
我が家では、今年はじめて、「おせち料理」を、ある放送局の「テレビショッピング」を見て購入した。
12月30日に「冷凍」で届いた料理は、冷蔵庫で解凍後、元日に食べたが、本当においしかった。
「三段重」、「63種類」も詰めあわされた料理は、鳥取県にある会社が作ったものだが、
どれも味がよく驚くばかり。
もちろん、放送局を信用して購入したものではあるが、これまで、他で買ったものより味が
よかった。
ただ、二人で食べるには量が多すぎて二日に持ち越した。
「料理人の腕」もさることながら、「PR方法」、「冷凍技術」、「配送技術」そして、食料品の
「管理技術」の進歩などが、正月料理にも生かされてきたのだろう。
正月の祝い膳としてのこる日本の「おせち料理」も
スーパーやコンビニが元日から営業し、デパートも二日から開店する時代。
はたして、これからどうなっていくのだろうか。
皆様のご健康とご多幸を祈ります。
ところで、今年は、雪の正月かとおもいましたが、
私の住む兵庫県南東部は、朝から晴れ、
午前7時半ごろには東の山に初日の出が見えました。
ことし一年、よい年になってくれればと願います。
今年も、親戚の書家から届いた、干支の「卯」の古代文字を紹介します。
跳ねる「卯年」を願って書いたそうです。