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団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★本田宗一郎の夢

2017年09月11日 | 本田・松下・出光

  三菱のMRJが苦戦しているなか、もう一つの日本の夢ホンダジェットが快調に売れているようです。
  何と、世界一の販売数だそうです。この調子で順調に売上を伸ばしてもらいたいですね。

  何時もの「産経抄」が、取り上げてくれていますが、その中で驚いたのが、本田宗一郎さんが知らなかったということです。  

  産経ニュースより    2017.9.1

 【産経抄】本田宗一郎の夢 

 静岡県浜松市の練兵場で大正6年、「米国の鳥人」と呼ばれた飛行家、アート・スミスによる曲芸飛行大会が開かれた。10歳の少年は、親の目を盗んで金2銭を握りしめ、自転車で二十数キロ離れた会場に駆けつけた。初めて見る飛行機に大感激である。

 ▼それからしばらく少年は、ボール紙で飛行メガネを作り、竹製のプロペラを自転車の前につけ乗り回していた。少年は長じて、小型飛行機の免許を取得して大空を舞うようになった。ホンダの創業者、故本田宗一郎さんである。まだ二輪メーカーの時代から、飛行機開発への意欲を語っていた。

 ▼生前の本田さんは目にすることはできなかったものの、その夢はすでに実現している。7人乗りの小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」は、主翼の上部にエンジンを取り付ける奇抜な設計で世界の技術者を驚かせた。

 ▼米子会社「ホンダ エアクラフト カンパニー」の藤野道格(みちまさ)社長が開発の中心となり、約30年の歳月をかけて完成にこぎつけた。燃費のよさなどが評価されて売れ行きは好調である。今年上半期の出荷数24機は世界トップだった。

 ▼実はホンダジェットの開発は、社長を引退した本田さんには内緒で進められてきた。本人が知ったら、喜びのあまり誰かにしゃべってしまう可能性がある。何より研究の現場に乗り込んで、仕事を混乱させる事態を恐れた。

 ▼事業化が決まって、藤野さんは本田さんの霊前に報告に行った。さち夫人がそのとき思いがけないことを口にする。「私は飛行機の免許を持っているんですよ」(『ホンダジェット』前間孝則著)。日本では女性パイロットの草分けに近いのではないか。あらためて、企業のDNAについて考えさせられるエピソードである。

  「喜びのあまり誰かにしやべってしまう」は、さもありなんと思わせられますね。それにしても、本当に知らなかったのでしょうか。

  乗りものニュースより    2017.08.30

  ホンダジェット、100年の道のりとは 宗一郎少年が見た夢からシェアトップ獲得まで

     関 賢太郎(航空軍事評論家)

「ホンダジェット」が2017年上半期、VLJ市場シェアトップを獲得しました。本田宗一郎氏がホンダを創業して約70年、幼い日にアクロバット飛行を見てから100年目の出来事でした。これまでの苦難の道のりを振り返ります。
「ホンダジェット」ついにシェアトップ獲得

 2017年8月16日、ホンダの航空機事業子会社であるホンダエアクラフトカンパニーは、2017年上半期(1月~6月)において同社の製造する「ホンダジェット(Honda Jet)」がVLJ(小型ビジネスジェット機)市場において24機の最多出荷数を達成したことを発表しました。
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2017年上半期、カテゴリ別で最多出荷を達成した「ホンダジェット」(画像:ホンダ)。

 「ホンダジェット」は2015年末に引き渡しを開始、現在月産4機(年産48機)ペースで製造されていますが、ビジネスジェットやエアタクシー(チャーター機)として用いられるVLJとしては競合機に比べ客室が大きく、またトイレを持っていることや低燃費であること、そして所有欲を刺激する「格好よさ」が高く評価され引き渡し開始以来好調を維持、2019年には年産80機に拡張することが決定しています。

 順風満帆に見える「ホンダジェット」ですがその実現は苦難の道のりであり、なんと100年もの歳月を必要としました。「ホンダジェット」を実現させたもの、それは「The Power of Dreams(夢の力)」でした。

 100年前の1917(大正6)年4月、静岡県浜松市において開催されたアート・ロイ・スミス氏によるアクロバット飛行ショーは観客の度肝を抜く大盛況でした。まだ飛行機が珍しかった時代にあって、ロール(横転)やループ(宙返り)、急降下といったアクロバットは、見学者のひとりであった当時10歳の本田宗一郎少年に、航空への夢を抱かせるには十分すぎるものでした。

 その後、本田宗一郎氏は1946(昭和21)年に本田技術研究所(現本田技研工業)を設立、二輪車、四輪車ではいまや世界で知らぬものがない「ホンダ」が誕生します。本田宗一郎氏は創業当初から航空機産業への参入を夢見ていましたが、その実現はさらに70年もの歳月を要します。

  それにしても、航空機の開発は時間がかかりますね。これじゃ、滅多な企業では取り組むことができませんね。
  こうしてみると、三菱は大丈夫だろうかと心配します。ホンダも本体は苦戦しているようで心配です。
  やはり、日本の経営者の劣化が原因じゃないかと思ってしまうのは私だけでしょうか。日本が、ここまで劣化したのは、経営者の劣化が原因の大きな部分を占めているように思うには私だけでしょうか。
  きちんとした歴史観を持って、日本の為の日本の企業という気概を持って経営してほしいですね。つまりは、安い人件費を目的にした安易な外国人雇用などは止めて、昔ながらの日本の素晴らしい雇用体系を取り戻してもらいたい。

日本の将来が懸かっている!

★★クビを切らない  出光佐三 

2017年01月08日 | 本田・松下・出光

  こんな素晴らしい経営者がおられたんだと、1999年 7月25日日曜日、第 3話や2012年11月15日(木)、第 4806回の「出 光佐三」で取り上げてきた出光さんですが、ネットをやるまで、こんな素晴らしい経営者を知りませんでした。
  もし、知っていたら、就職したかった。と言っても、向うがお断りだったでしょう。  
 
  それにしても、百田さんのお陰で有名になって、多くの日本人が、こうした素晴らしい経営者がいたことを知ったことは日本に とっても有意義でしょう。

  この出光さんの凄さを理解できない経営者が、今の日本を牛耳っているところに大きな問題があるということでしょう。こうした 経営者が、出光さんに少しでも近づこうと目覚めれば、日本も変わるのじゃないでしょうか。

  何時ものように、ねずさんが詳しく書いてくれています。全文を是非リンク元で読んでください。 

  ねずさんと学ぶシラス国の物語よ り    2016年12月28日

  海 賊と呼ばれた男 出光佐三物語

  この記事を最初にアップしたのが、6年前の2010年3月22日です。
そのときのタイトルは「社員は家族だ 出光佐三」というものでした。
ありがたいことに、いまこの物語が、百田さんによって「海賊と呼ばれた男」という小説になり、映画になっています。

そこで、あらためてタイトルを「海賊と呼ばれた男」として、リニューアルしてみたいと思います。
こちらは小説よりも短いものですが、ある程度の人物像と経緯経過がわかりますし、たくさんの学びがあろうかと思います。

