遠くにこどもたちの歓声が聞こえます。
きょうは、近くの小学校で運動会があり、筋向いの家やお隣さんなど、
小学生をもつご家庭は、朝からお父さんともども一家で
学校へ出かけていました。
関西地方は秋晴れの好天に恵まれて、日差しは暑く、
秋の運動会とは名ばかり、夏の運動会とでもいえそうでした。
私たちが、ここへ引っ越してきたころは子供の数も多く、
運動会といえば大賑わいでした。
今では、その親たちも高齢化し、こどもの数も減ったのかなあとおもいましたが、
なんの、結構な数の運動会でした。
遠くにこどもたちの歓声が聞こえます。
きょうは、近くの小学校で運動会があり、筋向いの家やお隣さんなど、
小学生をもつご家庭は、朝からお父さんともども一家で
学校へ出かけていました。
関西地方は秋晴れの好天に恵まれて、日差しは暑く、
秋の運動会とは名ばかり、夏の運動会とでもいえそうでした。
私たちが、ここへ引っ越してきたころは子供の数も多く、
運動会といえば大賑わいでした。
今では、その親たちも高齢化し、こどもの数も減ったのかなあとおもいましたが、
なんの、結構な数の運動会でした。
一人旅も、いよいよ、最終コースにはいりました。
ハノイからバスを乗り継ぎ、ホーチミン市を経由しカンボジァのプノンペンを経て、
シェムリアップに入ったといいます。
この間、約1,600キロ。たいへんな長いバスの旅です。
ベトナムのハノイを出たのは、8月31日。
何日かかってカンボジアのシェムリアップに着いたのか私の手許では定かでありません。
シェムリアップは、あの有名な「アンコールワット遺跡」の町です。
シェムリアップ国際空港は、観光客のため、拡張工事が行われたと書いてありました。
彼はアンコールワットを観たあと、上海、乗り継ぎで、
9月6日に関西国際空港に帰ってきました。
500数十枚の写真はすべて彼が撮影したものです。
その中から、私が適当に、よく映っている写真を取り上げました。
一枚いち枚に説明が付けられなかったこと、日付がはっきりしないことは、撮影者と
説明者が異なるためで申し訳ありませんでした。
とにかく、アルバイトでためた貯金を持って、一ヶ月以上の海外旅行に出かける
現代の学生。
現地で、海外の若者と交流しながら、一緒に旅をする。
21歳の青年にとって、その意義は大きかったとおもいます。
(おわり)
彼の旅も、だんだん、終わりに近づいてきました。
8月26日、夕方、ビエンチャン(ラオス)のルアンプラバン空港を飛び立った飛行機は、約1時間で
隣国のハノイ(べトナム)、ノイバイ空港に着きました。
市内には、ベトナム戦争当時のおもかげを残し、市民に戦禍のあとを伝えています。
(つづく)
8月23日、タイから空路、ラオスのビエンチャンに入りました。
この地では、4日間の滞在になったようです。
(つづく)
バンコクからアユタヤへ。
アユタヤへは鉄道やバス、船で行けるそうですが、彼は鉄道で行ったといっていました。
バンコクからは一日におよそ15本の列車が出ています。所要時間は約1時間30分です。
アユタヤは、約400年間にわたってアユタヤ王朝の都として栄えたところ。
かつては、日本人街もできていたそうです。
その遺跡は世界遺産に登録されています。
鉄道を利用してアユタヤの遺跡を見た彼は、いよいよラオスへと向かいます。
(つづく)
8月半ば、彼の一人旅は、タイのバンコクに行きつきました。
東南アジアまでくれば、彼のようにゴムぞーリ姿の若者がいっぱいです。
これから、鉄道でアユタヤへ行ったとのことですから、次回はアユタヤをお伝えします。
(つづく)
台風一過、きょうの関西地方は雲ひとつない青空が広がっています。
シリーズでお送りしている、孫の一人旅、きょうは「マカオ」です。
マカオへはフェリーで行ったと話していました。
所要時間は、わずか1時間。
かってはポルトガルの植民地でした。
この日のホンコンも快晴だったようです。
彼は、ゴムぞーリ姿でカジノに行ったと言っていましたが、そんな服装の
人たちも多く来ているのでしょうか。
ロングの写真ばかりですが、こんな場所ではアップの写真を撮るのも難しいでしょう。
次回は、タイのバンコックです。 (つづく)
京都の嵐山、冠水した桂川に架かる「渡月橋」です。
手前が橋の西岸、水は左から右上へと流れています。
ところで、きのうの午後6時半ごろ、奈良にいた一番上の孫から、「今、東京に着いた」と
電話がかかってきました。
