"四季折々 この一枚″

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シリーズ「秋の北陸路」(5) 那谷寺 2

2014年10月31日 10時56分40秒 | 紀行

山門を入って、石畳の参道を進むと、左手に「奇岩遊仙境」の
大きな岩山が見えてきます。

奇岩は、太古の噴火の跡と伝えられ、長い年月の間に
波や風雪に洗われ今日の奇岩が、かたち造られたと言われています。

国の名勝指定園になっています。

さらに、参道の先、左手の石段の上に本殿が見えてきます。

大悲閣拝殿は岩窟の中腹に建てられています。

本殿は拝殿の奥、岩窟の中にあり、十一面観音を本尊としています。

拝殿から見た境内です。

大悲閣西南の山上にある三重塔。重要文化財です。

「那谷寺(なたでら)」の往時は、付近の寺院、250ヶ坊に及び、
隆盛を極めました。

その後、戦火に焼かれて寂れた那谷寺は、
寛永17年(1640年)加賀藩三代藩主、前田利常によって
再建されたといわれています。

境内には、現在、7棟の国の重要文化財建物と名勝指定園があります。

「石山の 石より白し 秋の風」。

松尾芭蕉がこの地に立ち寄ったとき、「おくの細道」に詠んだ句の句碑です。

あいにくの雨模様の天気に、「石より白しーー」、というような秋風は無く、
おもうような写真も撮れませんでした。

それでも、境内の雰囲気は素晴らしく、
句碑を眺めて好天を思い浮かべながら、次の目的地
「金沢}へ向かいました。

 

 

 

 


シリーズ「秋の北陸路」(4)那谷寺 1

2014年10月30日 10時01分06秒 | 紀行

10月21日の「那谷寺(なたでら)」です。

岩山と四季の草花に囲まれた那谷寺は、石川県小松市那谷町(なたまち)にあります。

粟津温泉の旅館、「法師」からマイクロバスで約10分。

那谷寺の門前は、「那谷」の看板目立ちます。

町の人口は700人足らず。
昭和30年に那谷村から「町」として小松市に編入されました。

看板の割には、小松市内の那谷姓は、わずか2軒と聞きましたから、
お寺以外は、みんな「屋号」なのですね。

「 那谷寺由来」にもあるように、このお寺は白山信仰のお寺で、
養老元年(717)、泰澄禅師(たいちょうぜんし)によって開創されました。

禅師は自らが造った十一面千手観音を岩屋に安置し、お堂を建立(こんりゅう)し、
「自生山 岩屋寺」と名付けました。

その後、寛和2年(986)、西国三十三番札所を開かれた花山(かざん)法皇が
この地に行幸されたとき、岩窟内の観音様を見て、
一番札所、紀伊那智山の「那」と三十三番、美濃の谷汲山の「谷」の
各一字をとって「那谷寺」と改め、七堂伽藍を造営された、と伝わっています。

間もなく、平成29年、2017年に那谷寺は、「開創1300年祭」を迎えます。

山門を入って、直ぐの左手に金堂 華王殿(けおうでん)があります。

ご本尊の千手観音や白山曼荼羅、泰澄禅師、花山法皇を安置し、
那谷寺の仏事祈祷は、このお堂で行われていると言います。

この金堂は、平成2年に建立されました。

この日、10月21日もあいにくの天気で、雨こそ降っていませんでしたが、
空はどんよりと曇り、残念ながら、写真にはむかない一日でした。

                                      (那谷寺の項はつづきます)

 