「題名のない音楽会」というテレビ番組があります。
この放送は、昭和39(1964)年8月から続くご長寿番組で、東京12チャンネルで放送されています。
もともとこの番組は、TBSとの専属契約を打ち切られて苦境に陥っていた東京交響楽団に、出光佐三さんが、新たな活動の場を与え てあげようと企画した番組です。

番組は、番組途中でCMを入れない構成であることでも知られていて、現在もそれは守られています。
番組スポンサーは出光興産です。
一社だけの提供です。

番組途中でなぜCMが入らないかというと、番組スポンサーの出光興産の創業社長である出光佐三(いでみつさぞう)氏の「芸術に中 断は無い」という考えに基づくものです。

その出光佐三氏に有名な言葉があります。
「社員は家族だ。
 家計が苦しいからと
 家族を追い出すようなことができるか?
 会社を支えるのは人だ。
 これが唯一の資本であり今後の事業を作る。
 人を大切にせずして何をしようというのか。」

昨日書いた岩崎弥太郎もそうですが、どこまでも会社は「利益のために存在する」のではなく、「人のために存在する」という考え方 です。
昨今では、儲けのために人をないがしろにする会社が多くなりましたが、ではそうした会社が長く継続して生き残れているかという と、答はNOです。

世界に、創業から200年以上経過する会社は5,586社(計41カ国中)あるそうです。
このうち半分以上の3,146社が日本の会社です。
さらに創業千年以上の会社が7社、
500年以上が32社、
100年以上になると、その数5万社以上です。

それだけご長寿企業がたくさんあるということは、終身雇用、儲けよりも人という、日本的経営の考え方が、正しい、もしくは理にか なっているということになります。
出光佐三氏は、終生自分は、社長でも会長でもない。
どこまでも出光商会の店主であるという考え方を押し通しました。

具体的には次の4つの理念を掲げ、これを終生守り抜いています。
それは、
 (1) クビを切らない
 (2) 定年を設けない
 (3) 出勤簿を作らない
 (4) 労働組合をつくらない
というものです。
これを出光佐三氏は、出光の「四無主義」と呼びました。

ひと目見ておわかりいただけますように、これは戦後、欧米からマネジメント手法として輸入され、いまではごくあたりまえになって いる、
 リストラをする
 定年制を敷く
 勤怠管理を徹底する
 労組を置く
といった、現代企業があたりまえとする考え方の対局にある考え方です。

なぜ対極になるかというと、これもまた出光佐三氏の言葉があります。それは、
「社員は、雇用しているのではない。家族なのだ」
というものです。
佐三氏は、これを「人間尊重主義」、「大家族主義」の経営哲学と呼びました。
要するに、昔からある日本式商店の経営哲学です

出光佐三氏は、明治18(1885)年、福岡県赤間村(現・宗像市)で生まれました。
生家は、地元で藍問屋を営んでいて指折りの資産家でした。
ご先祖は、大分にある宇佐八幡宮の大宮司だったそうです。
宇佐八幡宮というと、和気清麻呂の物語に出てくる御神託をいただいた、あの神宮です。

佐三氏は、小学校に入った頃は、病弱でしたし、ひどい近眼でした。
そのために本が読めない。
また、視力が弱くて体力も弱い。
そこで佐三氏は、本を読んで学ぶかわりに、常に「なぜか、どうしてか」と必死で考える習慣を身につけたそうです。…以下略

  このクビを切らないという凄さに感動します。それに比べて、非正規社員なんて情け無い雇用をして平気な顔をしている経営者は 恥ずかしいと思わないのでしょうか。
  と言うか、やはり、グローバリズムを捨て、ローカリズムで日本の伝統的な経営を取り戻すことこそが日本再生の目指すべき方向 であることは間違い無いでしょう。

  安倍さんが、そこに気がついていないように思えるのが心配です。


出光佐三の「大家族主義」はどこへ行った?

2016年08月01日 | 本田・松下・出光

  劣 化してしまった日本の経済界で、日本の伝統的な 素晴らしい経営を貫いてくれた出光興産の出光佐三さんを、4月30日 (土)、第 681回の「日 章丸事件の主人公 出光佐三」などで取上げてきました。
  ところが、その出光興産が、よりによって昭和シェル石油との合併を発表したときには、出光よお前もかと驚きました。
  それ以後、余りに長引いているので、どうしたんだろうと思っていたら、創業家が反対しているということが話題になっ てい ました。
  それからも、どうなることかと注目していましたが、創業家の反対の意志は強うですね。私としては、この創業家の反対 に全 面的に賛成です。
  折角、佐三さんの強い意志で貫いてきた素晴らしい経営を貫いて貰いたいものです。今や、グローバリズムからローカリ ズム へとの日本を取り戻すチャンスも見えてきているだけに、その最高のモデルとして日本の企業を引っ張っていってもらいたいと願 うのは私だけでしょうか。
  
  産経ニュースより     2016.7.25

 【出 光興産お家騒動】出光佐三の「大家族主義」はどこへ行った? 創業家と経営側の対立溝深く…昭和シェル石油との合併 の行 方は?
  
 昭和シェル石油との合併計画をめぐる出光興産の経営陣と創業家の対立は、直接協議を経ても解決の糸口がみえない。 33・ 92%の出光株を持つと主張する創業家は、合併の取り下げを求める姿勢を崩していない。経営側は粘り強く創業家を説得してい く考えだが、説得は決め手に欠ける。社風や中東情勢などにからむ両者の認識には、いぜん大きな溝が残ったままだ。(佐藤 克 史)

 脱・家族主義は困難

 創業家が6月28日の定時株主総会で合併に反対した理由は、同社が守ってきた創業者の“遺訓”が背景にある。

 創業者の出光佐三氏は自ら掲げた「大家族主義」を求心力に積極果敢な経営手法で会社を成長させた。第二次世界大戦後の 混乱 の中でも社員の雇用を守り抜いた。平成18年まで非上場を貫き、現在も同社に労働組合は存在していない。佐三氏の理念を強み としてきた経営手法は、株主の利益を最優先とする欧米流の企業経営とは対極を成す。

 一方、合併相手の昭シェルは巨大石油資本(メジャー)の系列で労組を持つ。出光昭介名誉会長ら創業家は、「社風が違 う」両 社の合併で、出光らしい経営が損なわれることに懸念を示した。合併以外の手法でも経営統合を受け入れない構えだ。

 対する経営側は「昭シェルの労使関係は良好」と説明。「両社の根底に流れる価値観には多くの共通点がある」として、創 業家 に理解を求める一方、両社で統合準備を進める分科会を間接部門を中心に発足し、交流を深めている。だが、創業家を納得させる だけの材料を打ち出せていないのが実情だ。

 中東情勢も相いれず

 両社の統合に創業家が反対する理由には、産油国の中東情勢をめぐる変化も大きい。佐三氏は石油メジャーに対抗し、国際 的に 孤立していたイランから、秘密裏に大量の石油を安く買い付けた「日章丸事件」で世界中の注目を集めた。以来、イランとは友好 的な関係にある。

