私たち一家が神戸の御影から川西市内に引っ越してきたのは
1970年(昭和45年)日本万国博覧会が吹田市内の千里丘陵で
開催された年でした。
ご覧いただいているのは、現在の川西能勢口駅とその周辺です。
JRの川西池田駅とも歩道橋でつながっています。
当時、私は吹田市内の会社にマイカーで通勤していました。
年齢は、私が38歳、長男が7歳で小学校へ上がったばかり、
長女は4歳でした。
1965年当時、能勢電鉄の沿線は宅地開発が進みはじめ、沿線の
人口が増えはじめていました。
「能勢電気軌道」が「能勢電鉄」に社名を変えるのは1978年(
昭和53年)になります。
(つづく)