マーディ・フィッシュ2回戦試合後インタビュー(2)


  問:なんだか悲しそうですね。病気のせいで選手生活が終わってしまったからですか、それとも現役生活が終わったという現実のためですか?

  フィッシュ:もちろん病気のせいで選手生活が終わったからではありません。試合に負けたばかりの今、私は面白い気分ではないだけです(笑)。確かに不安障害を患ったことによって、私は、まあ、気分が良くないときには少しゆううつになります。しかし、いや、そりゃそうでしょう、(敗戦というのは)そこに身を置くのにかなりな労力が要ることですからね。でも、観客のみなさんが盛り上がってくれたことは、私の最後の試合で本当に良い思い出になりました。それは明らかに試合がフルセットにもつれ込んだからではなく、私の現役最後の試合だったからです。


  問:自分の中で不安や緊張を作り出してしまう期待やプレッシャーについて言及されましたが、(第4セット)で5-4とリードしてサービング・フォー・ザ・マッチ(←このサービス・ゲームをキープすれば勝てる)を迎えたとき、そうした期待やプレッシャーを感じていましたか?

  フィッシュ:いいえ、特にあのときに限ってということはありません。確かに私はこれはチャンスだと、活かすべき大きなチャンスだと思いました。しかし、それは一瞬のうちに過ぎ去ってしまいました。先ほども言ったように、私は両脚に痙攣が起き始めていたので、これは困ったことになったと思いました。私はできるだけ水分補給をして、痙攣を緩和させようと懸命に試みました。できることはみなやりました。でも私の体は疲弊しきっていて、それで動きが止まってしまったのです。


  問:あなたの両脚が痛んで痙攣を起こし始めたとき、自分に何と言い聞かせていたのですか?もしこれが全米オープン、もしくはあなたの現役最後の試合ではなく、他の大会や試合であったなら、あなたは棄権していたのでしょうか?

  フィッシュ:いいえ、私はやはり打開しようとしたでしょう。私は今までのキャリアで、痙攣というものをほとんど経験したことがありませんでした。キャリアの初期には、今回のように痙攣が起こるほどの長時間の試合をしたことはなかったですし、それに(キャリアの)終盤…2010年から(不安障害を発症した)2012年まで、痙攣なんぞ心配する必要がなかったほど調子が良かったのです。ですから、痙攣を起こしたときは、やることなすことすべてが最悪の状況を生んだのです。でも、つまり、少し…そうですね、もう燃料切れを起こしかけていたのでしょう。そういうことです。


  問:痙攣が起きていたときには、自分自身に何と言っていたのですか?

  フィッシュ:こりゃ困ったぞ、ですね(笑)。いいえ、私はさして考えていませんでした。それと、痙攣が始まったのは、そうですね、(第5セット)3-3、そして3-4で私のサービス・ゲームになったときです。私はなんとかウィナーを打ってサービス・ゲームをキープできないものかと模索していました。私は15-40というチャンスを得ました。それは、故障が生じていて、自分が押し切れると分かっている相手との試合はやりづらいもので、私がまさにそんな対戦相手の立場にいたからです。私には分かります。私はそんな経験はさほどありませんが。相手の身体はもう限界のようだ、と分かっている場合、そんな相手と試合をするのは逆にすごく大変なんです。それで、私は第5セット第8ゲームの前までは、彼(ロペス)よりもチャンスが回って来たわけです。実に多くのチャンスがね。だから、私はこの苦境を本当に乗り切れるのではないかとさえ思いました。でも、私は自分が苦しい立場に置かれていることも自覚していました。


  問:あなたが病気に対処しなくてはならなかったことを考えると、この数ヶ月の間、また数年の間に、一選手として、一個の人間として、自分が成し遂げたことについて、あなたが最も大きな充実感を得るのは何だろうと思いますか?