 一方、昭シェルの大株主にはサウジアラビアの国営石油企業、サウジアラムコが約15%出資している。ただ、サウジとイ ラン は国交断絶状態にあり、創業家側は「中東が混迷の度合いを深める中、サウジの系列になるのは適切ではない」と指摘する。

 ただ、経営側によると輸入原油は、平成27年度ではサウジ産が約40%とトップ。1月まで欧米の経済制裁を受けていた イラ ン産は約1%しかなく、創業家側の主張は現実にそぐわない部分がある。経営側は「サウジとはすでに緊密な関係にある」と主張 する。

 公益法人の議決権は

 出光と昭シェルの合併承認には、年内に予定する出光の臨時株主総会で、株主の3分の2以上の賛成が必要になる。ただ、 創業 家側は総会で合併を拒否できる3分の1超の株式を保有しており、経営側が押し切るのは困難な状況だ。

 こうした中で経営側は、創業家側が主張する株式保有比率に公益財団法人の出光美術館の保有分が含まれていると指摘。公 益性 が高い法人が経営に関与することに異議を唱えた。対する創業家側は、昭介氏が理事長を務める同美術館の議決権行使に支障が出 ないよう定款を変更し、合併反対に向けて足場を固めた。

 企業関連の公益法人による株式保有は、かつての株式持ち合いと同様に、経営の自由度を確保する安定株主の側面を持つ。 経営 側にとって“身内”だったはずの公益法人の議決権が、経営判断の否定にまわった事実は、創業家と経営側の意思疎通が不十分な 実情を浮き彫りにした。両者は今後も協議を重ねる予定だが、歩み寄りの道筋は見えない。

 今の、出光の経営陣は佐三さんに育てられた人達じゃないのでしょうか。それとも、その素晴らしい考えを忘れてしまうほ どに 劣化してしまったのでしょうか。
 佐三さんが健在であれば、こんな選択は絶対にやらなかったはずでしょう。その心を忘れた経営者が、何をやっても、出光 の斜 陽は間違いないのじゃないでしょうか。

  ここは、佐三さんの心意気を理解した創業家に頑張ってもらいたいですね。せめて、一つくらい、日本の伝統を受け継ぐ 素晴 らしい企業が存続してもらいたい。
  いずれ、日本の企業が、それに続く時代を取り戻すまで、先頭にたって引っ張っていってください。
 

日本企業の鏡となれ!

★日章丸事件の主人公 出光佐三

2016年04月30日 | 本田・松下・出光

  こんな凄い経営者がいたん だとびっくりして、1999年7月25日日曜日、第 3話の「出光佐三」で取り上げ、百田さんが書かれた小説を、2014年3月26日 (水)、第 5302回の「海 賊とよばれた男」で取り上げて、本も読みました。
  それで、始めて出光さんの生い立ちや考えを知り、益々、凄い人だと知りました。ここでも良く書いているように、本田 宗一郎さ ん達と同じように、戦前の教育を受け、戦後の復興に尽くされたきた経営者が引退していった80年代以後、戦後教育で育った自虐史 観に犯された後継者により、日本の企業が劣化してきたのは間違い無いでしょう。
 
  その中でも、ここまで、素晴らしい考えを持って経営に携わった人は、殆どいなかったのじゃないでしょうか。

  偶然、動画を見つけました。動画を見ていると、改めて、その凄さに感動させられます。今の儲ける為には何をやっても 良いとい うような堕落した日本の企業を、昔ながらの、日本の素晴らしい企業に再生するのは、こうした人が育ってこなければ無理なのでしょ う。道は遠いですね。


  今度の、百田さんの映画「海賊とよばれた男」が楽しみです。見てみたいものですが、動画で見れるようになるのは何年 後でしょ うか。


★本田宗一朗さん

2015年05月07日 | 本田・松下・出光

  日本の経営者で魅力的な人と言えば、本田宗一 朗・井深大・松下幸之助さん達が直に上がります。その中でも、私もそうですが、本田宗一朗さんの魅力はトップじゃないで しょうか。
  第 5687回の「ホンダジェット」なども宗一郎さんだからこそ開発に乗り出したのでしょう。創業者社長と雖も 他の人には真似ができないでしょうね。
  そのホンダが、今年から参入したF1で結果を出せずに苦労しているようです。宗一朗さんの魂が引き継がれていると思 われるホンダに何があったのでしょ うか。まだ、結論を出すには早すぎるし、きっとやってくれると期待しているのですが、西村幸佑さんが面白い視点からの動 画をアップしてくれています。 

   Nishimura Broadcast(西村幸祐放送局)より  2015年4月29日

  【特 別企画・対談】どうする日本の製造業 ホンダF1は復活するのか?/西村幸祐+関野通夫


  会社が大きくなって組織で動くようになると、一人一人の個性と言うか、良い意味のキチガイが居なくなるのじゃないで しょうか。食事・睡眠も惜しんで仕 事にのめり込むような情熱の中から新しい技術が生まれてくるのじゃないでしょうか。今の時代だったら、労働基準法に違反 するとか問題になりそうですが、 やってる本人は夢中になってのめり込んで充実した気持ちで満たされているはずです。そうした、のめり込みが無ければ良い ものは開発できないのじゃないで しょうか。
  会社の成長と共にそうした社風も排除されて行き、普通の会社になってしまうのかもしれません。それが、ソニーやパナ ソニックにも当てはまるのじゃないでしょうか。かろうじて、ホンダにはまだ宗一朗さんの精神が残っていると期待したいと ころです。

  宗一朗さんの生涯を語る動画がありました。


  両方とも長い動画なので、時間のあるときとか、何度にも分けてみると良いと思います。

  それにしても、宗一朗さんの本も沢山読み、その都度感動させられたのですが、こうやって動画を見ても、やはり、感動 しますね。
  日本人の中でも異色でしょうね。もうこうした経営者は出ないのでしょうね。

時代の違いでしょうか!

ホンダジェット

2015年04月29日 | 本田・松下・出光

  昨日は大和だったので、本当なら、ここで平成 のゼロ戦こと心神の初飛行の動画を上げたいところですが、延期になってしまって、何時の事やら。
  三菱はMRJの方も延期ですね。三菱自体に何か問題があるのでしょうか。どうにも、おかしいですね。

  さて、心神は遅れましたが、ホンダジェットは予定通りのようです。というか、ホンダも苦労してやっとここまでこぎつ けたと言うことでしょう。
  それでも、4輪に進出した時といい、こんな会社は日本には珍しいですね。やはり、宗一郎さんの精神が生きているので しょうね。宗一郎さんもこのジェットは自分の目で見たかったでしょうね。

  それにしても、日本で飛ぶのが初めてというのも面白いものですね。日本でも買ってくれる人はいるのでしょうか。

  産経ニュースより   2015.4.24

  【動 画】ホンダジェット 25日から国内5カ所で一般公開
 


    ホンダが発売を予定している小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」が23日、初めて羽田空港に着陸し、報道陣にお披露目された。25日からは国内5 カ所で一般公開する。

  ホンダジェットは航空事業子会社のホンダエアクラフトカンパニーが開発し、昨年6月に量産1号機が米国で初飛行し た。価格は 450万ドル(約5億4千万円)。ホンダによると、欧米で100件以上の受注があるという。米当局の認定を受けた後、富裕層や企 業など受注客への納入を開始する計画だ。

  25日からは、仙台空港、神戸空港などをまわって、一般公開する。また、5月19日からスイスで開催される欧州最大 のビジネ ス航空ショーに出展。イギリスやフランスなど欧州各国をまわり、速度や燃費性能をアピールする方針だ。

  航空事業は創業者、本田宗一郎氏の「夢」で、昭和37年には航空機の設計コンテストを企画するなど参入を計画してい たとされ る。61年から航空機用エンジンなどの基礎研究を始め、平成9年からホンダジェットの開発に着手していた。


  この歳になっても、やはり、船や飛行機などは何度見ても飽きないですね。これは、男の血何でしょうか。それとも、単 なる、個人の好みでしょうか。  
  

早く、心神も見たい!

