"四季折々 この一枚″

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退院のご報告

2015年11月28日 15時08分11秒 | つぶやき

(入院中の国立循環器病研究センター10階から見た
                         朝靄に煙る千里ニュータウンです)

11月10日、年に2回の検診日でした。

朝早く起き、家内につき添ってもらって、途中からはタクシーを利用して駆けつけました。

MRI撮影後、順番が来て、罹っている先生に呼び込まれました。
開口一番、「少し細くなっているところがありますね」。

「これは入院をして検査をして診なければなりません」。

「先生、家内も来ておりますので一緒に聞かせてもらっていいですか」?。
「どうぞ、どうぞ」で、あわてて家内を呼び込みました。

結局、脳に血液を送り込む付け根のところの血管が細くなっていることが確認でき、
先生は、「脳底動脈狭窄症」だが、検査をして調べますので、なるべく早く、
「検査入院」をしてください。

ということで、11月13日に入院しました。

それからは、通常の健康診断並みの採血や検尿から始まり、肺や心臓、頚動脈の
検査も受けました。

そして、20日の午後に造影剤をつかったCT撮影がありました。

翌21日、係りの担当医師は「細くなっているのは確かです。
難しい場所なのでカテーテルは使わずに、多分、薬で治療しながら、
3ヵ月毎ぐらいに検査をして、進行状況を診ていくことになるでしょう」と、
撮影された写真を見せてくれました。

(入院病棟)

               (長い廊下の東端に昇る朝日。網は、前にある建物の網です)

「薬はきょうから新しいものに変えています」。

あああ。これで、大丈夫なのかなあ。確かに、細くなっています。

カテーテルは逃れたが、日常の生活はどうなるのか? 
新しい不安と心配が沸いてきました。

退院3日前ぐらいに、右腰の内部に痛みがあり、痛み止めを出してもらうやら、
レントゲン撮影をうけるやら、病院を騒がせました。

結果は、27日の退院となったのですが、病院生活で弱った足腰は
時間がたたないと回復しません。

結局、これからは、薬で血液が滞らないようにつとめ、3ヵ月置きぐらいに
検査を受けて患部の進行状況をみることになりました。

まだ、退院二日目です。体調の管理と調節に取り組んでいますが、
つくづく、「人間」は弱いものだとおもいます。

現在は、少しでもはやく、入院前の体調に戻って欲しいと
自宅で養生に努めています。

(千里ニュータウンに沈む夕日。病院の窓から)


循環器病センターから退院しました

2015年11月27日 15時47分45秒 | 日記

11月13日から大阪府吹田市内の「国立循環器病研究センター」に検査入院を
していましたが、きょう、27日、午後、退院してきました。

無事に、と言おうか、なんと言うべきか。
目的は「脳底動脈狭窄症」の疑いを調べ、治療の方法を確認する検査入院でした。

検査の結果は、病名通りで、薬で治療することになり、きょう退院したものです。

休ませていただいたブログは、間もなく復活させていただきます。

とりあえずお知らせいたします。                     (作者)


しばらく休みます

2015年11月12日 17時57分17秒 | 画像

 

             (堂島大橋から上流方向を見た堂島川です。11月8日に写しました)

11月13日から国立循環器病センターへ「検査入院」することになりました。

ブログはシリーズの途中ですが、しばらく休ませてもtらいます。

発信ができるようになれば、また、報告します。悪しからず。(制作者)

 

 


