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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

ワクチン温泉談義

2021年07月11日 07時25分06秒 | えいこう語る

▼私の家から車で15分程のところに、65歳以上の入浴料が、50円の温泉がある。近所の人たちは毎日入っている人も多いようだ。

▼「自宅の風呂は使わないうちに、ボイラーが壊れてしまった」という話も聞こえてくる。浴槽は大きな方が気分がゆったりでき、疲れもとれる。

▼時間帯で顔ぶれが固定されている。高齢者が多いので、数日来なければ、死亡説?さえ出る始末だ。漁業地域なので、漁の話とパチンコの話が多い。それと病院通いの話もだ。

▼温泉からの感染は聞こえてこないので「温泉でウイルスなんか流れ落してやる」という気持ちが、温泉好きの心の中にあるような気がする。

▼先日、80代の常連客が、自宅から救急車で運ばれたという情報が流れた。数週間情報が途絶えたので、たぶん死亡説?が流れたに違いない。

▼番台のお姉さんたちも、ほとんど顔見知りだ。救急車で運ばれた人の消息を尋ねると「たった今風呂に入りに来て、元気に帰った」という。5日間意識不明だったそうだが、今はまったくピンピンしていたという。

▼近年、個人情報云々で「ここだけの話し」という、スペシャルものも少なくなった。田舎の温泉の番台の親切なお姉さんの情報に、心があったまる瞬間だ。

▼温泉内のサウナは、蜜を避けるために4人までの制限がある。先日私も含め4人だったが、40代の若手漁師が扉を開け「5人じゃ密だな~」と、出ていこうとした。

▼すかさず、大先輩たちが「俺たちは2回接種完了したんで安全だから、数に入れなくてもいいんだ」といい、5人となった。

▼その若い漁師。「昼のニュースで、ワクチンがあまり効果がないと言ってたよ」といったので笑いが起きた。

▼他愛もない話だけど、なんとも身も心もあったまった温泉談義だった。

      
    50円の温泉天国鄙にあり
              三等下

      ※鄙(ひな)=田舎  

【コロナ戦争で五輪中止】!?

2021年07月10日 18時33分35秒 | えいこう語る

▼コロナ軍侵略の勢いが収まらない。【コロナ戦争で五輪中止】という、新聞のトップ記事を見たいものだ。

▼我が国で最初に五輪が開催される予定だったのは、1940年(昭和15年)だ。この五輪は日中戦争拡大につき中止となった。

▼しかし、この五輪開催のきっかけが、初代神武天皇即位2600年の、記念行事にしようとしていたというから驚く。五輪で天皇制を強調し、戦争拡大への「国威発揚」を企んだのだろう。

▼前回(1936年)のベルリン大会での、ヒットラー政権の【国威発揚】を真似ようとする意図は十分うかがえる。

▼スガ総理の無観客にまでして開催する、その強い意志の向こうにあるものは何か。米国からの押し付け憲法を改め、新生日本を立ち上げようとする【憲法改正】への執念だろうか。

▼コロナ戦争が拡大し、4度目の「緊急事態宣言」下での五輪は、中止というのが歴史の教訓だろう。

▼それでも無観客での開会式を挙行しようとする。ヒットラーを超える強権力を持とうとする、第99代日本国総理大臣・菅義偉だ。

▼そんな場での天皇陛下の開会宣言など【国民の象徴】の政治利用も甚だしい。さらに、開会式にはIOC関係者は出席するようだ。

▼今気が付いたが、アスリート・ファーストでもなく、IOCファーストの五輪に成り下がったのではないか。

▼さらに気になることがある。我が北海道の札幌市はマラソン会場になっている。知事は無観客を決めたが、サッカーの札幌ドーム開催は、1万人を限度に観客を入れろとの、国の指示が出た。

▼敵のコロナ軍の侵攻に、援軍を送るような行為だ。コロナの拡大は、当初「札幌雪祭り」によるのではないかと、道民なら少なからず考えていたはずだ。

▼だが大イベントの存続や経済効果にかかわることなので、深い追及はなかった。札幌市にとって、雪祭りは五論開催と同様、世界各国からの来場者で、賑わう大イベントだからだ。

