日本バレエ協会『ドン・キホーテ』(2)

  この公演は日本バレエ協会の合同発表会的なものなので、年末に各バレエ団が行なう『くるみ割り人形』を観るモードで観劇すべきなのは分かっているのです。しかし、客席にいたのは、下の記事に書いたとおりバレエの同業者か家族親戚か友人知人かで、第一幕から第三幕まで、しょっちゅうマメに大きな拍手と喝采が送られて、彼らがキャストたちを生暖かい目で見てあげているのがよ~く分かりました。

  特に同業者でもある観客の人々は、バレエを踊ることがどんなに難しいかよく分かっているから、キャストのパフォーマンスの一つ一つに理解を示し、心からの賞賛を送ったことだろうと思います。

  でも、私は同業者じゃありませんし、バレエを踊ることがどんなに難しいかさっぱり分かりませんから、観て感じたとおりに書きますね。

  今回の舞台で、プロのダンサーらしい踊りを見せたのは、メルセデス役の富村京子さん、エスパーダ役の小嶋直也さん、次点でバジル役の法村圭緒さんだけです。また、少ししか出番がなかったのでよく分かりませんが、ジプシーの踊り子役の小野田奈緒さん、森の女王役の粕谷麻美さんも非常に印象に残りました。

  大体、観ていてあれほど気分が高揚しない『ドン・キホーテ』も珍しい。みな気真面目すぎるのです。大真面目に楽しそうな笑顔を浮かべ、大真面目に楽しそうに踊る。ガマーシュ役のマシモ・アクリさんががむしゃらにオーバーアクションだったのも、舞台上に漂う緊張した雰囲気を払拭して、なんとか盛り上げようと必死だったのかもしれませんね。

  日本人ダンサーの踊りで共通してすばらしいのは、みなごまかさずにきっちり丁寧に踊ることです。教則どおりの正しいポーズをとってステップを踏む。これは美点です。しかし、その反面、融通が利かない。欠点や短所がそのまま出てしまう。臨機応変に対処して、たとえば観客を楽しませるためにとか、そういった良い目的のためであっても、ごまかす(=工夫する)ことを絶対にしない。

  しかし、こればかりは、ほとんどのダンサーが発表会レベルの舞台にしか立ったことがないだろうことを思えば、仕方がないのかもしれません。

  キトリ役の西田佑子さんは、今の時点では、キトリを踊る技術もスタミナも足りません。これからに期待、と言うしかないです。ただ、彼女の踊りを見て、他のバレリーナたちが軽々と踊っているように見えるキトリの踊りが、実はどんなに難しいのか分かったのは収穫でした。

  バジル役の法村圭緒さんは、若さが弾けるような生き生きした踊りがすばらしかったです。しかし、パートナリングはまだ要努力。

  メルセデス役の富村京子さんが今回の公演で一番の驚きでした。すばらしいダンサーです。現在は香港バレエ団のプリンシパルだそうです。プログラムを見て、やっぱりそれなりのダンサーだったか、と納得。動きが他の女性ダンサーたちとまったく違います。音楽に巧みに乗って、手足をなめらかに動かします。動きには常に余裕があり、踊り全体に磨かれたような艶がありました。

  エスパーダ役の小嶋直也さんについては、……今さら何を褒める必要もないでしょう。小嶋さんが唯一最高のプロフェッショナルでした。たとえば、脚を伸ばして横90度に上げる動き一つ取っても、実にきれいです。あと、開脚して跳躍したときの空中でのポーズの美しさ。ついでにいうと、髪がオールバックだったせいもあって、顔めっさ小さ!女性ダンサーより小さかったです。

  小嶋さんについては、この人はそもそも、こういう内輪のお発表会的公演に出るようなダンサーではない、と思います。彼は身内のためではなく、一般の観客のために踊るべきでしょう。小嶋さんにはそういう自覚を持ってほしいし、日本のバレエ界の人々もそのことを理解してほしいと思います。

  西田さんのキトリと法村さんのバジルに共通していたのは、「教えられたとおりにやってます」的な、明らかに「作ってる」と分かる演技でした。ふたりとも溌剌としてましたが、ああ、振付家や演出家やバレエ・マスターたちからこうしなさいって教えられたのねえ、という感じの人工的に明るい演技でした。

