(病院の屋上から市内を見る)
風邪からきた「肺炎」のため、11日から10日間の入院となり、きのう、20日無事に退院しました。
夏場に向かう6月も下旬、風をひくのも珍しいですが、肺炎も、私にとっては初めての病気です。
豊岡へ行ったり、泌尿器科の検査などで、いささか疲れが出ていたのかもしれません。
それよりも、やはり高齢化が、おもわぬ初めての病気にかからせたのかも。
「1週間ほどは、自宅で静養を」と言う、医師の指導なので、しばらくは静養します。
(病院の屋上から市内を見る)
風邪からきた「肺炎」のため、11日から10日間の入院となり、きのう、20日無事に退院しました。
夏場に向かう6月も下旬、風をひくのも珍しいですが、肺炎も、私にとっては初めての病気です。
豊岡へ行ったり、泌尿器科の検査などで、いささか疲れが出ていたのかもしれません。
それよりも、やはり高齢化が、おもわぬ初めての病気にかからせたのかも。
「1週間ほどは、自宅で静養を」と言う、医師の指導なので、しばらくは静養します。
コウノトリの郷がある豊岡市は兵庫県でも面積が最も大きな市です。
市の中央部には円山川が流れ、鞄の街としても知られています。
室町時代に山名時氏が出石に拠点を構えたことから、山名氏の繁栄とともに豊岡もその歴史を刻んだ。
町に古い建造物が目立つのも、この歴史と関係があるのだろう。
明治の時代に建てられた豊岡中学校の「達徳会館」。豊岡市の指定文化財。
図書館を裏から見たところ。
豊岡には、市の中心部から南西に約5k離れたところに「コウノトリ但馬空港」がある。
(おわり)
コウノトリの郷への最寄り駅はJR豊岡駅です。
マイカーで出かける人が多いが、駅からバスでも15分足らず。
豊岡の地場産業である鞄を模したバスが、駅前から郷公園駅まで運んでくれる。
ところで、きょうは郷公園ではなく、豊岡市内を見ることにする。
市役所の庁舎は、本庁舎建設のため、現在の庁舎を保存する工事を始めたところ。
1925年(大正14年)この地方を襲った北但大地震は震度6を記録、428人の死者を出した。
木造の建物はほとんどが倒壊、被害を大きくした。
市の庁舎は復興建築の建物で、今、それを後世に残すための作業がすすんでいるのです。
旧豊岡郵便局庁舎。現在は、市役所の南庁舎。
旧県農工銀行豊岡支店。今は、市役所南庁舎別館。
豊岡の駅前通りには、こうした昭和初期の洋風建築が目立つ。
このほかにも、木造で古い家が残っているところがあり、訪れる人に懐かしさを
感じさせてくれる。(つづく)
この公園のコウノトリは、3月下旬から4月上旬かけて産卵し、約1ヶ月で孵化。
6月下旬から7月上旬にかけて巣立ちをむかえます。
公園近くの農家も、コウノトリがいつ舞い降りてくるかわからないので、農作業にも
「人と自然の共生」に気をつかって作業をするという。
コウノトリは、開いた翼の長さ、2.0~2.2m。体重、4~5kg。一般にオスの方がメスより大きい。
結局、この日、公開ケージの中に、12羽を数えることはできたが、大空を舞うところは見えなかった。
(つづく)
6月3日、かねてから行って見たいとおもっていた、兵庫県豊岡市にある
「県立 コウノトリの郷 公園」を訪ねた。
日本の空からコウノトリの姿が消えたのは、1971年(昭和46年)という。
最後の生息地であった豊岡市では、もう一度、コウノトリを大空に羽ばたかせたい、と
「野生のコウノトリを捕獲して人工飼育する道」を選びました。
そして、1999年(平成11年)、「コウノトリの郷公園」が開園しました。
公園の入口、「豊岡市立コウノトリ文化館」は、「人と自然が共生できる地域環境の創造」などを
テーマに、コウノトリの普及啓発のための資料を展示しています。
その、文化館を抜けると公開ケージがあり、この日は、12羽のコウノトリが餌をついばんだり、
水浴びをしていた。
囲いの高さは、2mぐらいだろうか。
人工飼育を始めて25年目の1989年(平成元年)、待望の雛が誕生。
現在までに、約100羽のコウノトリの繁殖成功している。
(つづく)