69年前の「あの日」の私の記憶は、定かではありません。
確か、石川県小松市内の中学校から汽車に乗って、間借りをしていた山代温泉の
町内にある家に帰ってきました。
そこで初めて、母親から、「日本は、とうとう負けたよーーー」、と聞かされたように
おもいます。
8月15日の「終戦の日」を迎えるたびに、毎年、思い出しているのは、この記憶です。
疎開先の石川県江沼郡山代町では、空襲の心配こそありませんでしたが、、食料不足
から来るひもじさは、空襲で焼け出された神戸とは、そんなに変わりはありませんでした。
街にあふれる、「撃ちてし 止まん」や「一億玉砕」の標語ばかりが頭に残り、戦後、学んだ
終戦秘話や実際の体験が頭の中でこんがらがっているのです。
大きな樹をゆするように、「ザワザワ、ザワ」と頭上に降ってくる焼夷弾の音。
昭和20年に、神戸の灘区内で焼け出された私たちは、商売をしていた父親が神戸に残り、
母親とこどもたち4人が、父親の親戚を頼って、福井県の敦賀から石川県の大聖寺、そして、
山代町と逃げ延びてきたのです。
兄は学徒出陣で、海外へ送り出される寸前でした。
終戦のとき、私は確か、13歳でした。
来年は、「戦後70年」になります。
それまで元気で、もっと、なにか、意義のあることが書ければ、とおもっています