英国ロイヤル・バレエ「ダブル・ビル」(3月5日)-4


 『大地の歌』(振付:ケネス・マクミラン、音楽:グスタフ・マーラー)(続き其の2)


  ずっと鳴っていた時計のアラーム音らしい電子音は、第6曲に入ると聞こえなくなりました。第6曲のあたりでちょうど30分ですから、アラーム機能が切れたのでしょう。

  第6曲は、主にマリアネラ・ヌニェス、ベネット・ガートサイド、カルロス・アコスタ3人の踊りとなります。

  面白いことに、この第6曲では、青年であり、また生命の象徴であったはずのガートサイドも、死の使者であるアコスタと同じように、目を隠す仮面を着けているのです。これで、生と死との違いや境目が曖昧になりました。まるで、生もまた死であるかのようです。

  アコスタとガートサイドは重なり合い、交互に入れ替わってヌニェスをサポート/リフトし、ヌニェスは彼らに翻弄されながら、複雑な動きで踊ります。第6曲の振付は、あえて分類するなら「クラシック」なのでしょうが、しかし今までに見たこともない、クラシックなどという単純な枠を超越した、不可思議な魅力と凄まじい吸引力を持つ動きでした。

  なんと形容すればいいのか、うまい表現が見つかりません。しいていえば、第6曲の振付は、マクミランの小品「ソリテイル」に雰囲気が少し似ています。しかし、「ソリテイル」とは比べものにならないほど深遠で、もうほとんど哲学的といっていい振付です。

  決して難解なのではありません。難解どころか、マーラーがこの曲を通じて表現している思いを、舞踊の形で視覚化したかのようです。音楽と舞踊とが一体化し、またマーラーの思いにマクミランが共鳴して、両者の思いが増幅して伝わってくるみたいでした。  

  マクミランが『大地の歌』をバレエ作品化したのは、まさにこの第6曲に振り付けたかったためでしょう。第1~5曲の振付がさして優れているわけでないのにも関わらず、マクミランの『大地の歌』がいまだにロイヤル・バレエのレパートリーから外されていないのは、この第6曲の振付の圧倒的なすばらしさが理由だと思われます。

  第6曲を通じて伝わってくる、マーラーとマクミランの思考感情とは何なのか、私は適切に表現できません。でも、脳ミソに確かに伝わってきたのです。ヌニェスの踊りを通じて。

  ぜひとも記しておかなければならないのは、マリアネラ・ヌニェスのパフォーマンスのすばらしさです。

  ヌニェスは、生と死に翻弄される人間の脆さ、永遠の自然の中で有限の時間を生きる人間の儚さ、しかし有限の生を従容として受け入れ、思い悩みながらも、迷いながらも、苦しみながらも、この世に一人佇む人間の弱さの中にある強さを、全身の動きで表現していました。

  ヌニェスの表情も強く印象に残っています。目に悲愴な色を浮かべて、まっすぐ前を見つめながら、戸惑い、悩み、迷い、苦しみ、悲しむ表情です。

  この第6曲の中盤で、歌唱の入らない部分が長くあります。その中に、絶望がこれでもか、これでもかとばかりに畳みかけてくる部分があり、私はこの部分の演奏を聞くと、たまらない気持ちになります。

  このとき、ヌニェスの悲愴な表情と、ヌニェスの全身から発散されていた気迫の凄まじさは、尋常なものではなかったです。ほとんど憑依状態、神がかり的だったというのがしっくりきます。

  ヌニェスのことは、私は今までただの技術屋としか思っていませんでした。ヌニェスがあれほどの表現力を持っていたことに驚愕し、そして感動しました。

  マーラーの音楽を通じたマーラーの思いにマクミランが共鳴し、マーラーとマクミランの思いにヌニェスが更に共鳴して、3重の波となって押し寄せてきたとでもいうのでしょうか。

  あれほどのパフォーマンスは、いくら頭で、理屈で、この作品を理解しているダンサーであっても、到底できるものではないと思います。

  キャスト表には、ヌニェスが先だって近しい人を亡くし、今回のパフォーマンスを故人に捧げる旨のことが書かれていました。私のヌニェスに対する印象は、多分にそれに影響されていたのは確かです。

  しかし、このことを知らなかったとしても、私はヌニェスのパフォーマンスをすばらしいと感じたろうとも思うし、あの公演でのヌニェスが特殊な状態にあったのもまた確かだと思います。

  前の記事に書いた、この作品がパフォーマンスとして成功するための一つの偶然とは、この作品を踊るダンサーが、たまたまこの作品に共鳴するような特定の状況に置かれているということです。それは、死を身近に感じているという状況です。

  第6曲が終わって終演を迎えた瞬間、先般までの静けさがうそだったかのように、会場は凄まじい拍手と歓声に包まれました。カーテン・コールに出たヌニェスは両手を顔に当て、半ば放心した、脱力しきった表情で涙を流していました。

  今回のヌニェスのパフォーマンスは名演といえると思います。しかし、彼女が再びこの作品を踊るとしても、必ずしも同じようにすばらしいものになるとは限りません。今回の彼女のパフォーマンスは、偶然がもたらしたものだと思うのです。

  そのほうがいいのです。こうした作品に過度に没入してはいけません。魂を削るようなものですから。マーラーもマクミランも、理由は知りませんが、死というものにとらわれ過ぎたのじゃないかな。それが彼らの数々の名作を生み出したのだけれども。

  観るほうも同様で、私は『大地の歌』を思い出すと気分が滅入ってきます。すばらしいパフォーマンスを観られたことはラッキーでしたが、後を引かないように気をつけないといけないな、と思います。(こんなに長々書いたこと自体、『大地の歌』がいかに危険な作品なのか分かりますね。) 
  
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