生麦事件があったということは授業で教わりましたが、それにどんな意味があったかなんて全く教わった記憶はありません。単に、興味が無くて聞き漏らしたのかもしれません。
その本当の意味をねずさんが詳しく教えてくれています。こういう授業を受ければ歴史にももっと興味を持ったのじゃないかとかんがえるとやはり残念です。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう日本より 2021/08/21
生麦事件と薩英戦争 から学ぶこと
・・・略
この事件は、江戸から京都に向かう薩摩藩の行列に、前方を横浜在住の英国人4人が乗馬のまま乗り入り、薩摩藩士がこれを静止し たけれど、4人の英国人は馬上のままどんどん行列の中に侵入。
やむなく警護役の薩摩藩士がこの4人を無礼討ちにし、1人が死亡、2人を負傷させたという事件です。
この時代、王族や貴族のこうした隊列を荒らす行為は、一種のテロ行為に等しく、犯人はその場で全員現行犯で殺害されても仕方がな いというのが世界の常識です。
ですから薩摩藩の行為には国際社会において完全に正当性があり、本来ならこれを咎めることは誰にもできません。
もっとわかりやすく言うならば、英国やフランスの貴族の行列に、もし日本人が乗馬したまま乗り入れれば、その場で射殺されるし、 そのことによる苦情はどこからも決して来ることはありません。
なぜならそれが当時の世界の常識であったからです。
けれどもその逆は通用しない。
力こそが正義の時代です。
欧米列強には力があり、有色人種には彼らに匹敵する力がない。
力がなければ、人とさえもみなされない。
それが当時の世界の現実でした。
ですから当時の英国人の感覚からすれば、
「動物園で猿の行列を、おもしろいから車で横切ってみた。」
それだけのことです。
怒った猿が、横切った人を殺せば、襲った猿の側が「処分」されます。
その意味では、現代も力の世界であることに、実はなんら違いがないといえるかもしれません。
けれどもその逆は通用しない。
力こそが正義の時代です。
欧米列強には力があり、有色人種には彼らに匹敵する力がない。
力がなければ、人とさえもみなされない。
それが当時の世界の現実でした。
ですから当時の英国人の感覚からすれば、
「動物園で猿の行列を、おもしろいから車で横切ってみた。」
それだけのことです。
怒った猿が、横切った人を殺せば、襲った猿の側が「処分」されます。
その意味では、現代も力の世界であることに、実はなんら違いがないといえるかもしれません。
生麦事件後、英国は幕府に謝罪と賠償金10万ポンドの要求、薩摩藩に対しても犯人の処罰と賠償金2万5千ポンドを要求していま す。
「幕府は屈服して賠償金を支払い、
薩摩は屈服を拒否したために薩英戦争が起き、結果敗北した」
というのが戦後的歴史認識です。
鹿児島の薩英戦争記念館でも、まさにそのような歴史認識での展示が行われています。
それが汚鮮され政治的に変形された我が国の歴史学会の定説であり、司馬遼太郎の空想歴史小説に描かれたストーリーだからで す。・・・中略
何とも歴史とは深いですね。やはり、こういう教育を取り戻したいものです。これだけで日本を愛するこころも育まれるのは間違いないでしょう。
そうなれば、今の政・官・財・マスメディアのお偉いさん達のような正しい国家観も歴史観も持たない人達が跋扈することも無くなるでしょう。
そうすれば日本再生も動き出すことでしょう。
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