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団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★朝鮮と付き合ってはいけない訳

2015年01月23日 | 韓国

  ねずさんはじめネットによって目覚めた私ですが、まだまだ勉強不足です。それでも、日本が戦後ここまで酷くなった一番大きな原因は朝鮮人にあることは間違いないと分かります。
  とは、言いながらも、やはり、全てを理解したとは言えないでしょう。まだまだ、日本人特有の甘さがあることは間違いありません。

  その甘さを払しょくしてくれるように、ねずさんが朝鮮の真実を連日にわたり懇切丁寧に書いてくれています。是非、リンク元で全部読んでください。
  日本が何故韓国・北朝鮮と国交断絶すべきが良く分かります。これは、日本人全体が知るべきことです。何故かと言えば、優秀であった我が先人も日本人特有の優しさと言うか甘さによって彼らを受け入れたことにより、ここまで日本は汚染されてしまったのです。
  未来永劫、この間違いを子孫が犯さないように、憲法で国交断絶を決めておく必要があります。そのためにも憲法改正は必要と言えるでしょう。

  ねずさんの ひとりごと  2015年01月15日

  朝鮮人の戦前戦後

  在日韓国人の皆さんは、自分たちは戦前、日本政府によって無理やり強制連行されてきた被害者であるといいます。
そうであるなら、おかしなことがあります。
北朝鮮に無理やり拉致された日本人について、日本に住む日本人は、拉致被害者の一日もはやい帰還を、みんなが願っています。それが民族としての普通の国民感情です。
米軍でも、兵士が敵国に捕虜になれば、命がけでその奪還に動きます。
それが世界の「あたりまえ」の人の感覚です。

  ところが韓国人は、日本にいる在日韓国人のことを、「僑胞」と読んで、頭から軽蔑し、韓国帰還さえも露骨に拒否します。
韓国の歴代の大統領からして、
「私は僑胞の連中を信用などしていない。」
「僑胞は僑胞だ。韓国人ではない。」
などと発言しています。
これはきわめて不思議なことです。
自国の国民が「拉致」されたというのなら、その国の大統領は拉致被害者の帰還を促進することが、国民感情への答えになるはずだからです。

  要するに、在日韓国人の発言に、嘘があるのです。
彼らは戦前の法律である国家総動員法によって、多くの朝鮮の方々が連れてこられたと主張します。
事実、多くの労働者が、戦前の日本で働いていました。
これには2つの種類があります。
ひとつは企業の採用、もうひとつが国家総動員法を根拠にした国民徴用令です。…以下略
   

  朝鮮半島のあまりにお粗末な歴史  2015年01月16日

  …略

  日本人は、へんにやさしくて、韓国の人たちも「同じ人間じゃないか」と、すぐに思いたがるし、困っている人がいれば、なんとかして助けてあげたいと同情してしまいがちです。
これを言っていたのが、戦前は日本の右翼、戦後は左翼と呼ばれる人たちです。
同じ人間なのだから、隣に困っている人がいるなら、助けてあげるべきだという人道を持ち出します。

けれど、これだけはいえることですが、民族のもつ精神構造というのもは、犬種も人種も変わりません。
収奪すること以外に、生きるすべをもたず、古代においては、日本を追い出してまでして、太古の昔から反日と裏切り行為をずっとやり続けてきたのが朝鮮半島です。
いまさら、助けてあげる必要など、毛筋ほどもないのです。…以下略


  韓国では上に立てばあらゆることが正当化される?  2015年01月17日

  …略

  日本統治時代、日本は朝鮮王族の尊厳を認める代わりに、そうした両班層の支配君臨意識を否定しました。
そうでなければ、朝鮮の人々の近代化が不可能だったからです。
おかげで日本は、その両班層から、たいへんな恨みを買いました。

  終戦後、韓国の初代大統領になった李承晩は、まさにその両班の下級階層出身者でしたが、彼は、「李氏朝鮮時代はとても平和で豊かな国だったのに、日本が全てをぶち壊しにした」と主張しました。
まさに両班階級にとっては、その通りであったかもしれません。
ただし、そのために朝鮮半島が当時、世界で最も、物心両面の貧困国となっていたということが、彼の主張からは見落とされています。…中略

  当時、満州国は、東洋でもっとも経済が右肩上がりで発展した国だったのですが、陸続きである満州に、彼らは、豊かな暮らしを求めて大挙して出かけていきました。
そして満州で、朝鮮式の「上に立つ者は、下の者からすべてを奪うことができる」を、地で行いました。
彼らは、「我々は第二日本人である」と名乗り、自己の利益や欲望のために、支那人、満州人、蒙古人等から、徹底的な搾取や窃盗、強盗、強姦、放火を重ねたのです。

  これを後押しすることになったのが、朝鮮総督府でした。
朝鮮総督府は、朝鮮人の圧力に負けて、彼らに日本人名を名乗ることを許しました。
彼らにとっての動機は、「日本人の名前を名乗れば、支那や満州で大きな顔ができる。現地の人から収奪し、自己の利益を図ることができる」というものにすぎなかったのですが、朝鮮総督府は、彼らの圧力に負けて、それを許してしまうわけです。

  これには、当時の日本の右翼も影響しました。
日本人的な価値観を濃厚に持つ日本右翼は、朝鮮人たちも人間であり、人として対等である、と彼らの主張を受け入れたのです。
本当は、狼として、明確に区別して、動物園に入れておいたほうが、彼らにとっては幸せだったのであろうと思います。…以下略

  日韓併合の理由  2015年01月18日

  …略

  こうして米英露伊仏独は、それぞれに日本に朝鮮統治を迫りました。
日本は欧米との外交上、朝鮮の面倒を見ざるをえない方向に追い込まれてしまったのです。

  やむなく日本は、大韓帝国の面倒をみることにしました。
本来なら、植民地か、保護国、保護領、従属国にするだけでも足りるのです。
そもそも当時の国際的常識では、韓国は「人の国」ではないのです。「猿の国」です。

  けれど、日本が「有色人種は人である」と主張するなら、朝鮮半島に生息する猿も同じ「人」となります。
ならば日本は、韓国を対等に遇しなければなりません。
そして韓国の中味が「獣」でしかないなら、なんとか教育して「人」に仕立て上げなければなりません。

  こうしてできあがったのが、明治43(1910)年8月の「日韓併合」であったわけです。…以下略



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