島添さんのジゼル(2)

  舞台装置のデザインは、第一幕、第二幕ともにとても美しかったです。オーストラリア・バレエ団からのレンタルだそうです。深緑の木々が両脇に聳え立ち、枝が柳のように垂れ下がり、また木々の葉が霞のようにけぶっています。

  ウィリたちの衣装はとてもシンプルで、腕に飾り袖のないものでした。でも、ピーター・ファーマーらしく、ジゼル以外のウィリたちの衣装の胸元から腰にかけて、草花の蔓のようなものが斜めに垂れ下がっていました。

  ミルタ役はなんと高畑きずなでした。あの童顔でどーするんだ、と思いましたが、マリリン・マンソン風のメイクで、それなりに(というより相当)怖かったです。踊りはすばらしかったです。ミルタは絶対に踊りを失敗してはいけません。よくやったものだと思います。踊りの途中や最後でポーズを決めて静止するとき、腕の動きはビシッ!と鋭くて、形も直線的でした。丸いかわいい顔立ちは隠せませんが、威圧感も怖さもあるミルタでした。

  ディーン版のウィリたちのフォーメーションはかなり変わっていますが、特にヒラリオンやアルブレヒトを追いつめるときのポーズ、動きや配置は、非常に効果的でした。すごく怖かったです。ウィリたちの先頭や真ん中には常にミルタがいて、男どもに「死ね!」と指を突きつける、あるいは拳を握った両腕を交差させます。・・・やっぱり高畑きずなちゃんのミルタがいちばん怖かったな~。

  ドゥ・ウィリ(モイナ、ズルマ)は大和雅美と高橋怜子で、豪華キャストでした。大和雅美の踊りはやっぱり私の好みです。群舞の先頭に立って踊っていても、やっぱり際立って踊り方がきれいです。腕のしなり方がとても美しいし、脚が長いし高く上がるから、白い衣装でアラベスクをするととても様になります。

  第二幕は息を呑んで見ていました。やはり島添亮子のジゼルは、第二幕でこそ本領を発揮しますね。あ、思い出しましたが、ウィリとなったジゼルがアルブレヒトの前に姿を現わすとき、舞台の奥を紐に吊るされたウィリの衣装だけがひゅ~っと横切っていきました。

  まるで干された洗濯物が横断していくようで、これだけでも充分にマヌケな光景でしたが、更に間のわるいことに、途中で紐が引っかかって止まってしまったのです。これなら、ウィリ役のダンサー1人に、舞台の奥を横断させたほうが簡単かつ確実なのではないでしょうか。

  更に思い出しましたが、舞台セットや演出は、最近の金に物を言わせた豪勢なデジタル(?)装置に比べると人間味の漂うアナログなものでした。たとえば、最初にウィリたちが姿を現わすシーンでは、彼女たちはみな頭から白いヴェールをかぶって登場します。他のバレエ団の舞台だと、ヴェールのてっぺんに糸がついていて、脇から引っ張って自動的にヴェールが外れます。

  ところが、今回の公演では、白いヴェールをかぶって現れたウィリたちは、ミルタの号令で一斉にバタバタと舞台の両脇に引っ込み、ヴェールを外してすぐに再登場します。体育の授業の先生と生徒みたいで面白いです。

  ジゼルが墓の中からはじめて登場するときも、せりに乗って上がってくるとか、白い煙にまぎれて現れるとかじゃなくて、ウィリたちがジゼルの墓の前に結集して、観客からジゼルの墓を見えなくするの。すると、背景の幕に開いている穴の中からジゼルが現れる(←つい見えてしまった)という次第。

  ジゼルがアルブレヒトに別れを告げて姿を消すときも、この背景の幕に空いた穴から出ていくのが見えてしまって、ちょっと現実に返ってしまいました。もっとも、この人間くささとアナログさこそが、小林紀子バレエ・シアターのいいところでもあるのですが。