東海道・秋の遠州路(3)城下町「掛川」

2015年11月09日 14時22分10秒 | 画像

外観3層、内部4階建ての天守閣を持つ「掛川城天守閣」です。

掛川の街は、新幹線の駅がでできてから、ずいぶんと変わりました。

観光都市らしくなってきたということです。

駅を降りたらすぐに、そう感じました。

JR東海道線の駅から北へ徒歩で約10分、掛川城の城郭に至ります。

城までの道も城下町らしい雰囲気を漂わせています。

掛川は、東海の街道筋にあり、古くから覇権の争奪戦が繰り広げられてきた土地です。

今川家の支配下から織田、徳川と渡り、豊臣の時代に入って山内一豊が入城、
掛川を治めました。

天守閣は、その山内一豊が築いたといわれています。

ところが、1854年、安政の東海大地震で損壊、明治2年、廃城となりました。

1994年(平成6年)、市民らの希望もあって、掛川城は140年ぶりに
「東海の名城」として復元されました。

お城の天守閣は木造建築だそうです。

日本の100名城の42番目に入っている、といわれています。

お城の北側に、城郭とは違った珍しい「ステンドグラス美術館」がありました。

内部には、掛川市の開業医、鈴木政昭氏が40年余りもかけて収集、
掛川市に寄贈されたステンドグラスが展示されています。

コレクションは、主として19世紀のイギリスとフランスで制作された
古典的な作品が多い、と説明パンフレットに書いてありました。

それほど大きな美術館ではありませんが、こじんまりとしており、
日本のお城の中の美術館としては、なんとなく優雅な感じを受けました。

                                                      (つづく)


東海道・秋の遠州路(2)世界一の木造「蓬莱橋」

2015年11月07日 15時24分14秒 | 画像

「遠州路の旅」は静岡県の島田市からはじまりました。

これは、あの、大井川に架かる世界一長い木造の歩道橋、
「蓬莱橋(ほうらいばし)」です。

全長、897.4m。通行巾、2.4m。賃取橋としても有名で、大人1回100円です。

明治3年、静岡藩主だった徳川家達(いえさと)が領民らの声を聞き、
農地の開墾を目的に橋を架けることを決断。

明治12年に完成しました。

 

大井川は、その昔から東海道の難所として知られていました。

徳川幕府が西からの外敵を防ぐため橋を認めなかったためです。

「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」。

唄にもあるように、雨で水かさが増すと、旅人は何日も足止めをされました。

山を越え、木曾路を越える、「中山道」が愛された理由かもしれません。

橋がないため、人は皆、川越え人夫に背負われたり、肩車でわたったものです。

旅人は、、雨の止むのを待ち、富士が見えるのを
待ち望んだことでしょう。

以前、島田へ来たのは何年前だったでしょうか。

10年、いや、もっと前だったかも知れません。



家内の実家の墓が、この島田市内にあり、今回は、
ここから旅をはじめました。


以前に来たときは工事中だった「JR島田駅」も、きれいに完成していました。

次は何時、ここを訪れることがあるでしょうか。

(つづく)


東海道・秋の遠州路(1)「八十路なかばふうふの書と絵画展」

2015年11月05日 13時52分02秒 | 画像

 

表題の「夫婦展」が静岡県袋井市の市役所2階、市民ギャラリーで
11月1日から11月10日の予定で開かれています。

実は、家内の姉とご主人夫婦の個展で、平成23年の10月に続いて2回目です。

題して、「八十路(やそじ)なかばふうふの書と絵画展」です。

季節も良し、体調もまずまずで、私たち夫婦も、10月31日から11月2日の
二泊三日の予定で出かけました。

個展見学をよいことに、「秋の遠州路」をまわるのが主な目的です。

静岡新聞の記事によれば、ご主人は小学生時代から書道が好きで
それなりに勉強され、現在も続けているそうです。

奥さんは、絵の先生に師事して、25年にもなるとのことでした。

何よりも、この年齢になって、夫婦で個展が開けるとは、
まことに、「おめでたいこと」と言わねばなりりません。

前回は、写真を送ってもらって拝見しただけですが、今回は、目のあたりにみて、

書も絵画も前回よりずっと素晴らしくなっているように感じました。

 

夕方には、「ひ孫」さんも姿を見せ、
初日でにぎわう会場の人たちに愛嬌をふりまいていました。

「この一枚が17枚」にもなってしまいました。申し訳ありません。

静岡県の西部にあたるこの地方は、かっては遠江国(とおとうみのくに)」と呼ばれ、
滋賀県の「近江国」(おうみのくに)と対比されてきました。
また、「遠州」とも言われます。

この地方の東の端に、「大井川」があり、大井川から東を
「駿河国」(するがのくに)と言っていました。

こらから数回にわたって、秋の「遠州路」を探訪します。

                          (次回は、「島田」の「蓬莱橋」です)