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神戸港から陸揚げされた貨物を全国へ輸送するため、港から東海道線の
東灘操車場まで、神戸臨港線が敷設されていた。
画面の右から左上の操車場跡までカーブした草むらがその線路の跡で、
臨港線の目的地、操車場になる。(写真は東海道線をまたぐ「高橋」から撮影)
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私は、この灘駅の南側、岩屋で生まれ、昭和20年の空襲で焼け出されるまで、
高橋の南側、この線路のすぐ南側に住んでいた。
空から降ってくる焼夷弾を避けて、ガード下の臨港線に逃げ込んだのも思い出である。
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深夜は、いつまでも貨車の入れ替え作業の音に悩まされた。それは、貨車の連結器の音
なのだが、「ガチャガチャ ガッッチャン」と言う大きな響きだった記憶がある。
その臨港線の廃線跡が、立派な遊歩道に生まれ変わった。(つづく)