  フィッシュ:それは難しいですね。つまり、私は毎晩眠りにつくとき、…私は自分のキャリアの晩年において、自分がどんなに一生懸命に努力してきたかを思えば、とても快適に眠りにつけます。この(現役生活を終えた)夏がどんなふうに過ぎていったかを考えると、とても心地良い思いです。個人的にはただただ穏やかです。なぜかというと、私はここ数年間、自分のキャリアが終わらなかった、つまり、自分の思い描いていたようには終わらなかったことにがっかりしていました。でも、それが変えようのない現実ならば、自分が置かれた状況の中で、できる限りのことをしてみればいいのです。もちろん、それは辛いものです。ええ、辛いものなのです。それは、たとえば、こんなふうに記者会見で質問に答えていると、時おり打ちのめされるような気分になるのです。こうして質問に答えるなんて、これが最後の機会でしょうから。


  問:どんな思いになるのですか?

  フィッシュ:(質問に対して)悲しいとか愉快だとかいうことではありません。私はこうした記者会見を数多くこなしてきましたからね(笑)。つまり、これは面白い生活習慣でしょう。テニス選手として、プロのアスリートとして過ごしていく上での、(一般人とは)異なる生活習慣です。そうでしょう。こういう記者会見場で、記者のみなさんからの質問に答えるなんて、よほど特異なことですよ。そして、私はたぶんもう二度とこういうことをしないわけです。違和感を覚えます(笑)。


  問:ゴルフをするのもいいですが、プレッシャーを感じることなく、テニス選手として新しく活動する機会だってありますよね。たとえばインターナショナル・プレミア・テニス・リーグ(IPTL)などです。いつの日か、あなたが興味を抱いてやってみようという気になることはあるのでしょうか?

  フィッシュ:はい。テニスは私の人生の一部分であり続けるでしょう。私はいつでもテニスの傍にいます。ええ、ですから私はテニスからそんなに離れるつもりはありませんよ。アメリカ・テニス協会(USTA)にできる限り協力するつもりです。若いアメリカ人選手たちのためです。私には(プロテニス選手として)15、6年間以上もの多くの経験があります。私は6歳からテニスの大会でプレーしてきましたから、27年間の長きにわたる大会出場歴があるということになります。まあ今は終わりましたけれどね。


  問:現役生活を終えること、この全米オープンで終えることはどんな気分なのなのか、あなたはジェームズ(・ブレーク)やアンディ(・ロディック)と話したと思います。あなたがたはこの数日間、またこの数時間をどのように過ごしたのでしょうか?

  フィッシュ:先ほど言ったように、(敗戦直後で)私は充実感なるものを抱けていないので、それはまだ重要なことではありません。今は辛くて違和感があるだけです。ジェームズとアンディはこの全米オープン開催中(2012、2013年)に引退宣言をしましたから、私とは少し違う感覚だったでしょう。私はしばらくしてそれを知りました。私はアンディを個人的に知っていましたので、アンディが引退した経緯については知っていました。彼は自分でも分からなかった…、彼は引退を宣言した際、その寸前になるまで自分が引退することになるだろうとは、自分でも分からなかったんです。一方、ジェームズは(自分が引退するだろうことをあらかじめ)知っていたかもしれないし、あるいは知らなかったのかもしれません。彼は多くを語らなかったので。あなたの質問の最初の部分は何でしたっけ?


  問:彼らがあなたに話したことや、あなたが予想していたことは、あなたの期待に沿うものでしたか?

  フィッシュ:ええ、ええ。はい、そうですよ。つまりね、私は今日、自分の荷物を持ってロッカー・ルームを出て行く際、深々とお辞儀をして私を見送ってくれるような人を探し回るつもりはないんですよ。いいですか、そんなことは…、そんなことされたら居心地が悪いし、それは私が求めていることでもないんです。自分がこの夏に計画したことをすべてやり遂げられて、私はそれで幸せなんです。


  問:これがあなたの最後の記者会見となることについて、奇妙な感覚だと言いましたね。それは当然のことだと思います。私はあなたが自分の病気について自ら綴った手記を読みました。その中で、あなたは自分自身を、勝利と低迷とかいったスポーツ用語で定義されたくない、と書いていたことが印象に残りました。あれはスポーツの話というよりは、人生の話ですね。

  フィッシュ:なるほど。


  問:人生の物語としては、そのどんな面を、つまり、あなたは自身の人生の物語をどんな言葉で定義したいですか?あなたのテニスではなく、あなたの人生について、あなたは私たちにどんなことを考えてほしいですか?

