キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

久方ぶりの横浜ナイトクルージング

2024年10月10日 | Weblog
昼飯抜きで試飲をしていたので3時過ぎに浜松町で腹を満たそうとしたが、いいところは3時に店仕舞いしていて、チェーン店の焼肉屋に入ったが、これが不味かった。
しかも割と高いので、個人でやっている食堂は十分に勝ち抜いてゆけるんじゃないかと感じた。
大店舗法改正で大型店が街にやって来て、それだけで勝ち目がないと商いを放棄した人が多かったが、大型店には大型店の欠点があり、そこを突いて行けばいくらでも商機はあった。
特に生鮮3品と総菜屋については可能性が高く、確かに魚屋と八百屋の多くはつぶれてしまったが、残ったところがあるし、総菜屋は肉屋が揚げ物に総菜をプラスして大いに繁盛している店が我が街にもある。

友人に美濃屋の柿の種を約束したのが夏前で、酷暑のために横浜へ出ることもなく無為に4か月が過ぎた。
浜松町から桜木町まで京浜東北線で40分くらいかなあ、だいたい座って一本で行けるので寄り道しやすい。
先日TVで観た蕎麦屋の後を継いだ河村屋の娘さんの姿を眺め、地下へ下りて美濃屋へ行くと馴染みのオバサンがいて5年振りくらいに会った。
やや老けたが相変わらず綺麗だった。
柿の種など6種類を買いこみ、馬車道へ向かった。
先日二宮のイタリアンのシェフから聞いた、健蔵さんがオープンした店「Kennzo」へ向かったが、生憎オープンが5時半だったので、開店前の忙しい時には顔を出すのがはばかられ、利休庵で菊正宗の燗を3本呑んだ。
蒟蒻の味噌おでん、大根と人参と焼椎茸と油揚げを細切りにしたサラダ様のもの、アサリと葱のぬたを肴に取り、もりで〆た。

吉田町の「はし本」で久し振りに元気そうな橋本さんに会い、あん肝で燗酒を吞んで小一時間話をして出た。

野毛の「福屋」で白子酢で福寿の燗を2本呑んだ。
カウンターの右端に座り、スーパーニッカのグラスの氷をぐるぐる音を立てて回し、何時もタクシーで帰る、80にはなっていると思われる整体院のチェーンの社長が、未だ週3回やって来てるそうだ。
ベラボーに高いわけではないが、夏は鰻、冬は河豚の店だから、一人で軽く飲んでも1万円にはなり、それを週3回、相鉄線の沿線までタクシーで帰るというのは相当な贅沢だと思う。
だが、それが彼の生きがいで最も大切な時間なんだろう。

ほぼ向かいの「Brilliant」に10年振りに入り、ギムレットとマティーニを飲む。
助手の女の子がいたのに驚いたが、お客が割と入っているから人気店なんだろうな。

最後に「R」に寄って塚ちゃんに会い、マティーニとラフロイグ10年を飲んだ。
髪に白いものが混じり初老の感じがしたが、こっちはすっかりジジイだけど、前のプロレス好きのオーナーから店を引き継いでもう20年以上になるから、青年だった彼も50男になるわけだ。

馬車道も新しいビルが建ち、かなり変わったが、吉田町から野毛も随分と変わっていた。
毎日通っていた時にはその変化が分からなかったが、久し振りに見るとよく分かるものだ。
日本人は新しいものを好むが、横浜の古い建物や路地が無くなるのは寂しい。
まあ、僕よりもっと前の人は、僕が観ていた横浜をすっかり変わり果てて寂しいと思っていたんだろうけどね。
変わってしまった町は何だかよそよそしい。

店の人たちは二通りで、久し振りに来たことを懐かしみ歓迎してくれる人と、かつては上得意でも、今はたまにやって来たケチなジジイだから、そういった扱いの人とにね。
まあ、かつて会社が倒産した時に掌を返すような人とそうでない人に別れ、その時、人とはそういうものだと分かったが、こういったところで人の価値が問われるから気を付けなきゃいけないぜ。




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