  でも、「ジゼル」の舞台美術一式はオーストラリアン・バレエから借りたんだよな。オーストラリアン・バレエは、マーフィー版「白鳥の湖」には(知らないけど)あれだけ金かけといて、「ジゼル」の舞台装置はこんなにショボいのを使ってるのでしょうか。

  ジゼルとアルブレヒト、島添さんとテューズリーの踊りは本当に美しかったです。島添さんは軽くてはかなげで、テューズリーのサポートやリフトは自然でした。テューズリーが島添さんの腰を支えて頭上高く持ち上げると、島添さんは片脚をピンと伸ばして、決してそのポーズを崩しません。また、テューズリーが直立不動の姿勢の島添さんを横にして持ち上げるときも、島添さんはまったく姿勢を崩しません。テューズリーも偉いですが、島添さんもすばらしいです。

  アルブレヒトのヴァリエーションの前、ジゼルが踊り終わった後、一般にはそこで拍手が沸いて、ジゼル役のダンサーが現れてお辞儀をし、ジゼルのアラベスクをして退場します。ですが、今回のディーン版ではジゼルのお辞儀とアラベスクがなく、ジゼルが踊り終わるとすぐに退場して、そのままアルブレヒトのヴァリエーションが始まりました。常々、あのジゼルのお辞儀とアラベスク退場は、物語の流れを断ち切ってしまうような気がしていたので、今回の演出のほうが私は好きです。

  島添さんのジゼルとテューズリーのアルブレヒトの踊りは静かで哀しげで、久しぶりに「ジゼル」第二幕に感動しました。最後には涙が出そうになりました。

  もったいないと思うのは、観客の大部分が、相変わらず系列のバレエ学校、教室の先生、生徒さんとその親御さんばかりだったことです。「このまえ教室でね~」とか「あっ、あそこに○○先生がいる~」と言っていた女の子たちのほうから、「プログラム買ってないから話がわかんない」、「すっごい寝ちゃった~」という声が聞こえてきたときにはがっかりしました。

  それから、私は劇場での作法うんぬんを偉そうに言いたくないのですが、オーケストラ・ピットに指揮者が登場したときの拍手は、オーケストラ・ピット内にいる人の合図(拍手)を待って一斉に始めるべきで、指揮者が現れたかどうかも分からないのに、勝手に拍手を始めるべきではないでしょう。

  なぜかというと、「ソワレ・ミュージカル」と「ジゼル」第二幕が始まる前に、フライングで拍手を始めた観客たち(両方ともたぶん同じ人々)がいました。1階中段左サイド席のあたりです。なぜ彼らがそんなことをしたのかは分かりません。客席のライトが消えたときに起こったので、ライトが消えれば拍手するものと思っていた、ということでしょうか。

  フライングの拍手はすぐに止みましたが、そのおかげで、その後、本当に指揮者が登場したことを告げる合図の拍手に、観客がついていかなかったのです。シーンとした中を、指揮者の人は指揮台まで進んで、指揮者がオーケストラ・ピットの縁から顔を出して観客に挨拶してから、ようやく観客は拍手しました。それでもまばらなものでした。これでは指揮者の人に失礼だと思います。

  まあとにかく、すばらしい「ジゼル」でした。第一幕のペザントの群舞はまだ一糸乱れず、というわけにはいきませんでしたが、第二幕のウィリたちの群舞はきれいで幻想的でした。「白鳥の湖」のオデットや白鳥たちのように片脚を伸ばして床に座り、上半身を折って顔をうずめるポーズは面白いですね。一斉に起き上がって、また上半身を折って、という動きがよく揃っていて、しかもみな腕や体がしなやかでとても美しかったです。

  ウィリたちのポーズにはまた変わったものがありました。両腕を折って胸の前で組み合わせ、片手で顔を覆うようにするのです。ジゼルがアルブレヒトをかばって、自分の墓の前に立ちふさがるシーンでやっていました。プログラムに載っている、非常に詳しいストーリー紹介によりますと、これはジゼルの愛の力の強さに、ミルタをはじめとするウィリたちの魔力が破れた様を表現しているらしいです。