長い旅の疲れを両親の実家で癒し、ようやく、東京へ帰り着きました。
台風の接近が伝えられる16日であれば、東京へ帰りつくのは、まずは、無理ではないか
とおもっていたので、ホット、安心しました。
一夜あければ、ご存知のように台風騒ぎ。午前8時ごろ豊橋付近に上陸した台風は、
北東方向へすすんでいるとのこと。
京都では、大雨特別警報が出て渡月橋も冠水する騒ぎ、それでも、お昼ごろには
太陽が顔を見せました。
台風一過の街に、また、元気な若者の声がもどってくるのでしょう。
(画像は、いずれもMBSテレビからコピーしました)
北京から飛行機で香港島の対岸、深セン空港まで、およそ3時間。
そして、目指すホステルへ向かいました。
次回は、マカオです。 (つづく)
前回に続いて、北京市内の写真を掲載します。
中国では、「現地の若者とも友達になった」といっていましたが、
写真は、やはり観光写真です。
これも、彼が撮影してきた写真の中から、私が選択して掲載しているので、「何処」の
「なにか」まで詳しく表示ができません。
北京の写真の中から良い写真のみ選んでみました。
ここまでは、大きな都市ですから、彼の英語でも通じたのかとおもいます。
次回はホンコンです。 (つづく)
宿泊は、すべてユースホステルの利用を考えていたそうです。
出発前に、日本から予約した所もあれば、現地で調達したところもあるとのことでした。
そして、上海から北京へは、彼のスケジュール表によると、およそ5時間の列車旅です。
(つづく)
前記のようなリュックを背負って、彼が旅をしたコースはおよそ次のとおりです。
茨城空港ー上海ー(列車)-北京ーホンコンーバンコク(タイ)-(列車)-アユタヤーヴィエンチャン(ラオス)-ハノイ(ベトナム)-(バス)-ホーチミン経由ー(バス)ープノンペン(カンボジヤ)経由ー(バス)-シェムリアップ(アンコール・ワット観光)ー上海(経由)-関西国際空港
それでは、上海の続きの写真からご覧いただきます。
この最後の写真は、北京へ向かう鉄道の上海の駅だそうです。 (つづく)
8月3日、突然、私の携帯にかかってきた電話は、いちばん上の孫からでした。
「今、茨城空港、これから中国に向かって出発する」という、
いささか要領の得ない内容でした。
聞いていくうちに次のことがわかってきました。
これから1ヵ月以上をかけて、西への旅に出る。
スケジュールは、パソコンでわかるようにする。
帰国は、多分、9月に入るだろう。
とのことでした。
その彼が、9月6日の午後1時、入院して手術を受けたばかりの
私の携帯へ、また突然、電話をかけてきました。
今、関西空港に帰ってきた。
これから、そちらの家へ行きたいが、いいだろうか。
との問い合わせでした。
もちろん、「否や」はありません。
横にいた家内と話をさせ、家内は、自宅へとんで帰りました。
退院後わかったことですが、21歳の若者は、11キロを越えるリュックを背負い、
ゴムぞーり姿で、自分の英語の力がどこまで通用するか試すため、35日間の一人旅に
挑戦したのです。
リュックの中には、デジカメ、スマートホン、パソコン、キンドルという電子ブック。それに磁石、自転車の盗難防止チェーン、トイレットペーパー、洗濯バサミから、洗濯物を吊るす紐まで、
なかなか用心のよい世帯道具が入っていたそうです。
そして、撮ってきた写真が約500枚。
旅のつれづれの写真ですから内容はともかく、私の一存で、よさそうな写真を数枚ずつ、
彼がたどった道を追ってみたいとおもいます。
まずは、最初の目的地、上海です。
(つづく)
ようやく、きょうから9月にはいりました。
暑かった8月が少しでも早く過ぎてくれないかとおもっていましたが、やっと、
めざす、9月になりました。
おかげで、少しは涼しく感じるのですが、台風の接近や、前線の影響で二、三日前から
天気はおもわしくなく、雨が激しく降ったり、日が射したり。
今朝も、急に日が射しはじめたので、雨に濡れた庭の樹を撮ろうと
カメラを持ち出しました。
目を上にあげると、遠方の山にも光線があたり、水蒸気が立ち昇っていました。
いずれも、今朝、午前7時半ごろの写真です。
現在は、雨が降っており、雷がごろごろと鳴っています。
雷の音にも、なにか、懐かしさを感じる夏の終わりです。
長期予報も、「今年の秋は暑さが長く続く」といっていましたが、
「平年並みの秋になる」と訂正しました。
本格的な秋も、もうすぐそこです。