脳内血管に変化なし

2014年10月28日 14時52分46秒 | 報告

脳の血管などに異常が無いか診てもらうため、年に2回ほど、吹田市内の
「国立循環器病研究センター・脳内科」へ行っています。

きょうは、午前9時から頭のMRI&Aの撮影と診察があるため、
7時40分に、家内と二人で自宅を出発しました。

検査は順調に進み、担当の先生は、「特に変わったところはありません」。

「人の名前が直ぐに出てきません」。「もの忘れがすすんだようにおもいます」。
と話しましたが、「年齢の割には、いいですよ」、とのこと。

「次回は診察だけにしましょう」、と言うことで、来年の4月に予約が取れました。

「異常なし」、の診察にホットし、
病院周辺の紅葉も色鮮やかに見えました。


シリーズ「秋の北陸路」(3) 粟津温泉

2014年10月26日 10時39分54秒 | 紀行

JRの加賀温泉駅からマイクロバスで約20分、
粟津の駅からは、約10分で粟津温泉に到着します。

この温泉は、「白山」の開祖と伝えられる、
修験道の僧、「泰澄大師(たいちょうだいし)」によって、
養老2年(718)に発見されたのが始まりと伝えられています。

小松から、一ヵ所、お寺に立ち寄ったあと、
雨の中を、早々と目的地の旅館「法師」にはいりました。

450人を収容するという、この旅館も、この日はウイークデイとあって、
それほどの混雑はありませんでした。

泰澄禅師が、この粟津温泉を弟子に湯治宿として任せたのが
「法師」の始まりとかで、創業、約1300年の歴史になります。

歴史を感じさせる庭には古木も多く、緑の苔に風格があります。

1938年(昭和13年)生まれのご当主、法師善五郎さんは、
42歳で「法師」の46代目、を襲名したと言います。

現在、毎朝、午前6時45分から、ロビー横の広間で
宿泊者への早朝講話をつづけています。

「人々の心と体を癒すという旅館の目的は、1300年前も今も変わりません。
どんな工夫が必要かこれからも考えていく必要があります」、と言っています。

日本人の生活様式が変化する中、「これからではなく」、
素早い対応が大切かもしれません。

                                 (次回は「那谷寺」をお伝えします)


シリーズ「秋の北陸路」(2) 小松市

2014年10月24日 17時28分51秒 | 紀行

10月20日(月)朝、家を出るときは曇り空でした。

11時半過ぎの特急サンダーバード、
京都を出てから車窓に雨が当たりだしました。

これから三日間、雨の「北陸路を往く」、旅の始まりでした。

降り立った小松駅西口広場は本降りの雨でした。

駅前の風景は、私の記憶に無い立派な駅に変わっていました。

と言うのも、この駅には深い思い出があります。

終戦の年、当時、中学校1年生だった私は、縁故疎開でたどり着いた
山代温泉から、この小松市内にあった県立小松工業学校へ約2年間、
下駄履き姿で汽車にかじりついて通っていました。

当時の駅の面影が無いのは、年月の経過による、
当然のことかもしれません

この日は、知人の老舗和菓子店のご主人の出迎えを受け、車でお宅へ伺いました。

隣の家を買い取られたご主人は、和菓子店のほかに、隣のスペースも
焼き物や絵画の愛好家の展示場にされていました。

そして、私が通った工業学校の跡地へ案内してもらいました。

場所は、市内の中央部、「向野地方(じかた)2-29」。
現在は、「桜木町」という地名になり、大きな石碑が立っていました。

終戦を迎えたのもこの土地でした。

小松の駅からは徒歩で、2キロ弱の距離でしょうか、
もう、校舎は、ありません。

約70年も前の思い出の土地です。

当時の記憶は、薄れてはいますが、ここへ通っていたのです。

雨は止むことも無く、降り続いています。

それにしても、人口11万弱の小松市内は、
道路の道巾が広く、よく、整備されているのには驚きました。


小松市内から加賀市勅使にある、お寺、「洗心寺」に寄って、
雨の中を粟津温泉へ向かいました。

 