  でも、それ以外のシーンでも、ウィリたちはこのポーズをとっていたので、私は、これはひょっとしたら棺に入れられた後の死後硬直の姿を表しているのかしら、と思いました。それぐらい不気味なポーズだったのです。ディーン版のウィリたちはつくづく怖いです。「妖精です」って美化してないんですね。背中に羽根もないし。

  テューズリーはゲストだからおいといて、島添亮子さんは小林紀子バレエ・シアターでは別格のバレリーナです。その島添さんは体育会系テクニックが今ひとつ弱いですが、踊りそのものはしっとりと丁寧で、非常に繊細な動きをします。音楽性にも恵まれているのか、音楽に遅れても、すぐにそうとは覚られないように追いつきます。音楽の波の中で悠々自在に泳いでいる、といった感さえあります。

  マクミランやアシュトン作品での島添さんはとてもすばらしいのです。ですが、プティパ系の古典作品は、必ずしも完璧に踊りこなせるわけではないようです。古典作品では「ジゼル」や「パキータ」が精一杯なのかもしれません。

  でも、もったいないと思うのです。島添さんのようなダンサーを、小林紀子バレエ・シアターのトリプル・ビルの中にばかり閉じ込めておくのは。なんとか彼女がもっとメジャーになれるようなバレエ環境が日本で整わないものかしら、と思いました。

  最後にあらためて一言。今回の「ジゼル」は泣けました。本当にすばらしい舞台でした。   
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


« 島添さんのジ... 西島さんのジゼル »


 
コメント
 
 
 
私もいきました (shushu)
2007-11-21 23:11:09
チャウさん、こんばんは。
私も土曜日行きました。島添さんは、とても腕の動きが美しく、うっとりしました。テューズリーも、アルブレヒトにふさわしい雰囲気と踊りでした。
「マノン」のときは特に印象がなく、都さんの「ジゼル」のときは都さんの相手にはちょっと不足かな、と思いましたが、その後「ライモンダ」のアブデラマンでカッコよくて見直しました。フェリガラも良かったし、「椿姫」も恋するアルマンでした。コンテ、ネオクラ、古典と踊り分け、演じ分けができる貴重なダンサーですね、彼は。
客席、後ろの方もひどかったですよ。新国も東バも国内組のみのときは、生徒さんが来るので、危険です。拍手のタイミングくらいは仕方ないにしても、音出したりしゃべったりは論外。一度アンケートに生徒さんに売るなら、鑑賞の仕方も指導してほしいと書いたことあります。
 
 
 
テューズリーはよかったですね (チャウ)
2007-11-22 00:27:13
ロバート・テューズリーは、私も以前は「踊りは上手だしハンサムだけど、いまいち存在感がないな~」と思っていました。

彼に対する認識が変わったのは、このまえのアレッサンドラ・フェリ日本さよなら公演「エトワール達の花束」ででした。「ヘルマン・シュメルマン」が特にすばらしかったです。

先日の新国立劇場バレエ団の「椿姫」での踊りと演技もすばらしかった、と聞いています。おっしゃるとおり、どんなジャンルの踊りでも踊れて、しかも最近は演技も魅力的になってきたと思うので、これからもどんどん活躍していくことでしょう。

フリーランスのバレエ・ダンサーとして、本当に充実したキャリアを積んでいるなあ、と思います。
どこぞのどなたかにも見習ってほしいものです。

観客の大部分を占めていた生徒さんたちは、周囲が知り合いやご自分たちと同じ立場の方々ばかりなので、つい気が置けないふうに振舞ってしまったのでしょう。
若い方々ですし、またイギリスとは違って、日本のバレエの先生や親御さんたちはあまり厳しく注意なさらないようですので、仕方のないことかもしれません。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。