▼まして札幌ドームでのサッカーの有観客開催では、コロナ軍の拡大を推奨する、GoToトラベルと同様の無謀な作戦ではないか。失敗は繰り返してはならない。

▼「北海道への押し付け」という言葉が浮かんだ。核のゴミ処分場は、補助金をちらつかせ、北海道に決定しようとしている。

▼小さな報道扱いだが、国は室蘭市に福島第一原発事故の放射能汚染物質の【高濃度ポリ塩化ビフェニール廃棄物】の処理を持ち込むという。

▼処理後の金属くずは「環境省が引き取り環境省の責任で処理する」としているようだ。国はどこに処理しようとしているのだろうか。放射性物質のゴミの捨て場は、すべて広大な未開の大地・北海道と決めているに違いない。

▼いまだに米軍の基地を沖縄に押し付け、今度は北海道に核のゴミの押し付けだ。沖縄と北海道は、スガ政権のイジメの対象ではないか。

▼札幌ドームのサッカー観戦チケットの購入者の2割は道外だという。コロナ戦線の激戦地になる恐れがある。札幌市民は無観客を要求し、この戦いを阻止してほしいものだ。

▼普段、髪の毛と記憶が薄くなっている私だが、こんな難局には記憶が戻る。東京都の職員から財政破綻の夕張市長になり、30代後半にして北海道知事になったのは、鈴木直道だ。

▼その立役者は、鈴木の大学の先輩、スガ総理だ。私はスガ総理が「新・北海道大改造計画」を持っているのではないかと、ブログで書いたことがある。

▼鈴木知事は、若くてハンサムで発言力もある。人気度も抜群だ。やがて国政への参加は間違いない。国と歩調を合わせ実績を示していくのだろう。それは北海道を、沖縄化させる作戦に違いないのではないか。

▼さらに私の記憶が鮮明になる。スガ総理が後ろ盾になる、よそ者の若い知事の誕生を阻止しようとせず、野党は名ばかりの候補を立て、大惨敗した。

▼自民党王国北海道の始まりは、戦いを挑まない野党のせいだ。野党とは常に与党を殲滅する、ゲリラ作戦を企てる集団のことだ。

▼野党の体たらくは、一党独裁国家へ拍車をかける。4度目の「緊急事態宣言」発令は、軍事国家への大躍進を許しているのではないかと、私の妄想は、金メダル獲得の勢いを示してくる?。

▼今夜の私の夢は【コロナ戦争で五輪中止】という、朝刊を見て驚くことから始まる。その翌年に太平洋戦争突入で終戦を迎える。というところまでが夢の予定だ。

▼夢の最後は、天皇陛下の玉音放送だ?。昭和天皇ではない、現天皇陛下が五輪開会宣言で「お言葉を述べる」シーンだ。

▼「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、コロナ五輪は中止としたい」。・・・テレビの前の国民が「天皇陛下万歳」を叫ぶ。私も唱和し、自分の声で目覚めるというのが、今夜の私の夢のシナリオだ。

   
    表現の不自由展の何が不自由か
               三等下

▼という間に、札幌ドームが無観客に変更された。こんなでたらめな政権、見たことがない。

緊急事態宣言のからくり

2021年07月08日 20時26分58秒 | えいこう語る

▼「コロナ五輪」開催を直前にし、五輪の「政治利用」の実態が鮮明になってきた。つまり五輪は、アスリートのためでも世界の平和の祭典でもない。スガ政権による【憲法改正】への政治利用なのだ。

▼そう断定できるのが、東京都の4度目の【緊急事態宣言発令】だ。東京は五輪開催を控え「コロナ・ウイルス弾?」がさらに多く投下され、ウイルスが蔓延しだしてきたからだ。

▼ついに「無観客の五輪」という決断を余儀なくされたようだ。というより、国民が無観客を要望したように仕組んだのだ。

▼コロナが終息すれば、無観客など国民が望むわけがない。「緊急事態宣言」の発令と緩和を繰り返し、国民に無観客の五輪開催を納得させたのだ。

▼無観客となれば損失は大きい。だがそれに見合うだけの成果があるからだ。その成果とは【憲法改正】だ。

▼♪一度だけなら許してあげる♪、そんな歌があったのを思い出す。それが4度目ともなると「緊急事態宣言」は、国民の「危機感」を「期待感」に変換させてしまっているのではないだろうか。

