このダイナマイトを背負って敵の戦車に飛び込むという凄まじい戦いを初めて知ったのはねずさんのブログでした。満州のソ連侵攻にこんな凄まじい戦闘が行われていたことも全く知りませんでした。
何と、それにもやはり訳があったようです。ねずさんが詳しく書いてくれています。ここでも、Korean とGHQが関わっているようです。
こうして、日本人は命を掛けて戦って下さった方々の本当を知ることなく自虐史観を植え込まれたのです。
この方達が祀られる靖国に今年こそ安倍さんが参ってくれることを願います。日本の為に戦ってくださった方々が祀られている靖国参拝を止めるより大事なことがあるとは思えません。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんのひとりご とより 2019年08月12日
北満州の石頭予備士官候補生の戦い
・・・略
ですから北満州にソ連軍がやってきたときも、日本軍は、兵舎にKorean兵だけを残し、内地の日本人兵だけで迎撃に向かいました。
ちゃんと責任をまっとうできるKoreanの幹部将校に、街を守ること、婦女子を無事に逃がすことを託して、内地兵だけで戦地に赴いたのです。
そして日本人の内地兵たちだけによる戦いの様子のひとつが、上にある石頭予備士官候補生たちの戦いでした。
一方、Korean幹部将校とKorean徴兵兵だけが残った日本軍の兵舎では何が起こったのでしょうか。
その答えは、Korean徴用兵の反乱でした。
彼らは責任感の強いKorean将校を銃で殺害すると、兵舎に火をつけ、街にいる婦女子をほったらかして一目散に逃げ出したのです。
この悪事を働いたあとに放火して逃げるというのは、Korea文化です。
関東大震災の際の災害も、まさにこの手口によって、死ななくても良い13万人が焼死しました。
日本陸軍の制服を着たKoreanが、兵舎に放火して逃げていく。
そういう姿を、まだ幼かった日本人の子供たちが見ていました。
そういう子供たちの何人かが戦後、
「日本軍の兵舎には火がつけられ、
兵隊さんたちは、
わたしたちをほっておいて逃走した」
と語りました。
同時に、GHQのプレスコードによって、日本国内ではKorea、韓国の悪口は一切言っても書いてもいけないことになっていましたから、「逃げたのはどういう人たちだったのか」という肝心の点が曖昧にされたままになりました。
というより秘匿されました。
ほとんど武器らしい武器さえなかった北満州の日本軍守備隊が、ソ連製の戦車を前に、肉弾突撃をしてこれを食い止め、彼らの侵攻を遅らせ、日本人の婦女を逃がしてくれた。
逃げれたからこそ、生き延びれたからこそ、そんな「証言」をした当時の子供たちが、長じて当時の「証言」ができたのです。
ただし、その証言の多くは、実際には「兵舎に残っていたKorea兵たちが」と、事情を正確に伝えるものもあったのです。
ところがプレスコードによって、その肝心の「Korea兵」という部分が編集でカットされました。
そして多くの日本人が、こうした事実から目をそむけ、気がつけば、どれだけ満州やモンゴル、樺太、千島列島などに布陣していた日本人の同胞たちが勇敢に戦ったのかさえも、忘れられていきました。…以下略
さて、安倍さんは参拝してくれるでしょうか。


※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます