ふるさとは

  旧盆の先週一週間、私は実家に帰省しておりました。お盆に帰省したのは久しぶりな気がします。去年は確か、「ルグリズ・ブート・キャンプ」に入隊していたのではなかったでしょうか。

  今年はちゃんとお墓参りに行ったし、お坊さんが家の仏壇の前でお経をあげるのも神妙に聞きました。ご先祖様たちにはいつも、「あの子孫(私)はいつになったら落ち着くのかねえ」と心配をかけていると思います。お墓の前でお祈りして謝ってきました。

  ところで、ウチの母は機械オンチなのですが、必要もないのに高い電化製品を買ってしまうクセがあります。

  たとえばノート・パソコンがそうで、あるとき帰省したら、相当な値段であろうと思われる性能の良いノート・パソコンが実家にあって、しかもインターネットにも接続してあったので、「これ、どうしたの?」と私は尋ねました。

  母は「ご近所のみなさんが『みんな持っている』って言うから買ったのよ」と答えました。「誰が使うの?」と私が聞くと、母は「・・・・・・」と黙り込んでしまいました。

  更に母は「最近、NTTが『光』にしないか、って電話してくるの。そうしたほうがいいのかしら?」と私に相談してきました(母はもちろん「光」の意味は知らない)。私は呆れて「そもそもインターネットを全然やってないんだから、このままADSLでよろしい!ADSLでさえ、毎月NTTにムダにお金をくれてやっているようなものだわ」と答えました。

  結局、実家のパソコンは、私が帰省時に使って、そのときついでに簡単なメンテナンスもやるということになりました。私が持っているのより値段も性能も良いのに、数ヶ月おきにしか使われない、というパソコン自身にとって非常に不本意であろうと推測される状態です。しかも先週帰ったら、パソコンは実家で飼っている猫の椅子と化しており、猫がぱっと跳んでパソコンの上にどしん、と乗り、後ろ足で思い切り蹴って跳び下りているのです。

  起動してみたら、どうも一々の動きが鈍くて不安定です。「パソコンは使っても壊れるが、使わないともっと壊れる」というのが私の持論で、出入りの電気屋さん(←ほとんど「何でも屋さん」扱いされており、母親は彼らに排水管の詰まりとかも修理してもらっている)に一度ちゃんと本格的なメンテナンスをしてもらうよう言っておきました。

  前置きが長くなりましたが、母親はやはり「ご近所さんはみんな持っている」という同じ理由で、デジタル放送対応のバカでかい薄型液晶テレビも買ってしまいました。私はまだアナログ放送しか観られないというのに悔しいです。

  でも、いざ観てみると、「いやあ、デジタル放送っていいですねえ!」と言わざるを得ません。デジタル・ハイ・ヴィジョンで、しかも大型画面で観るオリンピックはド迫力でした。開会式も色鮮やかでダイナミックだったし、水泳なんかは画面の中から水しぶきが跳んでくるかのようでした。画面の中からフェルプスや北島が出てきそうです。

  オリンピックが始まって以来、どのチャンネルもオリンピック中継です。さすがに連日続くと食傷気味になってきて、なんでもいいからオリンピック以外の番組はないか、普段は嫌いなサスペンス・ドラマでもいい、クイズでもいい、という気持ちになってきました。兄も私と同じ気持ちのようで、なんとかテレビのチャンネルをオリンピック以外の番組に合わせようとしていました。

  ところが、我が家の女帝である母親はそれを許しません。「どっかでオリンピックやってないの?」とリモコンを操作して、どうしてもオリンピックを観たがるのです。テレビの前で拳を振り上げ、「それいけ!」、「やれやれー!いけー!」と大声で怒鳴っています。そんな母を残し、私と兄は台所で夕食の後片づけを黙々とやりました。

  そこで、私は一計を案じました。私は夜10時前になると、「疲れたでしょ?夜更かしは体にわるいから早く寝たほうがいいよ。明日も朝早いんでしょ?ゆっくり休んでね」と言って、母の背中を押して母をテレビのある居間から追い出しました。もちろん、テレビのチャンネルをオリンピック以外の番組に変えるためです。この策は割とうまくいきました。母がぶーぶー言いながら出ていくと、私と兄はようやく一息ついてドラマやらクイズやらバラエティやらを観ました。

