"四季折々 この一枚″

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「小金井公園」に心いやされて

2014年05月31日 12時05分04秒 | 画像

東京都小金井市。午後の「小金井公園」です。

公園の大きさは約80ヘクタール。日比谷公園の約4.9倍。

草地をとりまく雑木林。昭和29年1月に開園しました。

野球場やテニスコートなど、いろんな競技施設を抱え、桜や四季折々の花を咲かせます。

「江戸東京たてもの園」もこの中にあるのです。

今回の東京旅行で、デジカメ263枚のシャッターを切りましたが、上の写真が

いちばん、私の印象に残ったので、あえて、最後に一枚だけ掲載しました。


「KITTE(キッテ)を見る」 写真旅(6) 

2014年05月29日 10時45分07秒 | 紀行

東京駅丸の内、南口の天井です。

その南口を出たところ、旧東京中央郵便局が建て替えられて新しくなっていました。

「KITT(キッテ)」という、地下1階、地上6階のビルです。去年の3月の開業です。

1階のアトリウム。大きな吹き抜けの空間です。

はとバスのガイドさんが、「お昼は『KITTE』で食べられるのもいいですよ。
6階からは東京駅が一望に見えます」と、教えてくれました。

6階のテラスから見た丸の内と東京駅です。

レストランやショップもかなりの数入っており、穴場を感じさせてくれました。

 

私たちは、ここで、昼食を済ませ、午後の新幹線で帰宅の途につきました。

                                                  (写真旅 おわり)

 

 


「銀座テラス」 写真旅(5)

2014年05月27日 10時47分48秒 | 紀行

水曜日、お昼前の銀座です。

これから、食事時を迎えて、ドット、人が出てくるのでしょうか。

昼食は家内と二人。
ウロウロするのも疲れるので、銀座三越の上階、レストラン街で
探すことにしました。

食事のあと、9階に下りてくると、「銀座テラス」と名付けたフロァーがありました。

広いフロァーに椅子が並び、
軽食やスイーツの店が安い値段で店を開いていました。

高齢者や子供づれのお母さんたちが多く、モールやスーパーのレストラン街を
おもわせてくれました。

買い物客は、自由に座って休憩し、
飲んだり食べたり。

うん、これでなくちゃー。

銀座と言えども、今や、お高くとまっている時代ではなくなっているのです。

デパートの売り上げが云々される時代。まず、お客さんに来てもらうことが第一。

それには、なりふりかまっている時代ではないのでしょう。

関西の新しいデパートも見習うべし。そんなことをおもって眺めていました。。

屋上庭園にも出られる銀座三越9Fの「銀座テラス」です。

(この写真は「銀座三越」のホームページから複写)


「スカイツリー 5景」 写真旅(4)

2014年05月25日 10時38分50秒 | 画像

            今回の東京旅行では、スカイツリーには上りませんでした。

     さすがに日本一の高さを誇る「ツリー」だけに、都内のビル陰を除けば、どこにいても
                       「スカイツリー」が見えました。

             2日めの柴又へ行った日は、ツリーの最寄り駅、「押上」駅で
           地下鉄と京成電車を乗り換えたため、スカイツリーのそばにも行って見ました。

             しかし、この日は風が強く、突風気味で室外に出るのも
                       息苦しいほどでした。
        

       翌日の早朝から、左眼の上瞼が腫れ、以後のスケジュール調整に難儀しました。


「両国 夏場所」 写真旅(3)

2014年05月20日 14時53分10秒 | 画像

「両国 国技館」

大相撲「夏場所」が5月11日からはじまりました。

ここは、錦糸町駅の隣、JR両国駅です。

駅の構内にも優勝力士の額が飾られ、相撲人気をあおっていました。

 

中には、力士と背くらべをする人もありました。

この日は相撲を見に行ったのではありませんが、

両国駅を出ると、意外に喧騒なので、つい、国技館の入口までいって見ました。

知り合いのお相撲さんなのか、それとも、通りがかりなのか、

お相撲さんもカメラに向かってポーズをとっていました。

一時に比べて、相撲人気がかえってきているのか、

柵の向こうで、「遠藤!」などと呼ぶ大きな声が聞こえていました。

(5月12日、14時ごろ写す)

 


「矢切の渡し」 写真旅(2)