甦れ創業者魂

2015年01月30日 | 本田・松下・出光

  第598回の「サムライ資本主義」で80年代以前の日本の経営者の精神を持つ経営者がいなくなったことが日本の経済が停滞してしまった原因であると書きましたが、その証拠のようなものを同じ産経WESTが書いてくれていました。  
  今の、劣化してしまった経団連の経営者達にはこんな素晴らしい話は耳に届かないのでしょうか。

   産経WESTより    2013.10.13
  
  【国際ビジネスマンの日本千思万考】 日本のマネで成り上がった中国・韓国がASEANに抜かれるのは時間の問題…日本は創業魂を大切に持ち続けよ
 
  …略

  渋沢栄一は銀行家の枠を超え大実業家として近代資本主義をリードし、儒教(道義)的に正道を歩まなければ事業は永続しないと、江戸商人の徳育を図った 石田梅岩の和の魂に欧米経営技術を加味しました。続いて安田善次郎は、明治政府からの信用を得る一方で、仏教に深く帰依して政商に距離を置き、手がけた事 業に永続性を持たせ、今日のミズホグループにつなげたのでした。

  現JFEスチールや太平洋セメントの生みの親・浅野聡一郎も「九転び十起き」を座右の銘とした規格外の大実業家でした。丸善創業者・早矢仕有的も書 店・商社・病院経営等多角経営の代表的財界人の一人です。極め付きは東芝創業者・田中久重。万年時計の傑作を生み、蒸気船・精米機・蒸気自動車から電信 機・電話機まで携わった理系エンジニアの先駆けは、永続国家日本を支え、道義心、克己心、忍耐力、謙虚さ、など国民的美質の源泉となっています。

  戦後のイノベーター気質の代表は、ホンダとソニーのトップによる決断が生み出した「どこにもないモノ造り」でしょうか。

  ホンダの本田宗一郎は「まねをして楽をしたら、その後苦しみ、転落と崩壊しかない。苦しくとも、独自の製品を創り出せば、最終競争に勝つ王道に至る。 悔いの残らぬモノ造りの基本条件は、自らに忠実な創意と技術であり、その点は芸術やファッションにも通じる」と言いました。

  ソニーの井深大は「俺が欲しいものは世界中の人々も必ず欲しがるだろう。技術力に自信を持ち、開発に没頭し続け、思い切って企業化する勇気と決断はトップの責務である」

  この2人の至言を今こそ噛み締めていただきたいものです。「失敗を恐れず、考え続ける気風が企業の良し悪しを定め、成功という快楽に至る根源である」というのが両創業者共通の考え方だったのです。…以下略

  久しぶりに本田宗一郎さんの言葉を見ましたが、やはり、今のサラリーマン経営者とは違いますね。本田も今、エアバッグ問題で苦戦していますが、宗一郎 さんの精神で盛り返してもらいたいものです。それに、今年は、待ちに待ったF1への復帰もあります。こんなことで、又しても撤退なんてことにならないこと を願います。
  それでも、ホンダはかろうじて頑張っているようですが、井深さんは今のソニーを見たら何と言われることでしょう。

  いずれにしても、明治から80年代までの先人の精神を取り戻すことこそが日本再生のカギとなりそうです。


★戦地から帰ってきた人 

2014年09月26日 | 本田・松下・出光

  第 5336回の「経営者の育成が先」や第 5439回の「IHIのジェットエンジン」などで取り上げた出光佐三さん、土光敏夫さんや本田宗一郎さんな ど80年代に戦前の教育を受けた人達が経営の一線から退いた頃から日本の衰退が始まったと書いてきました。  
  第 5360回の「ソニーは復活できるのか」で取り上げた、今や泥沼から抜け出すこともできないソニーの井深大 さんも嘆いているでしょうね。

  そんな素晴らしい人達を百田さんが面白い言葉できちんと称賛していました。

  MSN産経ニュースより  2014.9.20

  百 田尚樹氏「朝日は日本人をおとしめる」 九州「正論」懇話会

  九州「正論」懇話会の第114回講演会が20日、福岡市中央区のホテルニューオー タニ博多で開かれ、作家 でNHK経営委員の百田尚樹氏が「日本の誇り」と題して講演し、東京電力福島第1原発所長だった吉田昌郎氏=昨年7 月死去=の「吉田調書」や慰安婦をめぐ る朝日新聞の虚報を批判した。会場には700人以上が詰めかけた。

  百田氏は、吉田調書をめぐり、朝日新聞の木村伊量(ただかず)社長が記事の誤りを 認めて撤回した記者会見 について「ひどかった」と指摘。その上で、「『検証した結果、誤っていた』という説明は大嘘で、政府が吉田調書の公 開に踏み切らなければ、絶対に黙ってい た。公開されたら嘘がばれるので、慌てて謝った」との見方を示した。

  朝日新聞が8月、慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏の証言を虚偽と認め、記事 を取り消したことには、 「歴史学者らが調べたら吉田証言は嘘だと分かった。チェック機能がおろそかだったという問題ではない。朝日は日本人 をおとしめ、日本はひどい国だと言いた い。この目的のためにどんな嘘もつく」と断じた。

  また、百田氏は自著「海賊とよばれた男」で、主人公のモデルとなった出光興産創業 者の出光佐三ら、祖国復興に尽くした先人について「終戦から、わずか20年で高速鉄道(新幹線)を通し、東京五輪を 開いた。当時、最も働いたのは戦地から帰ってきた人だった」と称賛した。

  そうか「戦地から帰ってきた人だった」のですね。百田さんが書いた、第 5302回の「海賊と よばれた男」の感動を思い出します。
  戦前の教育を受けた人達の凄さを思い知らされます。もし、あの戦争で亡くなられた優秀な人達が生きていたら、日本は きっと物凄い国になっていたでしょう。アメリカなんかとっくに抜いていたでしょうね。
  そんな人達が一生懸命復興させた日本を貶めることばかりをやってきた朝日新聞って何なんでしょうね。恥ずかしと思わ ないのでしょうか。どうにも不思議です。やはり、日本人とは思えませんね。

  それにしても、戦後のGHQの企みとはいえ、教育でこれだけ人間が変わるのは本当に恐ろしいことです。日本再生には 教育の再生が急がれるのは間違いないでしょう。
  何度も書きましたが、軟弱な私でも、戦前の教育を受けていたらもう少しましな人間になっていたかもと思うと、残念で す。  
  

教育は本当に大事!

