きのう、「秋の気配」と書きましたが、今朝は、きのうより涼しく、小雨が降っていました。
梅雨時を思わせるような雨で、毎年、花を咲かせる庭の野の百合も
しっとりと濡れていました。
昨夜は孫から電話があり、東京のIT関係の企業に就職が決まったと、
嬉しそうに話してくれました。
これから、どんな人生を送るのか解りませんが、自分できめた道です。
元気で、真面目な生活をおくってくれれば、これに勝るものはありません。
山あり谷ありの人生に、 幸 多かれと祈るばかりです。
きのう、「秋の気配」と書きましたが、今朝は、きのうより涼しく、小雨が降っていました。
梅雨時を思わせるような雨で、毎年、花を咲かせる庭の野の百合も
しっとりと濡れていました。
昨夜は孫から電話があり、東京のIT関係の企業に就職が決まったと、
嬉しそうに話してくれました。
これから、どんな人生を送るのか解りませんが、自分できめた道です。
元気で、真面目な生活をおくってくれれば、これに勝るものはありません。
山あり谷ありの人生に、 幸 多かれと祈るばかりです。
(今朝の兵庫県南東部の空。8月27日、午前7時30分写す。)
今朝は、夜明け前から気温が下がり、しのぎやすく感じました。
新聞を読んで、起きだしてみれば、澄み切った青空に白い雲が千切れ飛んでいました。
いかにも、空は「秋の気配」です。
早速、カメラを持ち出して、パチリ。 それがこの写真です。
「広島では、今朝も、夜を徹した救出作業が続いていたのだろうな」、とおもいながら、
早くも訪れた秋の気配に、季節の移り変わりのはやさを感じました。
午前9時を過ぎると、うす雲が広がり、気温も上がって夏が戻ってきました。
たぶん、こんな繰り返しで秋に入っていくのでしょう。
今年は、7月の祇園祭前後から暑くなり、8月はじめにかけて猛暑が続きました。
勝手な話ですが、待ち望んだ夏も終わりに近づくと、
早く秋になってほしいと願う、
今日、このごろです。
24日の日曜日、所用があって大阪の中之島まで出かけました。
ちょうど、お昼時の13時ごろのことで、近くにレストランも見かけなかったので、
フエスティバルホールの地階にあった英国風のパブに入りました。
私は酒を飲まないので意外におもったのですが、昼間のパブに、
お年寄りの客が多いことでした。
まあ、夏休みの日曜日とはいえ、昼日中から子供づれでパブに来る親も
少ないかもしれませんが、それにしても、高齢者が多いのには驚きました。
料理の値段も、おもっていたより安く、お昼にはもってこいの店でした。
帰宅は16時ごろになりましたが、集中豪雨に見舞われて、
最寄りの駅からずぶぬれになって帰宅しました。
広島市内で、おもわぬ大きな「土砂災害」が発生しました。
家内の友人が「安佐南区」内に住んでいるため、我が家の関心も、それなりに高く、
連日、TVにクギ付けになりました。
その後、友人の家は無事だったことがわかり、ホットしましたが、それにしてもひどい災害
でした。
それほど、高い山の麓でもないのに、「なぜ、これぐらいの山の土砂で、あれだけ多くの人が
犠牲にならなければいけないのか、不思議なほどでした。
山が「まさ土」だったとか、いろいろ、言っていますが、そんな危険がある土地を、なぜ、
住宅地に開発したのか?。
危険地域に指定すると、土地の価値が下がるので住民が反対した、とも報じられていますが、、
人命には変えられません。
また、「避難指示」はどうだったのか。 問題は多くあります。
自治体の責任?を問う声も、これから大きくなってくるでしょう。
他県に住むとはいえ、私たちも同じような環境におかれているのも事実です。
一人でも多くの人が生還されることを念じながら、現状を見守っていきたいとおもいます。
先週の木曜日、14日に専門の業者に依頼して駆除してもらった、
「キイロスズメバチ」のその後について記します。
結論から言えば、現在、ハチの姿は見なくなりました。
あの日、ハチを駆除した後、業者は、「一応、ハチが出入りしていたところは、蓋をして
