"四季折々 この一枚″

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日本全国 「梅雨」が明ける・暑い夏 到来

2019年07月31日 15時09分44秒 | 記録

 長かった梅雨も、今日、東北地方が明け、日本全国で

真夏になりました。

 

 

写真は、今日、午後2時の我家の上空です。

まだ、黒い雲が少し残っていますが、いずれ青空に夏の雲が

湧き出してくるでしょう。


写真は、6月になって購入した「スマホ」で撮影しました。

パソコンに写真を取り込むのに苦労しましたが、どうにか出来上がりました。


これからは、写真が減ってくるかも知れません。

 


東海道五十三次どまん中茶屋・袋井宿(そのニ)

2019年07月18日 15時57分49秒 | 紀行

 
その昔、この袋井宿に50軒もの旅籠が軒を連ね、人の往来が激しかったのでしょうか。?

歌川広重(1797~1858)は、62歳で亡くなりました。

36歳のとき、幕府のお馬献上の行列に加わって、東海道を

往復したと言いますから、当時をスケッチしていたのかも
知れません。

ということは、江戸時代の後期、徳川家斉の時代の描写
である可能性があります。

袋井の東隣は「掛川宿」(現掛川市)。西隣は「見附(みつけ)宿」(磐田市)です。

掛川と袋井のあいだが、見附宿との間より、少し長いので、東から来た人たちは、袋井宿で宿をとったり、ひと休みを
した人が多かったかもしれません。


東京2泊、浜松2泊の予定で旅に出た私たち。

家内の姉が袋井に住んでいるので立ち寄った街です。

往時の面影を残すのは、このお茶屋だけかもしれません。

 広重の画をよく見れば、出茶屋の先に海が見えます。

現在では、太平洋に面しているとは言っても、海は見えません。

ちょっとした休憩所だったかも知れません。


現在の「どまん中茶屋」は、よくできていました。


なかなか趣のある建物で、模写した浮世絵を飾り、土産品を売る傍ら、立ち寄る観光客にお茶や饅頭を出して接待して
くれました。


 

接待役は、街から選ばれた数人の女性が「交替で当番を決めて接客に当たっている」とのことでした。

この日の当番は、たまたま、その中でも代表の方で、
「こんな天気なので、お客さんは、ないとおもっていました。それが、4人も来ていただけて、うれしい」。

と喜んでくれました。

 
茶屋を後にした私たちは、市内の新鮮な野菜市をのぞいて、
親戚の家を訪ねました。

 

最後にここで買ったお土産をお見せして旅の終わりにします。

 

「丸凧」の模型です。表現は、丸凧でよかったので
しょうか。

この地方では「凧あげ」が盛んと聞きました。

それは、風が強いからかも知れません。

遠州灘をわたる強い風を、笠と蓑合羽で避けながら、
先を急いだ旅人たち。

「袋井茶」の一服も、待ち遠しかったかも知れません。

 

 「その一」、「そのニ」で取り上げたコピーは、
いずれも「袋井市の観光パンフレット」を複写した
ものです。

             (東海道五十三次 終わり)

 

 

 

 

 

 

 


東海道五十三次どまん中茶屋・袋井宿(その一)

2019年07月16日 13時38分38秒 | 紀行

初代歌川広重が書いた『東海道五十三次「袋井出茶屋之図」』の
コピーです。

静岡県袋井市は南北に細長い地形で、南は浅羽海岸で太平洋に面し、北は遠州森町になります。
法多山尊永寺(はったさんそんえいじ)をはじめ、遠州三山の
歴史ある寺や神社が点在し、
いわば、それらの門前町の形で栄えて
きましました。

人口は8万8千人余り、太平洋に面した
気候温暖の地で、
クラウンメロンや、お茶、お米を特産品とし、新鮮な野菜が多く獲れる豊かな地域です。。

新鮮な野菜市は、いつの日も買い物客でにぎわいます。

日本の幹線「東海道五十三次」のほぼ中間に位置し、市の東部には
まだ、旧東海道の松並木の一部が残っているそうです。

この旧東海道に宿場の整備を進めたのは徳川家康で、袋井も1616年、徳川秀忠の時代に宿場として整備されました。


袋井市は、「五十三次」の江戸、日本橋から数えて27番目、京の
三条大橋から数えても27番目の宿場です。


そんな位置から、「どまん中」の言葉が生まれました。

上の図は、市の観光案内図から複写したものですが、一時、袋井宿には、本陣が3軒、旅籠(はたご)が50軒もあったそうです。

東西文化の中間点として、物資や人々の往来、秋葉山への参拝客
でにぎわったと言われます。

見取り図の右端、上の方にある茶屋は、現在の「東海道どまん中茶屋」の場所です。

広重の浮世絵木版画に出てくる「出茶屋」とは、ずいぶんと異なり
ますが、現在の「茶屋」は、町おこしの一貫として、ここを訪れる
人たちに喜ばれています。

それでは、「東海道五十三次どまん中茶屋」をのぞいて見ましょう。


                      (次回へ 続く)

 


七月七日は「七夕まつり」

2019年07月06日 15時58分17秒 | 歳時記


明日、七月七日は「七夕まつり」です。

「笹の葉 さらさら のきばに ゆれる
            お星さま きらきら きんぎんすなご ---」

 昔から子供たちに親しまれてきた、この歌は、昭和16年(1941年)に
文部省の「うたのほん」(下)に掲載されました。

写真は、私たちの住む街のターミナルに飾られているものです。


「ひなまつり」や「端午の節句」などと同じく、五節句の一つになっています。

その昔は、中国から伝わったとも言われています。

青、赤、黄、白、黒、などの短冊に、願い事を書いて
飾るのが習わしになっています。

最近では、梅雨明けの時期と重なって、大雨情報が
幅を利かせているのが困ったことです。

 

ところで、6月の27日から7月の1日まで、4泊5日で東京と静岡県を
旅行してきました。

それをブログを掲載するべく、目下、準備中です。