"四季折々 この一枚″

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連休に快晴の青空

2020年02月24日 14時01分52秒 | リポート

きょう、2月24日は「天皇誕生日」の振り替え休日でした。

冬にしては珍しく、澄み切った青空。

新型肺炎騒ぎさえなければ絶好の好天気と言えたでしょう。

気温もグングン上がって大阪で13℃を記録しました。

わが家近くの公園も、梅が咲き芝生も色づいて、お孫さんを連れた
お年寄りの姿が目立ちました。

ただ、テレビをつければ、新型肺炎の話ばかり。

本格的な「春」が待ち待ちどうしい、とは言うものの、
この伝染病に、
一定の目鼻がつかないと、春の気分には、なれません。

この話。本格的な春までかかるのか。それとも、医学の力が被害に勝り、

終息への結論が出るのでしょうか。

「梅」も過ぎ、「桜」も過ぎるようでは、日本も、わが国の医学も大変です。


新型肺炎に悩みは尽きず

2020年02月16日 10時58分04秒 | 記録

薬疹の治療が卒業したとおもって14日の金曜日、かかりつけの

循環器の医者へ行きました。

もちろん、午前中に訪ねたのですが、玄関に、上のような
張り紙がしてありました。

受附では、「熱は出ていません」、と言って診察券を出しました。

関西では、ちょうど、和歌山県で病院のお医者さんが発病し、
「医者にも飛び火」と、新聞が書き立てていました。

待合室では、大勢の人が順番を待っていましたが、
意外と平然としていました。

張り紙を見ると、中国から来た新型肺炎が、
なにか、身じかに感じられて「ぞっー」、としました。


今回の騒ぎは、お医者さんも大変だなあ、とおもいます。


寒波 去り・「薬疹」も消える

2020年02月12日 15時58分11秒 | つぶやき

暖冬の中に「寒波」が訪れ、慌てましたが、その寒波も去り、
昨日11日は予報の通り、午後から晴れて寒さが消えました。
この写真は、買い物に出かけた、家内のお供をして近くの猪名川町松尾台で
スマホで
撮影した「画像」です。
5日ほど続いた寒波も去り、この日は、もう、春の日差しでした。


ところで、その翌日の今日12日は、去年の9月から続けて

罹っていた隣の市の病院の予約日でした。病名は「薬疹」。

薬に負けて湿疹ができ、それが「痒く」なる病気?です。

この病気については、今年の1月3日、このブログで詳しく書いておきました。

正しくは、去年の7月から、今日で8カ月目になります。

幸い、湿疹もほとんど消えて、痒みもなくなっています。

担当の先生も、「今日で予約は、もう、いれません。万一、痒みが出るようなら、
予約は入れないで直接、来てください。

少し、時間はかかるかも知れませんが?」

とのことで、無罪放免になりました。

長い時間がかかりました。

この他、血圧が高くならないように、循環器の医者にも、かかっています。

これは、これで、大変な医者通いですが、
年をとると多くの人が、気になる病気です。

薬疹は、名前は知っていましたが、初めての病気でした。

担当の若い女医先生もよくやってくれました。
皮膚科に感謝あるのみです。

ありがとうございました。


今冬一番の冷え込み 大阪で0℃を記録

2020年02月07日 16時03分02秒 | 記録

いやあ! 寒かったですねえ。

この冬一番の寒さ。午前6時の大阪市北区では、
気温0度を記録したそうです。

池田市の西隣、わが街でも2度を記録しました。

庭の水盤も氷が張りご覧の通り。

わが家の朝もストーブが部屋の中で5度を記録したそうです。
今冬の最低気温でした。

兵庫県の「かんなべスキー場」も、今日がオープン初日。

でも、テレビで見ましたが、スキー客はちらほら。

寒さは、まだしばらくは続きそうです。

 


八十八歳・米寿の誕生日を祝う

2020年02月03日 14時04分15秒 | 記録

私が生まれた1932年、昭和7年2月3日の「東京日日新聞」です。

「上海総攻撃愈々開始」の見出しが踊ります。

きょうより、二日早く、2月1日の夕方、
娘から、お祝いとして、「お誕生日新聞」が届きました。

「まだまだ長生きをしてください」という、一文も印刷されて
はいっていました。

新聞の包装は立派なもので、中の新聞も破れたり、
折れたりしない強いものです。

88年の私の人生の節々が取り上げられていて、楽しく拝見しました。

新聞の片面で11枚、入っていました。

終戦の日。昭和20年8月15日の翌日、16日の新聞です。

8月15日は、夕刊が発行されていなかったのでしょう。

私が20歳になった日のものです。当時の世相がうかがえます。

私の「結婚式の日」の新聞もありました。

最後にお祝いをくれた娘の誕生日の新聞を掲載しておきます。
(向かって左の面です)

どんな記事も、88年も過ぎると懐かしいものですね。

皆さんのご健康を祈っております。