  こういうわけで、今年のお盆の帰省は、連日のオリンピック強制観戦をめぐる母との攻防戦で疲れ果てました。が、こうして東京に戻ってみると、実家のあの賑やかさに比べて、この部屋はなんと静かなことだろう、と思います。東京に戻っても、どこの局もオリンピックなことには変わりないので、私はテレビを消したままです。オリンピックを観ようとは思いませんが、なんとなくさびしい気分で、実家でのあの喧騒が早くも懐かしく思われます。

  これも大事な「夏の思い出」なのでしょう。

  余談。実家で飼っている猫は、暑いせいか私とあまり遊んでくれませんでした。ただし、母親と兄に対しては露骨に媚びへつらい、兄が現れると「にゃあ~ん」と鳴いて、兄の脚に体を「すりすり」します。母親に対しては、名前を呼ばれただけで、実に甘ったれた声で「うにゃああ~ん」と答えます。

  一方、猫はどうやら私を自分より下位にある存在と見なしているらしく、私が猫の名前を呼んでも、横目でちらり、と冷たい目で一瞥すると、無言のまま去ってしまいます。従って、猫にとって、実家での序列は母親>兄>猫>私となっているらしいです。それでも、私は嫌がらせを兼ねて、猫を無理やり抱っこして、必死で顔をそむける猫のほっぺたにぶちゅぶちゅとキスをします。

  猫が実家に迷い込んできたのは3年前のことです。まだ生後1~2ヶ月くらいだったと思いますが、なぜか1匹で現れたのです。あのときは家の中の雰囲気が少し殺伐としていたころで、折しもそんなときに猫が実家に忽然とやって来たのです。

  猫のおかげで私は救われたような気持ちになり(他の家族も同じ気持ちだったでしょう)、私はこの猫に「エンジェル」と名づけたかったのですが、カタカナに弱い母親が反対し、猫にはよくある名前に落ち着きました。

  私が頻繁に実家に帰る理由の一つは、猫に会いたいがためなのです。猫を飼っているどの人もマジに思っていることでしょうが、それでもやっぱりウチの猫こそが世界一美しく、そしてかわいいのです。 
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コメント
 
 
 
ふるさと・・・・ (あけらん)
2008-08-19 22:54:29
帰るべきふるさとのあるチャウさん、羨ましいです。
青い空、みどり深い山々が、暖かくチャウさんを迎えてくれたことでしょうね。

猫ちゃんも、元気で戻って来てそのままちゃんと今度はもう迷子にならないでいてくれるのですねー、良かった。

名前を呼ばれて、ちゃんとお返事をしてくれる猫ちゃんって、エラいですよー。
ウチの5匹の中で、返事をするのはお腹が空いている時だけ、って言うのが大半です。
気分次第、です。

今も、ノートパソコンを椅子、または踏み台代わりにして、
猫ちゃんはお母さん、お兄さんと仲良くくつろいでいるのでしょうねー。(モッタイナイ・・・・)
 
 
 
ウチの猫 (チャウ)
2008-08-21 15:26:22
ウチの実家は田舎なので、旧盆に合わせてお墓参りや親戚回りなどをします。それで何かと忙しくて、実のところはあまりゆっくりできませんでしたし、遊びに出かけるということもできませんでした。

結局、毎日本を読んで過ごしていました。

私はたまにしか帰らないので仕方がないのですが、猫は私には今ひとつ心を許していないようです。子猫のときに家に現れたころ、エサはもらうけれども家族が近づくと小さな体で必死に威嚇していたのを、私がはじめて抱っこしてなでなでして、それから家族に甘えるようになったのです。

子どもだったから、もうそのときのことは覚えとらんのだろうな、と分かっているのですが、ちょっと寂しいです。でもかわいいことには変わりありません。

他の猫と同じく、ウチの猫も狩りが好きで、好調(?)なときにはスズメ、普通の調子のときにはコオロギやら蛾(うえ~)やらセミやらを捕まえてきて、わざわざ家の中で食べるのです。家族の食事時に、すぐ横で虫をバリバリとおいしそうな音をたてて食べます。こちらはちょっと食欲が減退しますが、やっぱりかわいいです。
 
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