かえります。3~4週間してハチがいなければ蓋は取ってください」。
「万一、まだ来るようでしたら、会社へ電話をください。又、寄ってみます」と言って帰りました。
ところが、駆除した翌日、1匹、見かけましたが、16日は雨が降り、ハチは見なくなりました。
不思議なものですね。
出入りしていた場所がふさがれたこともあるでしょうが、
周辺からもハチの姿を見なくなったのです。
床下の通気孔は、2箇所を塞いで帰りましたので、その後、養生テープを購入し、
はがれないように、私が補強しました。
きょうで一週間が過ぎます。
たぶん、もう、スズメバチは帰ってこないでしょう。
あとは、家の床下に通じる通気孔を補強して、
これからも、ハチに入り込まれないように、どうするか。
それなりにたいへんです。
我が家の床下へ出入りするハチが気になりだしたのは3週間ほど前のことでした。
家内は、「もっと以前から気がついていた」とは言っていますが。
そのハチの主な通り道は、床下の空気抜きの通気口(巾約40㎝)です。
通気口以外に、壁と柱のつなぎ目からも出入りしているようでした。
写真に撮って、12日に市役所を訪問しました。
市役所では、「見えている巣は市役所でも駆除しますが、見えないところは、専門業者に
依頼してください」とのことで、
専門業者をおしえてもらい、帰宅後、さっそく電話をかけました。
その日、12日の夕方には下見に来てくれて、作業は14日に決まりました。
その駆除作業は、きのう14日、14時から若い人3人で行われ、成功しました。
下見をしていた部屋に、上げた畳などを利用して小さなビニールハウスを作ります。
その中へ、防ハチ服を着た担当者がもぐりこみ、床板を上げ、
縁の下の蜂の巣を獲り除きます。
別の作業員が、ハチが出入りしていた穴をふさぎ、
ハチが出入りできないように外からもブロックします。
中に入った作業員は床下のハチを殺して、巣をかき出して袋に収めます。
床からビニールハウスへ逃げ出したハチは、外へ出ないように、
ハウスの中で処理するようです。
この間、約2時間。
いやあ、大きな蜂の巣でした。直径は20cmぐらいだったとか。
秋になれば、この倍ぐらいの大きさになるだろうとのことでした。
予想通り、「キイロスズメバチ」だと言っていました。
『「スズメバチ」に刺されたら、救急車を呼んで病院へ行きなさい』、と
書いてあるほどで、まずはヤレヤレ。
この日は枕を高くして眠ることができました。
暑い中、作業にあたってくれた3人も、よく頑張ってくれました。
ハチ退治用にバトミントンのラケットが数本、
車に積んであったのが印象的で、わかるような気がしました。
69年前の「あの日」の私の記憶は、定かではありません。
確か、石川県小松市内の中学校から汽車に乗って、間借りをしていた山代温泉の
町内にある家に帰ってきました。
そこで初めて、母親から、「日本は、とうとう負けたよーーー」、と聞かされたように
おもいます。
8月15日の「終戦の日」を迎えるたびに、毎年、思い出しているのは、この記憶です。
疎開先の石川県江沼郡山代町では、空襲の心配こそありませんでしたが、、食料不足
から来るひもじさは、空襲で焼け出された神戸とは、そんなに変わりはありませんでした。
街にあふれる、「撃ちてし 止まん」や「一億玉砕」の標語ばかりが頭に残り、戦後、学んだ
終戦秘話や実際の体験が頭の中でこんがらがっているのです。
大きな樹をゆするように、「ザワザワ、ザワ」と頭上に降ってくる焼夷弾の音。
昭和20年に、神戸の灘区内で焼け出された私たちは、商売をしていた父親が神戸に残り、
母親とこどもたち4人が、父親の親戚を頼って、福井県の敦賀から石川県の大聖寺、そして、
山代町と逃げ延びてきたのです。
兄は学徒出陣で、海外へ送り出される寸前でした。
終戦のとき、私は確か、13歳でした。
来年は、「戦後70年」になります。
それまで元気で、もっと、なにか、意義のあることが書ければ、とおもっています
台風11号が去ってから、関西地方は好天に恵まれてきました。
意外に涼しかったのですが、きのうあたりから、また、暑くなってきました。
