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"四季折々 この一枚″

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スズメバチの駆除に成功

2014年08月15日 15時12分33秒 | 報告

我が家の床下へ出入りするハチが気になりだしたのは3週間ほど前のことでした。

家内は、「もっと以前から気がついていた」とは言っていますが。

そのハチの主な通り道は、床下の空気抜きの通気口(巾約40㎝)です。

通気口以外に、壁と柱のつなぎ目からも出入りしているようでした。

写真に撮って、12日に市役所を訪問しました。

市役所では、「見えている巣は市役所でも駆除しますが、見えないところは、専門業者に
依頼してください」とのことで、
専門業者をおしえてもらい、帰宅後、さっそく電話をかけました。

その日、12日の夕方には下見に来てくれて、作業は14日に決まりました。

その駆除作業は、きのう14日、14時から若い人3人で行われ、成功しました。

下見をしていた部屋に、上げた畳などを利用して小さなビニールハウスを作ります。

その中へ、防ハチ服を着た担当者がもぐりこみ、床板を上げ、
縁の下の蜂の巣を獲り除きます。

別の作業員が、ハチが出入りしていた穴をふさぎ、
ハチが出入りできないように外からもブロックします。

中に入った作業員は床下のハチを殺して、巣をかき出して袋に収めます。

床からビニールハウスへ逃げ出したハチは、外へ出ないように、
ハウスの中で処理するようです。

この間、約2時間。

いやあ、大きな蜂の巣でした。直径は20cmぐらいだったとか。

秋になれば、この倍ぐらいの大きさになるだろうとのことでした。

予想通り、「キイロスズメバチ」だと言っていました。

『「スズメバチ」に刺されたら、救急車を呼んで病院へ行きなさい』、と
書いてあるほどで、まずはヤレヤレ。

この日は枕を高くして眠ることができました。

暑い中、作業にあたってくれた3人も、よく頑張ってくれました。

ハチ退治用にバトミントンのラケットが数本、
車に積んであったのが印象的で、わかるような気がしました。

 

 


8月15日・69回目の終戦の日

2014年08月15日 14時17分54秒 | つぶやき

69年前の「あの日」の私の記憶は、定かではありません。

確か、石川県小松市内の中学校から汽車に乗って、間借りをしていた山代温泉の
町内にある家に帰ってきました。

そこで初めて、母親から、「日本は、とうとう負けたよーーー」、と聞かされたように
おもいます。

8月15日の「終戦の日」を迎えるたびに、毎年、思い出しているのは、この記憶です。

疎開先の石川県江沼郡山代町では、空襲の心配こそありませんでしたが、、食料不足
から来るひもじさは、空襲で焼け出された神戸とは、そんなに変わりはありませんでした。

街にあふれる、「撃ちてし 止まん」や「一億玉砕」の標語ばかりが頭に残り、戦後、学んだ
終戦秘話や実際の体験が頭の中でこんがらがっているのです。

大きな樹をゆするように、「ザワザワ、ザワ」と頭上に降ってくる焼夷弾の音。

昭和20年に、神戸の灘区内で焼け出された私たちは、商売をしていた父親が神戸に残り、
母親とこどもたち4人が、父親の親戚を頼って、福井県の敦賀から石川県の大聖寺、そして、
山代町と逃げ延びてきたのです。
兄は学徒出陣で、海外へ送り出される寸前でした。

終戦のとき、私は確か、13歳でした。

来年は、「戦後70年」になります。
それまで元気で、もっと、なにか、意義のあることが書ければ、とおもっています