  富村さんのメルセデスと小嶋さんのエスパーダに共通していたのは、過剰に演技しすぎない、という点です。無理なお色気やカッコつけがありませんでした。だからとても自然でした。ふたり組んでの踊りも良かったです。まるでいつも組んでるかのように息が合っていました。

  ジプシーの踊り子役の小野田奈緒さんは、こう言っては失礼かもしれないけど、まさにこの「ジプシーの踊り」を踊るためにいるかのように、役と踊りにバッチリはまってました。数年前、ボリショイ・バレエの『ドン・キホーテ』を観たとき、「ジプシーの踊り」を踊ったユリアンナ・マルハシャンツを思い出しました。

  他に、この人はすごい人なんじゃないか、と思ったのが、森の妖精の女王役、粕谷麻美さんです。長身で手足が長い人で、動きが大きく、長身にも関わらず跳躍もすごく高い。存在感もあり、夢の場では、森の女王にドゥルシネア姫が完全に食われてました。

  後はぜんぶ悪口になってしまうので書きません。「ダンサーの苦労を理解している生暖かい目線」で見れば、よく頑張ったね、と言えますが、「ダンサーの苦労に無理解な一般観客目線」で見る限り、その程度でよく舞台に立てるな?客は金払って観に来てんだぞ?と書いてしまいますから。特にジプシーの首領役の彼と第2ヴァリエーションの彼女ね。

  3日間のキャストの経歴にすべて目を通したわけではありませんが、この30日の公演のキャストの経歴を読むと、「日本バレエ協会公演」といいつつ、実は特定のいくつかのバレエ団の系列に属するダンサーばかりが出演していることに気がつきます。これは、日本全国から優秀なダンサーを公平に選んで出演させたのではなく、日本バレエ協会内の力関係に沿って、配役が恣意的に決められた面もあることを示していると思います。

  こうして幸運にもキャスティングされたダンサーたちの中にさえ、優れたダンサーたちを発見できたわけですから、日本国内の無数かつ無名の小さなバレエ団、スタジオ、教室には、まだ優れたダンサーたち、そして才能ある原石が多く埋もれていて、その能力を発揮する機会を持てない状態にあると想像できます。こういう閉塞的な状況って、なんとかなんないものかな、ととても残念です。

  カーテン・コールの最後には、振付者のワレンチン・エリザリエフ氏も舞台上に姿を現しました。白髪の小柄なじいさんです。エリザリエフ氏は舞台の真ん中に立つと、両腕をフラメンコ風に構え、左右に角度を変えて(笑)何度もポーズをキメました。じいさんなのにこれがすごくカッコよくて、ある意味、今回のキャストの誰よりも魅力的だったかも。会場がワッと沸き立ちました。そーなんだよ、今日の日本人ダンサーたちに必要なのは、こういうパワーなんだよ、と思いました。

  指揮は福田一雄氏で、この高名な指揮者による演奏を聴けたことも感動でした。公演プログラムは内容が豊富で、特にこの福田一雄氏が執筆した、『ドン・キホーテ』の音楽についての考察は貴重なものです。

  今回の公演は、作品や舞台それ自体をもちろん大いに楽しみましたが、それに加えて、日本国内のバレエ事情をも考えさせられる貴重な機会でした。
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日本バレエ協会『ドン・キホーテ』(1)

  1月30日(日)の公演に行ってきました。

  日本バレエ協会(正式名称:特例社団法人 日本バレエ協会)というのは、どうも日本全国のバレエ団(ただし中・小規模の)、バレエ・スタジオ、バレエ教室、そこに所属するダンサー、またフリーランスのダンサーたちによって構成される組織のようです。設立は昭和31年(1956年)だそうですから、かなり歴史のある団体です。

  今回の公演はこの日本バレエ協会の主催なので、出演するダンサーたちは日本中(といっても地域やバレエ団にやや偏りはありますが)から集まってきていて、いろんな顔ぶれが揃った賑やかな舞台となりました。客席もほぼ、もしくは完全に満席でした。組織による動員力というのはすごいですな。観客はほとんどが同業者、つまりバレエの先生とか生徒さんとかダンサーさんとかその家族とか親戚一族郎党とかのようでした。

  この『ドン・キホーテ』は、1月28、29、30日の3日間行なわれました。主要キャストは毎回ほぼ総入れ替えです。日本のバレエを取り巻く環境上の理由で、なかなか大きな舞台に立つ機会が持てないダンサーたちのなるべく多くに、できるだけ舞台に立つチャンスを与え、キャリアを築かせようという目的もあるのでしょう。

