団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★「論」と 書いて「あげつらふ」

2020年06月02日 | 誇れる日本

 「あげつらう」と言えば、「屁理屈を捏ねて正しい事にケチを付ける」というような、どちらかと言えば余り歓迎されないこ とだと思っていました。
  子供のころに、そんなあげつらうようなことを言うなと親に良く叱られたような記憶があります。きっと、生意気なガキだったのでしょう。

  その「あげつらう」が、漢字で「論」と書くのを知ったのはねずさんか宮崎さんのところだったのじゃないでしょうか。

  ところが、元はそんな悪い意味じゃなかったようです。何と十七条の憲法にこの言葉が三度も使われているのだそうです。それだか重要な意味があるようです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんのひとりごとより     2020/5/24

  「論」と 書いて「あげつらふ」

  ・・・略

 この「あげつらふ」を、
第一条では「上に立つ人はやわらかく、下の人も互いに仲良く、お互いにその思いを「あげつらふ」。
第十七条では、「上に立つ人が何かを決めようとするときは、必ず人々と議論を交わしあう。特に大事なことは必ず互いに議論を 重ねることで、事理は必ず成し遂げられる」といったことが述べられているわけです。

 よく、日本人は「和」の民族だから、欧米人のような議論を嫌うなどと言われますが、十七条憲法のみならず五箇条の御誓文さえ も「広く会議を興し万機公論に決すべし」とあります。
全然、議論を嫌っていないのです。
むしろ論議を交(か)わすことをすることを奨励しているのです。・・・以下略


  何と日本人が苦手と言われているディベートに匹敵するものが17条の憲法の昔から行われていたとは驚きです。
  もしかしたら、これもGHQによってねじ曲げられた言葉だったのでしょうか。

  いずれにしても、意見を戦わせるのが苦手だと思っていた日本人の基本が17条の憲法に書かれていたとは驚きです。
  これも、憲法を17条の憲法に戻せという八百万の神々の啓示でしょうか。それが日本にとっては最良だと思います。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