2014年05月19日 19時47分47秒 | 画像

  「矢切の渡し」

葛飾「柴又帝釈天」から徒歩で10分足らず。

帝釈天の北側の道を東へ歩くと、江戸川の堤に出ます。

堤に上がれば「矢切の渡し」は、もう、目の前、柴又公園の先です。

「渡し」のかかる江戸川は、利根川水系の分流で茨城、千葉、埼玉の各県と

東京都を流れる 全長 59.5kmの一級河川です。

葛飾柴又と対岸の千葉県松戸市矢切の間に残る、この「渡し」は、

寛永8年(1631)、幕府が、関東代官を管理者としてはじめましたが、

今は私営の「観光渡し」となっています。

運航期間はきめられており、いつでも乗れるというものではありません。

柴又側の渡船場も看板がはげていました。

           「見すてないでね・・・・  ついておいでよ・・・・

                   北風が  泣いて吹く  矢切の渡し・・・・    」

       この日も強い風が吹いていました。砂塵が舞い上がっていました。

しかし、それは、北風ではなく、南からの風でした。

歌碑もありましたが、木陰で字も黒く、光線も悪く、よく読めませんでした。

大ヒットをした演歌、「矢切の渡し」ですが、

現地は、何か、もの悲しい雰囲気が漂い、早々に立ち去りました。

         (写真は、2014年5月12日 11時過ぎに撮影しました)

       (ブログ「春夏秋冬 75」でも、「東京・旅物語」を掲載しています。
        ご覧になる場合は、画面、右のブックマークの下、「春夏秋冬 75」の文字を
        クリックしてください。リンクしています)

 

 


「富士山・東京駅」 写真旅(1)

2014年05月16日 18時27分07秒 | 画像

5月11日(日)、長男一家と会うため、家内と二人で上京しました。

この日は快晴で、富士山がよく見えました。

車窓から見る、こんなきれいな富士は初めてです。

新装成った東京駅です。3枚の写真を合成しました。

丸の内のオフイス街です。

日曜日とあって家族連れが目立ちました。

ホテルの前の錦糸町公園から見た「スカイツリー」です。

ブログ「春夏秋冬 75」とあわせてご覧ください。


ヒトツバタゴの花

2014年05月10日 10時31分04秒 | 画像

タイトルだけをご覧になった方は「こりゃあなんじゃあ」と

おもわれたかも知れません。

近くの公園で見かけた「ヒトツバタゴ」の木です。

モクセイ科に属し、同科の「トネリコ」に似ていると言われます。

ご覧のように別名、「ナンジャモンジャ」の木と表示されおり、

ニレ、コレ、それに、菩提樹などもこの木に似ているということです。

新緑に映えて花は雪をかぶったような感じです。

空が、もう少し青かったら、もっと、映えたかもしれません。

 


成徳小学校、67年前の思い出

2014年05月03日 15時27分10秒 | 画像

一昨日、神戸市灘区役所に所用があり、出かけました。

区役所は、「JR六甲道」駅から南へ約3分のところです。

付近は、「阪神・淡路大震災」から立ち直り、
高層マンションが目を奪う繁華街に変貌していました。

帰路、JR線路の南側、六甲道駅の東、約300mにある、
神戸市立成徳(せいとく)小学校に寄ってみました。

ここは、太平洋戦争が終わって間もない昭和22年、私が通った校舎です。

と言うのも、当時、空襲で一部が焼けた小学校は、校舎を補修し、
小学校と中学校が同居していました。

私は、石川県の疎開先から神戸に戻り、
JRの線路(当時は国鉄)の北側、高羽の家から、
この校舎に間借りをしていた中学校(工業学校)に約2年間、通ったのです。

         当時とは、スッカり変わった、たたずまいを見せる「成徳小学校」です。

当時は、B29の空襲から校舎を守るため、外壁が黒く塗られたいました。

校舎も、たしか、南北に長い一面でしたが、今は、かぎ形になっていました。

人口が増え、増築されて、こんな形になったのでしょうか。

運動場の南東隅には、これまでの歴史を伝える石碑が残されていました。

「皇紀二千五百九十二年昭和七年四月一日開校」と刻まれた石碑もありました。

国鉄で通う電車通学の生徒も多く、
徒歩通学の私は、学校まで、ずいぶんと遠いおもいをしたことを
思い出しました。

当時、国鉄の線路を徒歩で越えることはできませんでした。

現在は線路が高架になり、人も車も通れるようになっていました。

私たちは、その後、学制改革で、市内西部の新制高校へ通うことになり
小学校との同居生活に別れを告げました。

学校の東側には整備された小さな川が流れ、
近所には大きな公園がありました。

震災後、災害に強い街づくりを目指した市や付近の人たちの
努力が実を結んだのでしょう。

それにしても、あれから67年、ずいぶんと古い、昔の話です。
食糧難の時代、ここに通った当時を思い起こしました。

住宅地の中の立派な小学校に変貌した「成徳小」には、
現在、900人余りの児童が通っているそうです。