阪神電車「尼崎駅」の北側、中央公園のチューリップも盛りを過ぎ、
まもなく、その幕を閉じようとしています。
駅前の観光案内所の話ではチューリップの数は2万本とか。
桜が散るとともに、それぞれの花も最盛期を終えようとしています。
(このチューリップは4月16日に撮影したものです。)
阪神電車「尼崎駅」の北側、中央公園のチューリップも盛りを過ぎ、
まもなく、その幕を閉じようとしています。
駅前の観光案内所の話ではチューリップの数は2万本とか。
桜が散るとともに、それぞれの花も最盛期を終えようとしています。
(このチューリップは4月16日に撮影したものです。)
本格的な「春」が来たのだろうか?。
お向かいのご主人が、丹精込めた「きりしまつつじ」の生垣が
今年も立派に赤い花を咲かせました。
二三日前だったか、手入れをされているご主人に、「今年は寒かったので、
花が遅いのではないですか」と、たずねたばかり。
聞いておいてから、去年の自分の「ブログ」を調べてみました。
やはり、4月20日のブログに取り上げていました。
季節は変わらないものですねえ。
樹木は、緑の芽を出し、花は思いおもいの色を付けました。
昨日は、曇り空で肌寒かったですが、今日は快晴。
気温もグングン上昇しました。
明日の大阪の気温は、24℃とか。急に初夏の気配です。
このまま、季節が移ることを願っています。
昨日4月16日、阪神電車「尼崎駅」の南側から約5分の地に
完成したばかりの「尼崎城」を見てきました。
棟の高さ、24.399m。鉄筋コンクリート造り、地上5階建て。
天守の形式は4重天守、2重付櫓。
建築面積641㎡余、延床面積1,408㎡余の堂々とした天守閣です。
南側の入口で入城料、500円を払って、エレベーターで5階の一番上まで上がります。
最上階の眺望は素晴らしく、東西南北、ほとんど遮るものはなく遠くまで見えます。
この額は最上階から北を見た説明写真で、すぐ近くのレンガの倉庫は、
阪神電鉄旧尼崎発電所です。
1階から4階は、見学者を楽しませる工夫がされており、各階に
イベントコーナーが設けられたいました。
これは「名城手拭百城」と題した「萩原一青デザイン」の日本の城を描いた手拭の展示。
「着付けコーナー」まであり、お城の衣装を着てみる男性や子供もあり、
それぞれが、一日サムライを楽しんでいました。
この他、ワイドスクリーンの観覧席まで設置され、入城者が楽しめるつくりになっています。
大阪夏の陣のあと、徳川幕府は大阪を直轄地として西国支配の拠点にするため
1617年(元和3年)、譜代大名の戸田氏鉄(うじかね)に尼崎城を築城させ、
以後、青山、松平と代々、譜代大名が藩主を勤めました。
尼崎藩はここを拠点に、摂津の国川辺郡から、宝塚、川西、西宮、
伊丹、さらには、芦屋から神戸市の須磨区あたりまで治めた、と言われています。
尼崎城は、「琴浦城」、「尼丘城」ともいわれていました。
尼崎を発祥の地とするミドリ電化(現 エディオン)の創業者が
10億円以上を負担して建設、昨年の11月30日、尼崎市へ寄贈したものです。
比較的小さな天守閣ですが、新しいだけに美しく、
見栄えのするお城でした。
最後のカットは、阪神電車、尼崎駅の北側から、線路越しに
新築なった「尼崎城」を見たところです。
なお、月曜日は休館日と言っていました。
きょうは昨日より少し寒さが戻ったように感じました。
例月どうり、かかりつけの循環器内科で血圧を測ってもらい、薬をもらって帰宅しました。
冴えわたっ青空に白い雲が流れ、満開の桜がピンクの花を咲かせていました。
待望の「春」がやって来ました。
四月寒波といいながら、
中々、春ものに衣装替えができませんでしたが、
4月7日(日)の今日は春らしくなりました。
わが家の近所も「桜」が満開です。
天気予報で、大阪地方は「午後から雨の降るところもある」、
と言っていましたが、その気配はなく、
気温も予想の20℃を超えて22℃とか。
やっと、春が来たかと「うれしく」なってきました。
このブログもおよそ半月、休みました。
一日の「元号」発表に世間は活気を帯びましたが、全国的には
寒さが厳しく寒波が応えました。
東京では、桜満開のニュースに沸いていましたが、関西の
わが家の近くでは、ご覧のように、まだ、チラホラ咲き。
予報では、明日、「四日ごろから暖かくなる」と言っていますが
どうでしょうか。
「寒い」、「気温は何度ぐらい」、と言った予報だけでなく、
「なぜ、こんなに寒いのか」、
その理由も伝えてほしいとおもいました。