  フィッシュ:ええ、そうですね、ただ私が…、ただ私が(同じように不安障害を抱えている)他の人々の役に立った、ということ、男らしくあるべきだろうがそうでなかろうが、私が不安障害という話題についてオープンであった、率直であったということです。私たちはテニス選手として、とても若い年齢のころから、弱さを見せてはならない、と訓練されてきました。私は自分のキャリアにおいて一貫して、弱さを見せないことにすごく長けていました。私は調子が良くないときも愚痴を言おうとしませんでしたし、それどころか、気分が良くなくてもコート上では虚勢を張ろうとし、つまりは、自分の弱い面を見せようとしなかったのです。でもだからこそ、私は自分の人生におけるそうした部分について率直でいられるのです。なぜなら、私が自分の病気について話すときに、それが大いに助けになってくれるからです。自分の不安障害について話すときに、私を楽な気分にさせてくれるのです。不安障害という病の渦中にある人々を支援し、最悪の時期に陥ってしまっている人々が参考にできる存在になることができたらと思います。彼らは病気から脱け出すことができます。私という実例があるのですから。彼らは病気を克服することができるのです。(終)


  誤訳が多くありますので、ご教示下さいましたら幸いです。代名詞と"sort of"の嵐には参った(汗)。


  不安障害という病気を発症する原因は人それぞれで、症状の種類、程度や完治にかかる時間もまた人それぞれです。その症状には大まかなパターンがあり、フィッシュの場合は動悸がその主な症状であったようです。インタビュー中に心拍計、心拍数、心電計うんぬんの話が出てきましたが、不安障害の症状として動悸がする場合、心拍数も実際に増加するのはよくあります。フィッシュはこのとき同時に、自分は死ぬのではないかという、地の底にずずずーっと引き込まれていくような、大きな恐怖感も体験したはずです。

  「不安」障害という病名で誤解されがちですが、不安障害は不安になるとかパニックになるとかいう精神的な症状だけの疾患ではなく、不安が引き金になって、実際に一連の身体的な症状が現れる病気です。発作を引き起こすその不安は「予期不安」と呼ばれますが、必ずしもその「不安」を本人が自覚できるわけではありません。発作による症状が突然、まるで天から一気に覆いかぶさるように襲ってくることもあります。

  治療はおそらく、投薬とカウンセリングやセラピーの併用が一般的ではないかと思います。フィッシュも投薬治療を受けたと話していますし、それになぜ自分が不安障害になったのか、その遠因や原因を説明しています。これはカウンセリングやセラピーを通じて自己分析した賜物でしょう。個人的には、薬によって予期不安や発作を抑えることと同時に、医師、カウンセラー、セラピストとの対話によって、自分が知らず知らずのうちに抱えていた問題を自覚することが、治療には非常に有益だと思います。

  不安障害とは、「表面的な自分」に抑えつけられていた「内にある本当の自分」が、「もうこれ以上頑張るのは無理!」、「もうこんなことやめない?」、「もういいかげん自分をいたわろう?」、「自分が本当はどう感じて、どう思っているのかそろそろ直視したら?」と主張し始めたようなものではないでしょうか。

  フィッシュは「いつも強くあらねばならない」、「いつも元気でなくてはいけない」、「いつもすばらしいプレーをしなくてはならない」、「決して愚痴を言ってはならない」、「決して弱さを見せてはならない」と、自分で自分に過剰なプレッシャーをかけ続け、本当はツアーを回る生活に疲れ果てていたにも関わらず、それでも自分の限界を超えて頑張り続けてしまいました。その結果、ついに内にある本当の自分がギブアップして、大きな発作を起こすことによって、「もうやめてくれ!」と救いを求めて悲鳴を上げる事態に至ったのだと思います。

  自身の不安障害について、フィッシュは「起こるべくして起きた」と述べています。私は、フィッシュが病気になったことは、彼が破滅を免れることができた最後の防御でもあった、という見方もできると思います。不安障害にならなかったとしても、いずれ別の形で、しかも最悪の形で爆発していたことでしょう。

  3年という時間はかかりましたが、フィッシュは見事に復帰しました。しかも、プロテニスという非常に過酷な世界にです。フィッシュが言っているとおり、不安障害は必ず治る、のです。

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