お台場のホテルでの試飲会では、イタリア白ワインのマスタークラスに参加して、司会進行のソムリエが選んだワインを6種試飲をしながら説明を聴いた。
だが、そんなに新しいワインというものが無いという事が分かった。
まあ5千年もの昔からグルジアにワインがあったという事だが、今まで夫々の時期に画期的なことはあったにしろ、この30年の流れはさほど変わらない。
80年代にフレッシュ&フルーティという事で、完熟して健康なブドウから綺麗なワインを造る流れとなったが、あまりに綺麗すぎて詰まらないとの反省から、幾つかの試みがなされてきた。
だが、それは昔のやり方に帰るといった方向性であった。
一つ面白いなと思ったのは、プラスティックボトルのワインをチェビコが持って来ていたことで、僕がやっていた頃にもボージュレ・ヌーボーで航空運賃を軽減するために軽量であるこのボトルを使ったが、新酒がウリのそれほど目を見張るワインでもないのに高価ゆえ、プラスティックボトルではその価値を損なってしまい、その後あまり出回っているのを見かけない。
しかしながら世界各国から大量の瓶詰めワインが日本へ入って来て、それが出て行くことなくゴミとして蓄積されるわけだから、大きな問題であった。
今流行りの継続的な世界を維持するためには、リターナブルでなければならないし、少なくとも姿形が無くなるような処理の仕方をしなければならない。
11時から3時まで4時間ワインを試飲していたが、イナリヤトにぴったりのメーカーは見つからなかった。
一店舗で近隣の客相手にワインを売るか、湘南の数店の業務店にワインを売っているだけだから、売り上げが知れている。
量販店との競合を避けるので価格がミディアムから上になっていて、なおさら販売先が限定される。
しかも世間はアルコールには否定的な流れだから、酒業界はタバコ業界ほどではないにしろシュリンクしている。
しかしながら売春と飲酒は無くならないと云われるように、人間の本性に根差した欲望であり、少量のアルコールは人生を豊かにすると思われ、そこに望みをかけている。
但し、今朝のような二日酔いになると、やっぱりアルコールは世の中にない方がいいと思う。