ホンダジェットのエンジン

2014年07月11日 | 本田・松下・出光

  第 5405回の 「空も日本の時代か」 で取り上げたホンダジェットでちょっと不安だったのが、もしかしたらエンジンはホンダ製じゃないのだろうかということで した。
  ところが、早速その疑問に答えてくれる記事がありました。流石ホンダ、エンジンも自社製だそうです。それも、かなり 良いもののようです。
  開発に時間がかかっていたので不思議でしたが、何 と、一から作り上げたそうです。道理で、時間がかかるはずです。流石、やる事が違いますね。まだまだ宗一郎さんの精神が 生きているのでしょう。生きている間に見せてあげたかったですね。
  その精神を生かして、来年からのF1参戦も頑張ってもらいたいものです。今から、来年のシーズンが待ち遠しくてたま りません。何度も撤退しています が、今度こそ続けてもらいたいものです。と言うか、余り勝ちすぎると、又、規制をかけられそうで心配です。民度の高い日 本人は差別を嫌いますが、それに比 べて民度の低い欧米人こそ差別主義ですね。まだまだ、世界に日本の素晴らしさの広報が足りないですね。

  記事は結構長いのですが、どこをとっても素晴らしいので、殆ど引用させてもらいました。残りは、リンク元で読んでく ださい。
     
  ビジネスジャーナルより  2014/7/4

  「離 陸」間近のホンダジェット、開発宣言から50年 の舞台裏 “車屋”の発想による奇跡

  片山修/経済ジャーナリスト・経営評論家

  ホンダは、じつに不思議な会社である。

  ホンダは、小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」の開発を進めてきた。当初、 「“二輪屋”のホンダ に、飛行機をつくれるはずがない」というのが、世間の見方だった。それはそうだろう。富士重工業やロールスロイスな ど、母体が航空機エンジンメーカーの企 業が自動車をつくった例はあっても、自動車メーカーが航空機をつくった例はかつてない。

 また、航空機産業では、機体とエンジンの開発・生産のすみ分けが進んでいる。ボーイングのような航空機メーカーは、航空機エンジンを生産していない。ホ ンダのように、両方の開発・生産を手掛ける民間企業は、世界に例がない。この事実からしても、ホンダはじつに不思議 な会社である。

 しかも、不思議なことに、「ホンダなら、本当にやるかもしれない」という期待を抱かせる何かを持っている。なぜだろうか。それは、ホンダのDNAと もいうべき「夢」への挑戦にあるだろう。

 ホンダの不思議についていえば、普通、ジェット機のエンジンは、左右の主翼の下、ないしは胴体後部左右に搭載されている。ところが、ホンダジェットは左 右主翼の上にエンジンが搭載されているのだ。主翼上にセットすれば、乱気流が生じ、非効率とされる。にもかかわら ず、ホンダは業界の常識を覆した。不思議 なスタイルである。

  しかしその結果、ホンダジェットは、ライバル機に比較して最大巡航速度は約10% 向上の時速778km、実用上昇限度は約5% 向上の約13100m、 燃費性能も数値こそ発表されていないが約20%の向上を実現。客室 の広さも、約18%向上の高さ1.46m、 幅1.52m、長さ5.43mで あり、パイロットを含めて7人乗りである。そのホンダジェットは今、離陸に 向けた秒読み段階に入っているのだ。

   ●技術革新を見据えた長期的経営視点

  ジェット機の開発は、そもそもホンダ創業者である本田宗一郎の「夢」だった。1917年、 当時10歳だった宗一郎は、米飛行士アート・スミスの 曲芸飛行を見ようと、自宅から20km以上離れた浜松練兵場へ自転車で向かっ た。手持ち金不足で入場できなかったために、木に登ってそれを鑑賞した。以来、飛行機に憧れ続けたというのは、あま りにも有名な話だ。

  それから45年を経た62年、 二輪レースの世界最高峰マン島TTレース(イギリス)で前年に初優勝するなど勢 いに乗るホンダは、朝日新聞が掲載した「国産軽飛行機 設計を募集」の広告に協賛した。そして同年、宗一郎は社内報 で「いよいよ私どもの会社でも軽飛行機を開発しようと思っております」と発言している。

  ただ、宗一郎の決意があったとしても、航空機の開発はそんなに簡単なことではない。ホンダが航空機の開発に正式に取り組むのは、それから24年 後の86年である。

  ホンダは同年、「和光基礎技術研究センター(基礎研)」を極密に開設した。その23年 前からテーマの模索が行われていたが、その際、シェア一番になることより、技術の新規性、進歩性においてトップにな ることこそホンダが追求すべき道だ――と考えられた。つまり、10から20年 先の技術革新を見据えていた。長期的経営視点である。

  選ばれたテーマは、航空機エンジン、航空機体、ロボット、バイオエタノールやソー ラーを使う次世代エネルギーの4つで、いずれも極秘開発プロジェクトとしてス タートした。二足歩行ロボット「ASIMO」の開発も、そのときに始まったのだ。

  航空機エンジンの開発のため、若手技術者数名が集められた。極秘研究というので、 開発者たちは10年以上にわたって家族にすら研究内容を話すこ とが許されなかった。これも、不思議を通り越してクレイジーな話といわなければならない。エンジンに必要な材料チタ ンにしろ、専用ベアリング1つにしろ、業者に用途を伝えられなかったり、し かるべきメーカーに発注ができなかった。秘密保持の苦労は続いた。

   ●ゼロからの設計にトライ

  ホンダが秘密保持を解き、正式にホンダジェットのプロジェクトを始動したのは、97年 のことである。

  私は、正式発表の翌98年、当時基礎研のエグ ゼクティブチーフエンジニアとして航空機エンジンの開発の先頭に立っていた故窪田理氏を取材した。大学で航空原動機 を専攻した窪田氏は、86年の基礎研設置当時から航空機エンジンを担当 しており、初期の開発ストーリーを聞くことができた。窪田氏らは、文字通り何もないところから、航空機エンジンの開 発を始めた。ゼロからの出発だ。

  「普通、まったく新しいことをやろうとするときには、よそでつくったものを買って きてバラしてみることから始めるのが常道なのでしょう。しかし、われわれは、基本的には自分たちでゼロから設計する ことにトライしました」(窪田氏)

  いくら自動車のエンジンをつくっていても、航空機エンジンは技術的に格段の差があ る。「他人のマネはしないこった」という宗一郎の考え方は、今もってホンダの理念といっていいのだが、それにしても 無謀な話といえる。