シリーズ「秋の北陸路」(1) 新幹線を待つ

2014年10月23日 14時43分19秒 | 紀行

来年3月の北陸新幹線の乗り入れを前に、金沢駅周辺は活気に満ちていました。

JR金沢駅はその中心とあって、工事も急ピッチに進んでいます。

東口のガラス張りのドームは、雨にぬれない「もてなしドーム」。

そして、伝統芸能の鼓(つづみ)を模した「鼓門」が訪れる人を迎えてくれます。

私が知っていた「金沢駅」とは、ずいぶん、様変わりしていました。

この前、北陸を旅してから、もう、15年は経つでしょうか。

駅には、昔の面影は見当たりません。

今回は、小松市内、粟津、那谷寺、金沢市内、二泊三日の雨の中の旅です。

次回から、シリーズでお伝えします。


「秋の気配」深まる

2014年10月18日 17時06分46秒 | 画像

今朝は、最近で一番の冷え込みだったそうです。

台風19号が去って以来、天気は今ひとつでしたが、

きょうは、日が昇るにつれて気温があがってきました。

そして、雲ひとつない絶好の秋晴れとなり、我が家の近所でも大いに「秋」を感じました。

ターミナルの駅前にある1本の「杉」の木は、夏を越して、こんなに大きくなっていました。

幹の直径は、1mぐらいはあるでしょうか。

上を見上げると、青空のなかに、緑の葉が突き刺さっていました。

 


映画「ふしぎな岬の物語」

2014年10月16日 10時38分05秒 | つぶやき

先日、映画「ふしぎな岬の物語」を観てきました。

ご存知の吉永小百合が企画したという映画です。

モントリオール世界映画祭で、「審査員特別賞グランプリ」に輝いたと話題になっています。

観ての感想は、ひと言、内容がありませんでした。

吉永小百合も年をとり、往年の魅力はなくなっています。

ところで、きのう夜、大阪市内のホテルで、会社の同じ職場を経験した人、している人の
OB会がありました。

全部で、60人余り、集まったでしょうか。

映画の話になり、映画が「よくなかった」、と話すと、「観に行こうとおもっていたがやめときます」、と
言っている人がいました。

そんなことを言わずに「観てやれば」ともおもいましたが、
口伝えの宣伝も大切なことだと
よくわかりました。

 

 


「柘榴」の見える私鉄駅

2014年10月12日 11時28分26秒 | 画像

近くを走る私鉄沿線の駅で、今、柘榴(ざくろ)がたくさんの実をつけています。

映画「柘榴坂の仇討ち」で、柘榴の名前を思い出したくらいで、
最近は、あまり、お目にかからなかった柘榴です。

駅の構内ではありませんが、駅と隣り合わせの住宅の庭に咲く柘榴が
ホームから、よく見えるのです。

この駅では、1月に「ロウバイ」(蝋梅)の花が見られました。

秋は、「柘榴」が乗降客の眼を楽しませてくれます。

これも、マイカーを廃車にしたために気がついたことかもしれません。

ところで、台風19号ですが、「来るくる」と言いながら、なかなかやってきません。

別に、来て欲しいわけではありませんが、ちょうど旅行の計画と重なっていたため、
発生したときから関心を持っていました。

やがて、やって来るのでしょうが、気象庁の、いつもの予想図を書く筆の運びが、
やや、鈍っていたようにおもいました。

 

 


「皆既月食」直前の月

2014年10月09日 15時17分23秒 | 画像

2014年10月8日は、「皆既月食が見られる日」とあって、日本の各地でお月さんの
観察が行われました。

この写真は、皆既月食が始まる直前、兵庫県南東部の我が家のベランダから
撮影したものです。

撮影時間は、午後7時ちょうどの時点です。

月食は、太陽と月の間に地球が入り、地球が太陽の光を遮るために起る現象です。

ところが、地球の大気が赤い光を通すため、皆既月食でも「赤い月」を
見ることができるのだそうです。

この日、大阪では、7時24分から8時24分まで、皆既月食になりました。


台風接近・空は「紅に燃ゆ」

2014年10月05日 09時58分34秒 | 画像

台風18号接近のためか、4日の夕方は空が真っ赤に燃えていました。

あわててカメラを持ち出しました。

「強い台風」とは言いながら、この日、雨は降らず、
青空が顔をのぞかせる時間もありました。

台風は、この大空のはるか彼方の海上を、北へ向かって進んでいるのでしょう。

 


台風18号 接近

2014年10月04日 11時22分32秒 | 画像

強い台風18号が接近してきました。

19号も南の海上に発生し、続々と日本本土をうかがっています。

写真は、ターミナルの「オープン カフェ」です。

「広島の土砂災害」、「御嶽山の噴火」、そして、「台風」と、自然災害があとを絶ちません。

昔から、こんな現象の繰り返しだったのでしょうか。

これをなんとか乗り切らなければなりません。