▼憲法で表現の自由が保障されているので、はっきり言いたい。コロナ軍の侵攻がここまで進むのに、五輪開催の大義はない。IOCや日本政府は「安全・安心」を、完全に無視しているからだ。
▼日米安保条約で、米国が仕掛けた無謀な戦争に、集団的自衛権を行使し、無理やり参戦する状況と酷似しているように思うからだ。
▼半世紀以上に渡り、大相撲のフアンだった。「心・技・体」といわれ、国技とされた相撲道を追求する姿に、日本人として共感を覚えたからだ。
▼白鵬VS照ノ富士の全勝同士の優勝争い。まさかの肘鉄や張り手で、照ノ富士を殲滅しようとする横綱白鵬の姿に唖然とする。
▼森友問題で、自殺に追い込まれた財務省職員を見殺しにする政府のやり方と、白鵬の相撲は酷似しているからだ。
▼自分が不利になることは一切無視し、例え犠牲が出てもかまわないという姿勢だ。どうしてこんな倫理観が欠如した日本になったのだろうか。
▼その原因を突き詰めれば、戦後対米従属を続け、日本人としての“潔さ”を捨ててしまったからだ。いまだ米国の占領地として、存在しているからだ。
▼相撲界にしても、人気が落ち込み力士の確保がままならない状態になった時、外国人確保に出た。これが今に至る現象を生んだ。
▼ということは、外国人労働者の排除や米軍基地の撤去が、日本人の資質を取り戻すための必要な政策ではないか。などと考えてしまう。
▼こんな考えが先行すると、愛国精神の涵養になって行くのだろう。“涵養”は“寛容”を忘れてはならない。自国ファーストになりすぎるのが、戦争への第一歩だからだ。
▼地球環境の悪化が待ったなしの状態に来ている。国連が提唱する17の「SDGs=持続可能な開発目標」。こんな我が国では達成不可能のように思う。
▼1960年代以降提唱された「環境倫理学」という学問がある。環境に倫理を取り入れようとする考えだ。倫理観なくして、持続可能な開発などありえないという主張だ。
▼哲学者・加藤尚武著「環境倫理学のすすめ」の中に【資源枯渇も環境破壊も、ともに現在世代による未来世代の生存可能性の破壊である。これは人類の歴史上、奴隷制度とか大量殺人とか、さまざま犯罪が行なわれたなかで、最も悪質な犯罪なのである】と述べている。
▼さらに【自然の生態系を生かした人為的保護のための“倫理”が必要だ】という。さて我が国の政府と角界には「愛と倫理」があるといえるだろうか。
▼今の我が国の状況だと「SDGs」は達成できないだろう。ただ一つその可能性を秘めている考えが、縄文時代にあるように思う。
▼そんな意義が、世界文化遺産に登録されようとしている。函館市と市民は、その意義を充分世界に向けて発信できるだろうか。かつて中核都市の中で「幸せ度」が最低と言われた函館市だからだ。
▼国宝【中空土偶】は3500年の眠りから覚め、世界に持続可能な地球の在り方を伝えようとしている。
▼日本一の真昆布の産地、函館市南茅部地区の縄文文化交流センターに「中空土偶」は、静かに世界中の人たちとの出会いを待っている。
▼五輪とコロナで、我が国は税金を湯水の如く浪費したに違いない。中空土偶と『倫理』について語り合いに来ませんか。直ぐ近くには、私が推奨する縄文露天風呂もありますよ!。
倫理不在の東京五輪と白鵬
三等下