  実際、最初の34年 は、ひたすら回せば壊れるエンジンをつくり続けることになった。開発が軌道に乗り始めても、無鉄砲というか勇ましい エピソードは数知れない。秘密プロジェ クトだというので、与えられた研究室は窓のない部屋だった。和光研究所内にある車用ガスタービンのための施設で、開 発中の航空機エンジンを回したところ、 衝撃のあまり建物の壁が吹き飛びそうになった。北海道鷹栖にあるテストコースに櫓を組み、航空機エンジンを吊るして 回したら、爆音に驚いた旭川の自衛隊基 地から、ヘリコプターが慌てて偵察にきた――。

  95年、米ロサンゼルスでボーイング727の 古い機体に、開発エンジンを乗せて飛行テストをした。といっても、開発エンジンが727を 飛ばしたのではなく、あくまで機体の一部分にくっつけて性能を調べたにすぎない。しかし、窪田氏ら開発者たちの喜び は大きかった。そして、前述したように97年に公式発表し、秘密のベールを脱いだのだ。

  ●“車屋”の発想

  一方、機体の開発を担当したのは、エンジン設計者の窪田氏とともに、開発開始当初 から携わってきた藤野道格氏(ホンダの航空機事業子会社、HACI<ホ ンダ エアクラフト カンパニー>現社長)である。藤野氏は、東京大学工学部航空学科出身で、専門は空力である。クルマをつくりたくてホンダに入社したが、ジェット機開発に回 されたのだ。

  藤野氏は、冒頭で述べたように、従来のビジネスジェットのほとんどが胴体後部に配 置するエンジンを、主翼上 面に配置する独特のデザインを考案した。機内空間を広くしたいけれど、エンジンを胴体後部につけると、胴体の内側に しっかりした支柱を通さないといけな い。すると、客室が狭くなる。「エンジンが邪魔だな」と考えるうち、エンジンを主翼上部に配置することを思い付い た。彼は風洞試験を繰り返し、最適な配 置、すなわちスイートスポットを見つけ出したのだ。これによって、空力性能が高まって燃費が格段に向上したほか、胴 体後部のエンジン支持構造が不要にな り、キャビンや荷室を広くできた。

  独創性はまた、機体デザインにも発揮された。従来、航空機のエクステリアデザイン は空力設計者が担うため、 多くのジェット機は円柱がすぼんだような似た顔になる。藤野氏は、空気の摩擦抵抗が少ない「自然層流ノーズ」の独自 開発と同時に、デザインにもこだわっ た。デザイン重視は、“車屋”の発想といっていい。

  デザインに迷っているとき藤野氏は、サルヴァトーレ・フェラガモのハイヒールを見 て、「これだ!」と、イ ンスピレーションがわいた。尖ったつま先からかかとにかけての鋭く流れるラインから、現在の尖鋭的なデザインが生ま れたのだ。ホンダジェットがビジネス ジェット機というより、ノーズが尖った戦闘機を連想させるような鋭い顔をもっている理由である。藤野氏は2012年、 日本人としては初めて、米国航空宇宙学会の航空機設計賞を受賞した。

  ●“大”が“小”にひれ伏した瞬間

  ホンダジェットが約20分間の初フライトに成 功したのは、03年のことである。開発開始から17年 の歳月が流れていた。

  ホンダの航空機エンジンに目をつけたのは、GEだ。GEは 大型航空機エンジンは得意としていたが、小型の航空機エンジンは不得意だった。実はホンダは、世界一のエンジンメー カーである。二輪、四輪、汎用のエンジ ンを生産しており、その生産台数は間違いなく世界トップだ。しかも、いずれのエンジンも小型であるのが特徴だ。新し く開発した航空機エンジンもまた、小型 である。GEのエンジニアは、ホン ダのエンジンを見て、 「こんなに小型でシンプルなエンジンに、これほどの性能が出せるのか」と舌を巻いたという。いわば、“大”が“小” にひれ伏したのだ。…以下略

  凄いですね。よくも完成に漕ぎ着けたものです。流石ホンダ魂としか言いようがあり ません。私が何をした訳でもないですが、やはり、こうやって日本のメーカーが頑張っているのを読むと心の底から嬉し くなります。
  ここまで来たら、飛行機のF1、即ち、三菱の心 神のようなジェット戦闘機にも挑んで欲しいと思うのは私だけでしょうか。

日本頑張れ!

空も日本の時代か

2014年07月07日 | 本田・松下・出光

  第 1552回の「ホンダ」で初めて開発していると知った「ホ ンダジェット」が遂に初飛行だそうです。初飛行というのはとっくに済んでいると思ってましたが、航空業界で は量産が始まった最初のものが飛んだ時のことを言うようですね。
  それにしても、最初に知ったのが2003年の12月で、その時は試作機が飛んでいるのですから、飛行機の開発と言う のはとんでも無い時間がかかるものなんですね。これじゃ、余程の覚悟が無い限り企業は手出しができないでしょうね。
  ホンダがここまで来たのは、やはり、本田宗一郎さんの夢も後押ししたのでしょう。  

   時事ドットコムより  2014/06 /29

  小 型ジェット機が初飛行=量産1号、来年納入へ-ホンダ

  ホンダが米国で開発している小型ジェット機「ホンダジェット」の量産1号機が初飛行に成功した。乗員を合 わせ6~7人乗り。エンジンを主翼 の上に置く独自の設計で、燃費が良いのが特長だ。価格は450万ドル(約4億5000万円)。企業や富裕層から既に 100機を超える注文を受けている。

  

    ホンダばかりに名を成させてなるものかと、三菱も頑張っています。こちらは本職だけあってジェット旅客機です。YS11が引退して、もう日本では旅客機は 作らないのだろうかとがっかりしていたのですが、天下の三菱さんが頑張ってくれているとは嬉しいですね。
  これは初飛行までは意外と早そうです。やはり、本職の強みなんでしょうか。

  日刊工業新聞   2014年 06月27日

  姿 を現す「MRJ」―三菱航空機など、初号機のエンジン取り付け完了

   【名古屋】国産旅客機、いよいよ姿を現す―。三菱航空機(名古屋市港区)と三菱重工業は26日、開発中の小型 ジェット旅客機「MRJ」の初号機にエ ンジンを取り付けたと発表した(写真、三菱航空機提供)。これで機体の外観がほぼ完成したことになり、2015年4―6 月に計画する初飛行に向けて前進し た。

  最終組み立てラインのある三菱重工小牧南工場(愛知県豊山町)で取り付けた。同エンジンは米プラット・アンド・ホ イットニー(P&W)製の「PW1200G」。MRJは13日には胴体と主翼をつなげる「翼胴結合」を完了しており、急 ピッチで組み立て作業が進んでいる。
   今後は配線・配管や通信機といった装備品を取り付け、今秋をめどに機体全体での強度試験に着手する。全 日本空輸への量産初号機納入は17年4―6月を計画している。

  第 5335回の平成のゼロ戦、「心神」の初飛行も年内だということですから、いよいよ日本が空に本格的に復帰 する時代が近づいているということでしょうか。
  環境問題と言う面からはあまりお勧めできない飛行機ですが、やはり心ときめくものがあります。長い間押さえつけられ てきた技術を世界に見せてやりましょう。

  楽しみです!

