"四季折々 この一枚″

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エドヒガンザクラ 満開

2014年03月31日 12時16分02秒 | 画像

兵庫県川西市水明台1丁目の猪名川沿いの斜面に、

いま、エドヒガンザクラが満開になっています。

「寒い、寒い」、と言っていた今年の冬でしたが、
3月の下旬になって、ようやく、暖かくなってきました。

ここ、水明台の斜面には、地元の「サクラを守る会」の人たちが再生させた
エドヒガンザクラの森が大勢の人たちを集めています。

 

 


「春」近し、寒さやわらぐ

2014年03月24日 16時23分32秒 | 画像

      長かった冬も、ようやく終わりを告げて、今日あたりから暖かくなってきました。

             関西地方の「桜の便り」も、もうすぐ聞けそうです。

                写真は、グランフロント大阪の南館です。

   梅田スカイシティーとの間、貨物駅の跡地もずいぶんと整備されたきました。

   月日のたつのは早いもので、暖かくなればなったで、暑い暑い、そして、また、
                       季節は巡ります。

 

 

 

 


神戸港の「クイーン・エリザベス」 2

2014年03月21日 16時15分11秒 | 画像

神戸に初めて入港した豪華客船、「クイーン・エリザベス」は、19日夜、

神戸港を出航するまで大勢の市民の歓迎をうけました。

望遠レンズを通して見た、豪華客船の向こう側です。

ポートターミナルのデッキには乗客を歓迎する舞台も設営されていました。

「クイーン・エリザベス」は、21日朝、長崎に入港。

その日の夕方、韓国に向かって出航します。

(「神戸のクイーン・エリザベス」 おわり)


神戸港の「クイーン・エリザベス」 1

2014年03月20日 10時51分26秒 | 画像

ワールドクルーズの途中、19日、午前8時に神戸港のポートターミナルに接岸した
「クイーン・エリザベス」は、その日の23時59分、次の寄港地、長崎に向けて
出航しました。

この画像は、神戸港に停泊していた「クイーン・エリザベス」の表情です。

 

「クイーン・エリザベス」は、21日、午前8時に長崎港に入港するそうです。

(つづく)

 


若狭路「敦賀」紀行 4

2014年03月14日 15時02分02秒 | 画像

敦賀駅前から「ぐるっと敦賀周遊バス」が、ほぼ、1時間おきに市内を走っています。

所要時間は約1時間。

「気比神宮」や「日本海さかな街」など、ここと言った見所を走ります。

乗っているだけなら、一人、500円。
途中で乗り降りすれば、その都度、一回200円。

途中に12駅あり、観光には便利にできているとおもいました。

「日本海さかな街」は、たくさんの海産物店が並び、観光バスも止まっていました。

子供のころから、なじみのある町なので、一種の郷愁を感じたのでしょうか。

「また、夏にでも来たい」。

つくづく、旅はよいものだとおもいました。

(敦賀紀行、おわり)


若狭路「敦賀」紀行 3

2014年03月13日 10時54分55秒 | 紀行

北陸本線「敦賀駅」は大改修の真っ最中でした。

駅前広場や改札などを新しくするため、現在、乗り降りは、いささか不便を感じます。

明治15年に金ヶ崎線の敦賀駅としてできた駅は
、同29年北陸線が福井駅まで開通、
敦賀は日本海側への玄関口として発展してきました。

その後、幾多の変遷を繰り返して現在に至ります。

               (上の写真は、平成27年に完成する駅前広場のイメージ図です)

27年ぶりの敦賀だったものですから、
かっての駅前の風景などもよく覚えていません。

現在、工事中であることを除けば、駅前の大通りなども立派になっていました。

覚えているのは、こどものころ、敦賀から石川県へ汽車で行く途中、
柳ヶ瀬付近で、車両の前後に機関車を付け、
「スイッチバック」方式で山を登り、
それがおわったとおもったら、
間もなく、敦賀の駅に到着したことぐらいでしょうか。

(つづく)


若狭路「敦賀」紀行 2

2014年03月09日 15時51分52秒 | 紀行

3月4日の敦賀湾。

冬の名子海水浴場から見ると、湾の東側、史跡「金ヶ崎城跡」方向から、
太陽が昇ってきます。

穏やかな敦賀湾の朝です。

敦賀湾は、若狭湾の東の端。敦賀半島によって若狭湾と区切られています。

北前船や大陸への航路の要衝として古くから栄えてきました。

鉄道の発達で、一時は港湾としての機能が危ぶまれましたが、
最近は、国際コンテナの取り扱い港としても
見直されてきたといいます。

やがて、釣り人を運ぶ船も行き交いはじめ、湾は活気を見せてきます。

 (つづく)


若狭路「敦賀」紀行 1

2014年03月08日 14時36分41秒 | 紀行

JR大阪駅から特急電車で1時間20分。

福井県の敦賀まで、意外に速いので驚きました。

敦賀の人口は6万8,000人あまり。京阪神に近く、
大陸への日本の窓口として栄えた土地です。

昭和20年、あの敗戦の年、叔父を頼ってこの地に疎開していた私たち家族は、
北陸では、はじめてというB29の空襲に見舞われました。

(ブログ「春夏秋冬 75」にも記載しました)

それから「敦賀」は、私にとって,思い出の土地になりました。

敦賀湾の波静かな海岸。気比の松原。冬のカニ、若狭のふぐ。原子力発電所。

敦賀は話題に、こと欠きません。

これまで、敦賀を通過することは何度かありましたが、訪問するのは
27年ぶりになります。

季節は、「カニ」を過ぎて、「ふぐ」になろうとしていました。

昭和62年2月、敦賀の叔父が亡くなったとき、
弟と二人で、お葬式に来て以来の旅です。

それも、3月3日からの、わずか一泊二日。

こんなに近いのなら、もっと、早く来ればよかった、とおもっています。

(つづく)