  欧米に比べれば総じて劣っているとされる日本(国内)のバレエ界にも、たとえ有名でなくとも優れたダンサーたちが実は多く存在すること、また日本のバレエ、日本のバレエ・ダンサー独特の良さを実感した舞台でした。


   『ドン・キホーテ』

   作曲:レオン・ミンクス 他
   原振付:マリウス・プティパ
   改訂振付:アレクサンドル・ゴルスキー、カシヤン・ゴレイゾフスキー
   再改訂振付・演出:ワレンチン・エリザリエフ(ベラルーシ国立ミンスク・ボリショイ劇場バレエ団芸術監督)

   指揮:福田一雄
   演奏:シアター オーケストラ トーキョー

   キトリ/ドゥルシネア:西田佑子(フリーランス)
   バジル:法村圭緒(法村バレエ団)

   ドン・キホーテ:原田秀彦(原田秀彦・斉藤美絵子バレエスクール)
   サンチョ・パンザ:奥田慎也(フリーランス)

   エスパーダ:小嶋直也(牧阿佐美バレエ団、新国立劇場バレエ団)
   メルセデス:富村京子(香港バレエ団)

   キトリの友人:呉 佳澄(フリーランス?)、大長亜希子(下村由理恵バレエアンサンブル)

   ガマーシュ:マシモ・アクリ(アクリ・堀本バレエアカデミー)
   ロレンツォ(キトリの父):柴田英悟(ミノリ・バレエ・スタジオ)
   酒場の主人:大谷哲章(N.Otani ballet company)

   ジプシーの踊り子:小野田奈緒(小野田バレエアカデミー)
   ジプシーの首領:梅津勝也(フリーランス?)

   森の女王:粕谷麻美(フリーランス?)
   キューピッド:田川裕梨(井上バレエ団)

   第1ヴァリエーション:榎本祥子(フリーランス?)
   第2ヴァリエーション:津下香織(N.Otani ballet company)


  あとはとにかくたくさんのダンサーが出演してました。その中で気になる人。闘牛士の1人とファンダンゴを踊った加藤太郎崇綱。いや、申し訳ないが個体識別はできなかったが、名前がなにせ加藤太郎崇綱『平家物語』とかに出てきそうな名前だ。ひょっとしたら鎌倉武士の子孫か?

  今回上演されたのは、ワレンチン・エリザリエフ(ベラルーシ国立ミンスク・ボリショイ劇場バレエ団芸術監督)版です。エリザリエフ版の初演は1989年だそうですが、日本で上演されたのは今回が最初でしょう。

  エリザリエフは1937年生まれで、ワガノワ名称ロシア国立舞踊学校(現ワガノワ・バレエ・アカデミー)、リムスキー=コルサコフ名称レニングラード国立音楽院(現サンクト・ペテルブルグ国立音楽院)卒業、卒業後すぐの1972年、ベラルーシ国立ミンスク・ボリショイ・オペラ・バレエ劇場の主任振付家となり、92年に芸術監督に就任、現在に至るそうな。

  このエリザリエフ版の上演を決定したのは、日本バレエ協会会長である薄井憲二氏だそうです。プログラムの「ごあいさつ」には、「選んだのは私です。何卒私を信じて下さい」と妙にへりくだった一文があり、舞踊批評家として言いたいほーだいだった(←アダム・クーパーの悪口も言ってた)頃とは別人のような謙虚さが感じられます。それにしても、ベラルーシで上演されている版を選び出してくるなんて、どんだけ観て回ってんだ、薄井さんよ。すげーな。

  エリザリエフ版『ドン・キホーテ』は、観ていて「なんかすごい変わってる」と感じたくらい独特なものでした。今よく思い返してみると、結局はそんなに変わってるわけでもないような気がしますが、観ているときは変わってるな、と思ったのです。

  今まで観た『ドン・キホーテ』にはない演出、踊り、音楽があったし、踊りの順番や構成も変えてあるところがありました。でも、「これ以上は崩してほしくない」という一線は越えていませんでした。むしろ、『ドン・キホーテ』のおなじみの有名シーンや踊りは、ほとんど不可侵扱いといえるほど尊重して、きっちり残してある版です。