海賊とよばれた男

2014年03月26日 | 本田・松下・出光

  第 5300の 「雇用と富 を日本に取り戻す」第 529の 「見 えてきた原発ロボ」でも書いたように、日本再生の為に、安倍さんが最もふさわしくないと思える竹中氏 をブレーンとするほど最も苦手としていると思われる経済や雇用体系をどうすべきかが気にかかって仕方があり ません。
  ところが、偶然でしょうか、そんな解決策を教えてくれるような本を読みました。

  この部屋を始めたすぐの、第 3話で取り上げた出光佐三さんの「馘首(かくしゅ)してはならぬ」は何時も私の胸に残っている言葉です。
  自分が大した仕事もしない癖に、何時も日本の経営者を批判ばかりしている私ですが、本田宗一郎さんとともに印象に残 る経営者です。どちらの会社も私を採用してくれないのは分かってますが、一度はその下で働いてみたかった方です。

  その、名前を、又目にしたのは、あの話題の「永遠のゼロ」の百田尚樹さんのもう一冊「海賊とよばれた男」のモ デルが あの 出光佐三さんだと知った時でした。
  ゼロ戦も好きですが、あえて読もうとも思わなかったのですが、海賊とよばれた男が出光さんとなると、俄然読みた くな りました。
  とは言いながら、ネットを遣り出して以来ほとんど読書はしなくなり、ましてや購入なんてことは贅沢の極みとなっ てい たのでほとんど諦めていました。

  ところが、第313の、ねずさん「第二巻」 発売 のように去年の秋ごろから図書館にみんなに読んでもらいたい本を購入してもらうという密かな運動を始めた所為で、この本 がすでに蔵書としてあることを知り、貸出の予約を申し込んでいました。
  それが、坂出ではなく丸亀にあったということで借りることができ、早速読みました。

  出光さんの名前は国岡鐵造さんとなっていたので一瞬、主人公は後から出てくるのかなと思いましたが、やはり、 この 人が そうでした。名前を変えているということはフィクションとして書いているのかもしれないですね。
  それはともかく、やはり、すごい人でした。こんな経営者の下で働いてみたかったとの思いはますます募りました が、や はり、私のような軟弱物は採用されないだろうし、きっと付いて行けなかったでしょうね。

  全二巻でしたが、最初から目に涙が止まりませんでした。中身は私のつたない文では紹介する自信がありません が、是 非読んでみてください。感動の嵐でした。

  こんな感動の物語を書ける百田さんにますますNHKの改革を期待してしまいます。

 たった一つ笑ったのは永遠のゼロの宮部さんとの上海の飛行場での一瞬の出会いが書かれていたところです。遊んで ます ね。

  さて、最初に書いた、日本再生の解決策のヒントは終章の国岡鐵造とアンドレ・マルローとの対談にありました。

  …略
  マルローは国岡商店のありようにも質問した。出勤簿もなければ、組合もない、定年もないという国岡商店のルール は、マルローにとっては驚きに満ちたものだった。なぜそれが他の会社でできないのか訊くマルローに、鐵造は答えた。
「社員に対する信頼がないからです」
  マルローは、その考え方は国家にも当てはまるだろうかと訊ねた。
「あらゆることにあてはまります」
 鐵造はそう答えた後で、「私は、人間を信頼するという考え方を広めていくことこそ、日本人の世界的使命と言ってい ます」と付け加えた。
  マルローは、鐵造の「ヨーロッパは物を中心とした世界ですが、日本は人を中心とした世界です」という言葉に深い 感銘を受けたようだった。…以下略

  もう一つ私がわが意を得たりと思ったのは株式の上場をしないのは会社は株主の者じゃなく従業員のものだという 信念です。
  いずれにしても、マルローが感銘を受けた言葉は今や、日本中の経営者が忘れている言葉じゃないでしょうか。
  今の経営者の中にこの心意気の分かる人がどれだけいることでしょう。それがない限り、日本の再生は難しいといっ ても過言ではないでしょう。

  やっぱり、凄い人でした!

出光佐三

2012年11月15日 | 本田・松下・出光

  この部屋を始めた最初の1999年7月25日日曜日第 3話に取り上げた出光佐三さんの話題を何時ものサイト巡回でねずさんが取り上げてくれていまし た。
  やっぱりこの人は凄いですね。というか戦前にはこういう背中に筋の通った人が居たのでしょうね。今では 殆んどみられないのかもしれません。これだって昔ながらの教育を続けていれば今の日本人だってそれなりの人 格者が育ったはずです。私だってもしかしたらひとかどの人格者になっていたかもしれません。殆んど可能性は なかったかも。

   ねずさんの ひとりごとより

  社員は家族だ 出光佐三   2012年11月09日

  …略

  社員は家族だ。

家計が苦しいからと家族を追い出すようなこと ができるか。

会社を支えるのは人だ。

これが唯一の資本であり今後の事業を作る。

人を大切にせずして何をしようというのか。

 …以下略

 リンク先に詳しく書いてくれていますのでそ ちらを是非読んでください。思わず涙が出そうになります。ねずさんのところは気をつけて家族が周りに居ないとき を見計らって読まないと何時も泣きそうになります。
  それにしても、この部屋を始めた13年前にも日本の経営者の酷さを嘆いていたのですね。今はもっと酷く なっているのじゃないでしょうか。やはりトッテンサン曰く80年以後、戦前の経営者が一線を退いた後、日本 の経営者は益々酷くなっているのじゃないでしょうか。それに上乗せて政治も堕落していますからやはり日本の 将来は無いのかもしれません。戦後教育の堕落がもたらした結果と言ってもいいのじゃないでしょうか。
  それでも、このねずさんのような方が毎日昔の日本の素晴らしさを広めてくれているので少しずつ目が覚め てきた人も居るようです。ネットがなかったら私も未だに気がついていなかったと思います。ネットこそが日本 を救うのかもしれません。

 この日本人の目覚めが今回の自民党の安倍総 裁選出に繋がったと思ってます。5年の月日が日本人に少しずつ自虐史観による洗脳を気付かせてくれたのでしょ う。まだまだ本流ではないかもしれませんが、もしかしたら日本も立ち直れるのかもしれません。

淡い期待かも!


