レニングラード国立バレエ『バヤデルカ』(2)

  1月8日(金)の公演も観ました。

  この日の公演は、いわゆる「名演」というべき舞台であったのではないかと思います。

  正月早々、もう2010年の最優秀公演賞となるであろう舞台を観てしまったよ(笑)。

  でも、ファルフ・ルジマトフがソロルを踊るのはこれが最後だから、という特別な思い入れがあったのですばらしい舞台だった、と思ったわけではないのです。

  ルジマトフがレニングラード国立バレエの公演に出演すると、どうしても他のダンサー、特に彼の相手役を務める女性ダンサーは「添えもの」となりがちだったと思うのですが、この日の『バヤデルカ』ではまったくそうではありませんでした。

  他のダンサーやキャストが、ルジマトフの圧倒的な存在感に負けないどころか、彼と同等か、むしろ彼を凌駕した演技や踊りを見せて、みなで一緒にすばらしい舞台を作り上げていました。

  中でも、大僧正役のニキータ・ドルグーシン、そしてなんといってもニキヤ役のイリーナ・ペレンがとびぬけてすばらしかったです。ペレンは、この舞台で「ルジマトフ越え」さえしたように思います。ダンサーとして、プリマ・バレリーナとして、公演中にいきなり大変貌を遂げたような印象でした。

  ニキータ・ドルグーシンの大僧正には、6日の公演と同じく、ただただ目を奪われっぱなしでした。ドルグーシンの大僧正を見てはじめて、レニングラード国立バレエ版『バヤデルカ』が、首尾一貫した完璧な構成を持つものであることが分かったというか、またはドルグーシンが大僧正の役を通じて、このバレエ団の『バヤデルカ』全編に一本の糸を通して、物語として更に劇的なものにしてくれたと思います。レニングラード国立バレエ版『バヤデルカ』における大僧正を、ここまで正しく解釈して表現したのは、ドルグーシンがはじめてじゃないのかな?(前にもいたのかもしれないけど)

  ドルグーシンの大僧正は悪人ではないんですね。むしろ、大僧正は至極まっとうなことを考えたりやったりしてるだけです。

  大僧正はニキヤのことを真剣に愛していて、そのニキヤに聖なる火の前で愛を誓ったソロルがガムザッティと婚約したことに憤るのも、ドゥグマンタ(王)にソロルが二股をかけていることを告げるのも、まともな反応です。

  第二幕でニキヤが踊っている最中、ドゥグマンタはアイヤ(召使)を呼び寄せ、ニキヤを殺すために毒蛇を仕込んだ花籠を用意するよう命じます。それをマグダウィア(苦行僧)が聞いていて、大僧正にこっそりと告げます。大僧正はその謀りごとを聞いて驚きの表情を浮かべ、マグダウィアに解毒剤をひそかに持ってこさせます。

  王の目論見どおり、ニキヤは花籠がソロルからの贈り物だという嘘を信じ、笑顔を浮かべて、花籠をいとおしそうに持って踊ります。その間、大僧正はいても立ってもいられない様子でニキヤを見つめています。そしてニキヤが毒蛇に咬まれると、前の記事にも書いたように、倒れたニキヤの頭を大事そうに起こして、解毒剤の入った小さい壷を差し出します。そして、悲壮な表情で、どうか飲んでくれ、というように両手を差し出し、また自分の胸を押さえます。

  ソロルが毒に苦しむニキヤを呆然と見つめるばかりで、最後には後ろを向いてニキヤから目をそむけてしまう(←これに絶望してニキヤは死を選ぶ)のに比べると、大僧正がニキヤを愛する気持ちのほうが、ソロルよりもはるかに強いのは一目瞭然です。

  第三幕の最後、ソロルとガムザッティの結婚式に大僧正が出席していない理由も、そして大僧正だけが生き残るのもこれで納得できます。大僧正は、ソロルとガムザッティの不誠実で血塗られた結婚式なんぞに出たくなかったのでしょう。神殿が崩壊した後、大僧正は山の上で聖なる火を焚き、ニキヤを象徴する白い長いヴェールが天に昇るのを見送ります。見ようによっては、大僧正がニキヤの魂を天に送り出したとも受け取れます。

  すべてが終わり、愛した女の魂が天上に昇るのを見届ける大僧正の姿は非常に印象的でした。今までは、このシーンは見るたびに「?」で、なんで「諸悪の根源」の大僧正が生き残るの?そんな大僧正の目の前で、なんでニキヤの魂(白いヴェール)が飛んでいくの?と不思議でした。でも、今回のドルグーシンの大僧正を見て、そうした疑問はすべて氷解しました。

  同時に、ニキヤの白いヴェールがこの作品では非常に重要な意味を持つ、ということにも気づきました。ニキヤがその場にいないときにニキヤを示すためだけの「記号」ではないんですね。

  ニキヤがはじめて登場するシーン、まだ何も知らないニキヤがガムザッティを祝福するために踊るシーン、そして、なんといっても影の王国での白いヴェールの踊り、ソロルとガムザッティの結婚式にニキヤの亡霊が現れて踊るシーン、白いヴェールだけが天に飛んでいく最後のシーン、これだけ白いヴェールが出てくると、白いヴェールとはニキヤそのものだと強く印象づけられます。

  特に、第一幕でのニキヤと男の奴隷との踊りと、第三幕でニキヤとソロルが踊る白いヴェールの踊りとは、すごく重要な対比の関係にあるのだと分かります。現実世界では、低い身分のニキヤは、公には奴隷としか踊れない。死んではじめて、ニキヤはソロルと踊ることができたのでしょう。第三幕の白いヴェールの踊りは、「ヴェールという小物を使いながら難しい技術で踊る見どころのシーン」にとどまるものではないのだと思います。

  こうしたことに気づいたのは、すべてドルグーシンのおかげです。ドルグーシンの大僧正の人物像が腑に落ちたら、芋づる式に白いヴェールの意味も深く理解できて、レニングラード国立バレエ版『バヤデルカ』が、いかに緻密でよくまとまった構成を持っているかがよく分かりました。

  第一幕でニキヤが男の奴隷と一緒に踊るときに使った大輪の花々と、第二幕で王とガムザッティがニキヤを殺すために使った花籠を、第三幕のソロルとガムザッティの結婚式でまた使うのも良い演出です。花はともかく、花籠をまた使うのは初めて見たような?

  ソロルとガムザッティが並んで跪いたとき、ニキヤの亡霊が彼らの頭上にぱらぱらと花の雨を降らせ(第一幕でガムザッティに対してそうしたように)、一方マグダウィアはガムザッティの前に花籠をそっと置きます。それらを見たソロルとガムザッティの顔色が変わります。ソロルは我に返ったように荒々しく立ち上がり、ガムザッティは自分がニキヤを殺したことを思い出して狼狽します。そしてソロルは花と結婚式用のヴェールを投げ捨て、今度ははっきりとガムザッティとの結婚を拒否するのです。

  ニキヤとソロルとが恋仲であったこと、ニキヤが王とガムザッティによって殺されたことを知るマグダウィアが、ニキヤの敵討ちにさりげなく関わるというこの演出は非常に効果的だったと思います。  

  長くなったのでいったん切ります。         
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