"四季折々 この一枚″

ブログのタイトルを上記に変更しています。アドレスは同じです。
右端にカレンダーが出ればご覧いただけます。

能勢電鉄とともに50年(6)

2020年05月01日 11時04分53秒 | 紀行

3月30日の「能勢電鉄との50年(5)」の続きです。

 

昭和35年(1960)、結婚した私は、神戸市東灘区の岡本・北畑に

文化住宅を借りて生活をしていました。

結婚、3年目に長男が誕生。さらに、2年後、御影の鴨子ヶ原の公団住宅

(3K)が当たり、そこへ引っ越しました。

鴨子ヶ原の公団住宅では、狭いながらも小さな風呂がついていました。

団地では、やがて、長女が誕生。4人家族の「3k」では、手狭になりました。

あれは、昭和45年の春だったでしょうか。

 

千里ニュータウンの最後の宅地抽選会に立ち会った私は、抽選に外れ、

そこでもらった新しい住宅地のビラを頼りに、能勢電鉄の沿線をまわって

帰宅しました。

翌日、マイカーに家内と子供を乗せて、川西市内へ車を走らせました。

当時の能勢電鉄沿線は、まさに、建築ラッシュ。

15年・20年、のローンは、すぐにも、OKで、商談はまとまりました。

その年の12月には入居が可能ということで、商談成立。

ここまでに何日かかったでしょうか。

当時の能勢電鉄にも試乗しました。

暑い日、窓は全開で風を通し、電車が揺れるたびに「つり革」が「カチャ、カチャ」、

「カチャ」とリズムを奏で、夜は虫が車内を飛び回っていたのが忘れられません。

この年は、千里丘陵で「万国博」が開かれた年で、景気はよかった記憶があります。

上は、能勢電鉄の終点。「妙見口」駅です。

 

                       (つづく)

 

 

 


最新の画像もっと見る