  変わってるな~、と思ったところを、覚えている限りだけど書きます。まずプロローグでは、ドン・キホーテの目の前に、最初にキューピッド、それから森の女王(観たときはドゥルシネア姫だと思ったけど、プログラムを見たら森の女王だったらしい)が現れ、キューピッドがドン・キホーテに愛の矢を射て、ドン・キホーテが旅立ちを決心する、という演出になっていました。

  第一幕では、キトリが登場する前にかなり長い群舞が設けられていました。「街の踊り子」とか「大道の踊り子」とかいう名前の登場人物がなく、他の版での「街の踊り子」による踊りは、すべてメルセデスが踊ります。確か東京バレエ団が上演しているウラジーミル・ワシリーエフ版もそうだったような?

  最も変わっているのは、ガマーシュの出番が異常に多い点です。第二幕第二場のドン・キホーテが森の女王、ドゥルシネア姫、キューピッド、妖精たちの夢を見るシーン以外、ガマーシュがぜーんぶ出てきます。しかも、ただ舞台の端っこに立ってるとかじゃありませんよ。キトリはもちろん、バジル、メルセデス、エスパーダ、キトリの友人たちにとにかく絡みまくる。ガマーシュを担当したマシモ・アクリさんのアドリブではなく、演出自体がそうなっているらしかったです。ガマーシュはキトリとバジルの踊りにも絡んでいて、双方の演技がちゃんと合っていましたから。

  でも、あまりにガマーシュがあちこち無意味に出張りすぎて、しかもアクリさんのオーバーアクションな演技が常に空回りして見事にスベってたので、正直言ってすっげえ目障りでした。ガマーシュちょーウゼえ、と第三幕にはキレそうになりました。

  第二幕の冒頭には、ジプシーのキャンプに逃げてきたキトリとバジルによるやや長い踊りがありました。バジルがキトリを横にして高くリフトし、ぐるぐる回すというもので、キトリの両脚が描く円い線がすごくきれいでした。そのあとキトリとバジルは寝ているジプシーたちの前でイチャつくわけですが、その中でふたりがマントを頭からかぶってキスをしている間、キトリが片脚を伸ばして高く上げ、爪先を細かく振るわせる、という演技というか踊りがありました。つまりキトリが「ご昇天」遊ばされたことを示す演出で、たぶんベラルーシでは大ウケするんでしょうが、日本では寒いだけでした。

  ジプシーたちによる人形劇、あるいは仮面劇がありませんでした。ちなみに、ジプシーの男たちの扮装が、全員もこもこのアゴヒゲ、カウボーイみたいな帽子と衣装で、ナニをどう誤解したらこういう衣装デザインになるんでしょうか。

  キトリとバジルが次に逃げ込んだ酒場では、エスパーダとバジルが一種の踊り比べをするようなシーンがありました。交互に同じ振りで踊ります。

  エスパーダとメルセデスは第三幕にも出てきて、ファンダンゴでクラシカルなパ・ド・ドゥ(←なんかヘンな言い方ですが)を踊ります。といっても、メルセデスは第一幕ではトゥ・シューズを、第二幕と第三幕ではキャラクター・シューズを履いて踊るのですが、キトリとバジルに対応する形で、メルセデスとエスパーダの出番と踊りが多く設けられています。

  キトリとバジルの結婚式には、なぜか森の女王が再登場します。意味がよく分かりません。えーと、これは『ドン・キホーテ』だよな、『眠れる森の美女』ではないよな、と思わず頭の中で確認しました。そしたら最後に、サンチョ・パンザ、ガマーシュ、ロレンツォが3人がかりで、直立した姿勢のドン・キホーテを高々と持ち上げました。キトリとバジル、街の人々がドン・キホーテに一斉にお辞儀します。これも、『眠れる森の美女』をパロって笑いを取ろうとしているのか、それともただ単にドン・キホーテを讃える演出なのか、やっぱり意図がよく分かりませんでした。

  でも、全体的な印象は、やはりロシア(旧ソ連)系統の『ドン・キホーテ』だな、というものです。とにかく踊り重視、空いてるところにまんべんなく踊りを詰め込もう的な感じです。これはソ連以降の改訂版の特徴でしょう。このエリザリエフ版では、キトリとバジルもそうですが、それ以上に、他の版よりもメルセデスとエスパーダの踊りが大幅に補充されているのが独特だと思います。
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