今日は、朝から曇り空で、西日本では雨模様との予報が出ています。
ところで、我が家では、二、三週間前から和室の縁の下に出入りする
「ハチ」の群れに気づき、とうとう、専門業者に駆除を依頼しました。
その作業が、きょう午後からあるので大騒動です。
市役所を通しての専門業者なので 間違いはないとはおもいますが、
どうなることやら、経過は、また後日、報告します。
(写真はきのう、13日に撮影したものです)
台風11号は、けさ、四国に上陸したあと兵庫県に再上陸しました。
台風の上陸は、久しぶりのことなので、その経過と感じたことを記しておきます。
台風11号は、今朝、6時過ぎに高知県の安芸市付近に上陸しました。
そして、高知県から徳島県に入り、鳴門市付近から播磨灘へ出て、
10時過ぎには兵庫県の赤穂市付近に再上陸しました。
12時ごろには、兵庫県の中部、丹波市付近を、時速、およそ35kmの速さで
北北東へ進んでいます。
兵庫県の南西部、大阪府に隣接する我が市では、
10時ごろから風雨が激しくなり、「台風らしさ」を感じましたが、
13時を過ぎると、それも、弱まり、いま、14時現在、多少の雨は降っていますが、
もう、台風の感じはありません。
雨、風が強かったのは、約3時間と言うことになり、
我が家では被害はありませんでした。
これだけ、台風に慣らされてくると、自分でも大体の予想はできるのですが、
やはり、情報はテレビに頼ることになります。
中でも、つい、NHKにチャンネルを合わせます。
NHKの画面ですが、各地の情報(字の流れる部分)は、
画面の下位置の方が良いとおもいます。
それから、台風の経路と進路予想図ですが、出しっぱなしではなく、
間隔があいてもよいので、
もう少し大きな図を出した欲しい、とおもいました。
台風11号の中心は丹後半島の東から日本海へ抜けたようです。
暴風域も今夜には本土から海上へ出そうです。
そして、これから、各地の被害が集計されてくるとおもいます。
日本では、こんな災害が、何百年も前から繰り返されてきたのかとおもうと、
ゾットします。
台風の通過した高知では、きょうの午後、「よさこい祭り」が開かれます。
兵庫県も、あすは、多分、「台風一過の快晴」でしょう。
(写真は、12時ごろ、家の中から撮影しました)
台風11号の接近が伝えられています。
去年から今年にかけて、台風は近畿地方の手前で東方向へ進路を変えることが多く、
直接の被害は救われてきました。
この11号は、どうなるでしょうか。
上の写真は、南から見た「梅田阪急ビル オフィスタワー」(41階)です。
オフイスビルの15階には広いエントランスがあり、四方が見渡せます。
右上は、北方向を見たところ(ここだけは、24階の銀行から撮りました)。
その左は、西方向、JR大阪駅南側で大丸や阪神百貨店が見えます。
左下は、南方向、梅新から御堂筋方向です。
その右は東方向を見たところ、大阪城が小さく見えています。
ところで、台風11号ですが、今回は、九州南部か四国に上陸し、岡山付近を
北北東方向へ進み、日本海へ抜ける進路予想です。
近畿地方にとっては、久しぶりの台風接近なので、それなりの対策が
大切とみています。
夏になると、涼しそうな「風鈴」の音を
懐かしく感じるのは私だけではないとおもいます。
風鈴は、関西では毎年、夏場に百貨店の「催し場」で実演販売が行われています。
今年も、梅田の百貨店で涼しげな音色を響かせていました。
これは、「江戸風鈴」です。
実際に作っているところは見たことがありませんが、熱したガラスを宙吹きで製作し、
彩色は、内側から手描きで、ひとつひとつ、仕上げるそうです。
今年は、江戸風鈴だけでなく、「南部風鈴」も店を出していました。
岩手県の伝統工芸、南部鉄器でできた南部風鈴です。
ガラスと鉄器では、その音色も違います。
鉄器の方が多少、「高音」でしょうか。
会場には涼しげな音が響いていましたが、最近の住宅地では、
「風鈴の音がやかましい」と苦情を言われる家もあるとか。
難しい時代です。