▼さらにワクチン接種にみられる、国民感情のコントロールだ。『2度打てばさらに効果がある』『異なるワクチンを打てば効果がある』。

▼近年富に信頼感の薄れた政府の言いなりになる国民は、催眠術がかけられているのではないかと指摘する声も聞こえてくる。

▼それはただの戯言だと思えばそれまでだが、新聞には政府高官の声として、無観客については【国民の総意だ。流れに逆らわないのも大事だ】と報道しているのを、見逃してはならない


▼無観客が国民の総意ではない。国民はむしろ「五輪中止」の方が安全だと考えているのだ。「五輪を開催するならやればいい」。ここまで来たからには【しかたがない】という状態に陥らせただけではないか。

▼大本営発表!「令和3年7月23日、コロナ五輪開催。我ガ国のメダル獲得ハ史上最高ノ勢イ」などという、めっぽう明るい国営放送が流れるような気がする。

▼度重なる「緊急事態宣言」。海外ワクチンの国家による「強制的接種」。国民の安全・安心というお題目を掲げるその先には、何が待っているのだろうか。

▼自民党改憲草案第98条は「緊急事態」の憲法への明記だ。それは現憲法第2章「戦争の放棄」を「安全保障」と書き換え「国防軍を保持する」という改正案と、セットなのだ。

▼つまり軍隊を持ち「緊急事態宣言」を憲法に明記すると、軍隊は内なる狂暴化を表面に出してくるのだ。

▼そのスガ政権の“悪だくみ”?!に、まんまと乗せられてはならない。こんなことを私がほざいても何の足しにもならないが、フランス文学者であり思想家の内田樹著「街場の天皇論」より、私が特に印象深く感じた言葉を引用したい。

▼【自民改憲草案は「何一つ安定したものがなく、あらゆる価値が乱高下し、システムがめまぐるしく変化する社会」の到来を約束している。歴史上、様々な憲法草案が起草されたはずだが、「現実的であること」(つまりいかなる理想も持たないこと)を国是に掲げようとする案は、これが初めてであろう】。

▼さらに戦争が出きる憲法の改正は【国民国家解体】のシステムだ。「国民主権」が「国家主権」となれば、帝国憲法下の国に逆戻りをするということになる。

▼習近平体制の中国のように、世界のトップは「国民主権」より【国家主権】の方が「安全・安心な国家づくり」には効率的ではないかと考え始めているのではないだろうか。


   政治に辛く自分に甘いと感じる私
                三等下

縄文とSDGs(持続可能な開発目標)

2021年07月05日 09時44分51秒 | えいこう語る

▼最近目にする言葉に「SDGs」というのがある。2015年に国連で決議され、2030年までに世界全体で取り組む「持続可能な開発目標」=「国際社会の共通の目標」だそうだ。

▼「だそうだ」と言ったのは、私がよく理解していないということだ。ということは、国民にも浸透していない内容なのだろう。

▼役所の環境部の説明を受けたが、正直その重要性が身近に感じられなかった。私の地域は海に面しているので、海洋プラスチックの問題が身近に感じられたが「SDGs」が、17の目標があったのは、今日(5日)の北海道新聞で知った。

▼国ばかりではなく、地方自治体もこの目標に沿った政策を組み立て、実行しなければならないものだ。つまり今後の“まちづくり”に欠かせない目標なのだ。

▼私の村と近隣3町は、2004年に函館市に吸収合併された。その一つである、私の地域の隣の旧南茅部町の縄文遺跡群が、今月27日にもユネスコの世界文化遺産の登録に決定する。

▼縄文は「自然との共生」「1万年以上にもわたって大きな争いもなかった」という優位性が、私たちの誇りだ。「SDGs」そのものを世界に発信する場が、私たちが住む地域なのだ。

▼【縄文=SDGs】このコンセプトを函館市民全員が自覚しなければならない。それが新たな函館のまちづくりの在り方ではないかと、国宝の【中空土偶】が私に語りかけてくる。