★無税国家論  松下幸之助

2012年10月19日 | 本田・松下・出光

  第 4458回などで何度も取り上げている松下幸之助さんの「無税国家論」を未だに期待している私 ですが、同じような考えの人はまだまだいるようです。太陽光発電関連でこのところ巡回しているのブログで書 いています。

  太 陽光発電日記by太陽に集いしものより  2012年10月14日 (日)

    増税 なき財政再建のヒントは公益金融資本主義=松下幸之助「収益分配国家論」

来年度から本格的な復興増税がはじまりますが、それを財源として確保された19兆円 もの莫大な震災復興予算が、霞ヶ関のシロアリ官僚の予算取りの餌食にされていたというニュースはこの国の政府の 病巣の深さを物語っていると思います。…中略

民間企業ならば、市場ニーズに合う製品を、ニーズに合う価格で提供しつづけるよう業 績を追及して努力しなければ、退場を迫られるわけですから、業績が伴わなければ、低い給料に甘んじながらも、未 来の業績向上にかけるしかないわけです。

ところが、行政機関の場合は、無駄な仕事でお茶を濁すばかりだとしても、給与待遇は 右肩上がりで保証され、赤字を拡大させても、最後は増税で帳尻合わせすればいいだけなので、肝心の仕事の中身よ りも、増税とか、予算枠を拡大させることにばかりにとらわれ、気がつくと、巨大なゴクツブシの再生産機関となっ てしまっていたという必然性の中にいます。

そのように日本国に巣食う巨大な寄生害虫の巣窟と化した霞ヶ関気質を一新するために は、従来の「予算を使うために税金を集める」ことだけだったあり方をかえ、行政・公的機関が収益事業を行う「国 家資本主義」「公益資本主義」のあり方をとりいれることで、「社会に貢献することで収益を得て、その収益でさら に社会貢献をする」という新しいスタンスを持たせるようにするのも必要ではないかと思います。

20年以上前の松下幸之助氏が提唱した「収益分配国家」というのがあります。

簡単に言うと、政府が、無駄遣いを減らして浮かしたお金を運用すれば、収益を蓄積で きるし、その収益だけで予算財源が確保できるようになれば、税金のない国が作れる・・・というシンプルなもので す。

参考 松下幸之助・・・「収益分配国家のすすめ」

一見荒唐無稽な提案のように思えますが、見方を変えれば「公益資本主義」の発想で、 行政機関を収益と公益を同時に追求するプレーヤーとして市場参加させることで、無駄遣いと借金と増税の拡大再生 産の悪循環に陥っている、シロアリ官僚に蝕まれたわが日本国の政府のあり方にメスをいれようというものです。

松下幸之助氏の想いをひとことでいうと、「国家金融資本主義のすすめ」みたいなもの じゃないでしょうか。…中略

このように松下幸之助氏の「無税国家」「収益分配国家」で提案された「国家が収益を 追求する」という発想は、国家機関を長期投資の担い手としてアレンジする工夫をすることで、増税なき財政再建に つなげることができるのではないでしょうか?

  かなり長いので大部分を省略していますので興味のある方はリンク先を読んでくださ い。

  それにしても、この考えが実行されていたら今の日本はどうなっていたでしょう か。幸之助さんもその理想を実現させるべく「松下政経塾」を創ったのじゃないでしょうか。
  ところがそこで育ててもらった塾生が始めて総理になったと思ったら命を掛けて「増税」に取り組むですか らこれほどの皮肉はちょっと無いでしょうね。野田さんはじめ塾生には育ててもらった費用を返還して、今やそ の無策の原因の一つ円高などで大赤字に陥っているパナソニックの補填をしてもらいたいものです。
  流石の幸之助さんもここまで裏切られることになるとは想像もしなかたでしょうね。それどころか未だに塾 育ちを売り物にしているのですから何をかいわんやです。

全く腹が立つ!


★★無税国家論

2011年12月03日 | 本田・松下・出光

  第867話な どで何度か触れた松下幸之助さんの無税国家論が久しぶりに話題になっています。

   YOMIURI ONLINEよ り

   松 下氏の無税国家論、今は財政状況違う…首相

  22日の衆院財務金融委員会で、竹内譲氏(公明)は野田首相の「政治の師」である松下幸之助氏が唱えた「無税国家 論」を引用し、消費税増税を唱える首相と師の見解の違いを突いた。

  だが、首相は時代の変化を強調し、財政規律の重要性を説いて一歩も引かなかった。

  竹内氏「首相が学んだ松下氏の『無税国家論』についてどう思うか」

  首相「予算の単年度制をやめ、余ったお金を運用して国家経営をするのが『無税国家』だ。私は松下さんの弟子だが、今 は財政状況がまったく違う。財政規律を守る姿勢は理解いただけると思う」

  竹内氏「(首相の考えは)税金を少なくするという師匠の考えに反するが、忸怩(じ くじ)たるものはあるのか」

  首相「1000兆円近い借金の山がある中で持続可能な財政のため、苦しい、大きな山だが、一歩一歩登っていかなくて はならない。そのタイミングに私は政権を預かった。職責を果たすことが師匠に対する恩返しだ」

   そうでしたね、幸之助さんが設立した松 下政経塾の第一期生の野田さんが「無税国家論」どころか増税や外交など日本の国を潰そうとしている かの動きは皮肉としか言いようがないですね。
  経営の神様も政治の世界には通用しなかったのでしょうか。きっと優れた人もいるのでしょうが、特に目立つの は民主党で日本を壊そうとしている人達のように思えるのは考えすぎでしょうか。
  松下さんも折角大金を投じて創立した塾からこんな変なやつばかりが育ったのでは悔やまれるでしょうね。どう せなら「無税国家」実現に特化した教育を目指して貰いかったですね。
  それにしても、他人の金である税金を食い物にする政治家や官僚・公務員というのはどうやっても退治すること ができないのでしょうね。それが人間の本性なのでしょう。

人間の限界なのか!


本田宗一郎さん

2011年04月07日 | 本田・松下・出光

  日本の経営者の中で人気を二 分するといえば本田宗一郎さんと松下幸之助さんでしょう。私は本田さん が好きです。この部屋でも最初の頃は良く取り上げたものでした。
  そんな本田さんの話題が今度の震災に関する話題としてありました。

  MSN産経ニュースより

  産経抄 4月4日

  …略

  防災計画についても、一家言あったはずだ。昭和20年の終戦前には、故郷の浜松市でも大地震に遭い、自分の工 場を失った。震災の恐ろしさは身にしみている。

 東京・南青山にあるホンダの本社ビルは、全部の階にバルコニーがある、ユニークな形をしている。「どんな地震が 起こっても、ガラスが外に落ちて迷惑がかからないようにしてくれ」。これが本田がつけたたったひとつの注文だったと いう。

 きっと業界では有名なのでしょうが私はこんなこと知りませんでした。早速どんなビルか探して見ました。

 参考:ウィキペディアより

  本田技研工業

  Honda青山ビル(本社)

設計に際しては、地震の際、窓が割 れて下の通行人に危険が及ばないようにとの本田宗一郎の指示により、幅1.5mのバルコニーに囲まれたデザインとなっている。

 脚注  なお、当ビルは交差点側 のビルの角を丸くし交差点の見通しをよくする配慮がなされている。また、ビルの三隅には避難経路として非常階段が設 けられ、ビルの地下には緊急災害用として約1万 人分の食料と水の蓄えと、防災用品が備えられている。

  効率ばかりを考える企業でこんな考えで本社ビルを作るなんてやはり本田さんは一味違いますね。ますます好きに なってしまいました。
  それにしても今の経営者にこうした公を考えた人がどれほど居るのでしょうか。政界を筆頭に日本を牛耳る人達に自 分のことしか考えられない人しかいなくなったことがここまで日本をおかしくしてしまったのかもしれません。
  もう日本にこんな宗一郎さんのような人はでないのでしょうか。

そうは考えたくない!