▼27日登録決定の日の翌日、縄文文化交流センター前の垣ノ島遺跡が一般開放される。皆さんも【中空土偶】と【SDGs】の会話を楽ししみに来館してみませんか。

コロナ・ウイルス新型イジメ株

2021年07月03日 21時02分04秒 | えいこう語る

▼高齢者接種の通知はとっくに届いているが、開封し一度読んだだけで、手続きもしていない。
第1回目の高齢者接種の時、近くの病院で200名ほどが待機していた光景を見た。

▼以前その病院の院長と知り合いだったが、「私のところも暇なので、たまには診察に来てください」とよく冗談を言っていた。

▼その病院の前が、その日長蛇の列だった。私は若い頃から、並んで待つというのが嫌いだった。名の知れた飲食店などで列をなしていると、よその店に行くというタイプだ。

▼でも、オールディーズを演奏する有名店に出かけた時、待っている客に、ウイスキーの水割りをサービスしてくれた時は、待っている時間も、楽しみの一つだった。

▼亡くなったが、浅川マキという歌手のコンサートに出かけた。変人マキ?さんらしく、開演時間を1時間ほど待たせた。

▼フアンはそんなマキさんの性格を理解しているので、会場で酒を飲みながら「マキ早く出てこい」、「化粧をしたって“ブス”は変わらないぞ」などと、軽妙洒脱な言葉が飛び交い、結構フアン同士で楽しんでいた。

▼待たせる時間も浅川の計算の内だったようだ。コンサート会場が葬儀場だったのも、マキさんらしかった。

▼私はその時、半世紀以上も前にストリップ小屋で聞いた、客の“声援”?を思い出していた。「こっちに見せないと不平等だ。警察に通報してやる」という言葉に、場内が沸いたことだ。

▼人生に「待つ」という場面は多くある。待つ甲斐があれば、待つこともまた楽しい。結果うまくいかなくても、待つことに満足できれば「人生なんてそんなものさ」などと、悟ったような諦め気分もまたいいものだ。

▼と、何時もの横道にそれてしまった。本題のワクチン接種の話に戻す。

▼周囲の高齢者に接種者が多くなってきた。日常会話で「受けたの」と聞かれる。まだだと言えば「町会長なのに、早く受けたらいいのに」といわれる。友達からの電話で「後遺症などないから早く受けろ」という指摘まである。

▼日本人の特性で、みんな同じにならなければ、終いにはイジメられそうな気がしている。これって実体験はないが、戦時中の【国家総動員体制】ではないかと考えたりもする。

▼私が大嫌いな、アベとスガ政権下で接種を推進され、それも海外のワクチンを体内に注入されるのは、なんとも納得がいかない。

▼我が国の医薬品会社が開発したもので、接種したいという気持ちが大きい。ただ、みんなが行うからそうしなさいと、周囲から言われるのに、ちょっぴり抵抗があるだけだ。

▼ニューヨークで、接種は個人の自由だとする接種拒否グループが、街頭で自己主張をしていた。EUから離脱する英国で、街頭で賛否をディベートする姿に、民主主義っていいなと感じたのを記憶している。

▼接種拒否を主張できる環境にないのが今の日本だ。戦後民主主義も長く親しんだが、民主主義な何たるかを、私たちはよく理解していないような気がする。

▼ただ日本人の一体感の強制のような雰囲気が嫌いなのだ。というわけで【コロナワクチン・イジメ変異株】が、発症してきたのではないかと心配している。

▼世界に誇れる我が日本国憲法も「古いから新しいのに」と言われ、古いものや老人たちが、隅っこに追いやられる国は、精神学的に健康な国とは言えないような気がする。

▼「法とはある種の強制力を担保に秩序を保つ」というけど、接種を拒否した者が「国家安全法」?で逮捕されては、日本人が中国化してしまいそうで、私は軽い拒否反応を起こしている。

▼接種せざるを得ない状況に陥らさせられるというのは、よく分析ができないが、民主主義とは言えないような気がするが。

   憲改ワクチンの接種か
            三等下