▼ 毎日頭を離れないのが、イスラム国人質事件だ。結果は最悪の事態になったが、この事件は、単なる殺人事件ではなく、我が国が戦争する国になる可能性を秘めた事件だからだ。多分、私は同じようなことを主張しているに違いない。ただ角度を変えながら、この問題に自分の限りある能力を屈指し、様々な分析を加えよう思っている。とはいっても、浅い知識からでは、想像の域を過ぎないが。でも考えずにいられないのが、この事件だ。
▼ 身近な人の死に際し、どんな慰めの言葉があるだろうか。まして、首を切られるという残虐なテロだ。語る言葉はたくさん捜せたとしても、どれも、適格で重要なものではないように思える。遺族の心中など、癒す言葉などないのだ。
▼ 「起きて見つ寝て見つ蚊屋の広さ哉」。この句は、加賀の千代女と思われていたが、実は、浮橋という遊女の歌だという。仔細はここでは説明しないが、元禄7年(1694年)に京都の出版社から出た「物おもう比(ころ)」という本に収められているという。
▼ 一人残された者の思いが、蚊屋という狭い空間に、いっぱいに広がる。何と趣があり深みのある歌であろうか。どんな慰めの言葉も入り込めない、遺族だけが味合う想いなのだろう。
▼ なぜこの句をブログに登場させたかというと、後藤健二さんは「これは自分の責任だ」という、メッセージを残しているからだ。報復など望んでいないはずだ。しかし、アベ総理は「罪を償わせる」と激怒する。海外にいる日本人の安全には、過激になってはいけないという、野党の追及には「法の裁きをかける」ともいう。
▼ 言葉は、時に武器よりも暴力的であることもある。ここは日本的な心の奥深さを発揮し、二人の犠牲者と遺族や世界中で痛みを分かち合ってくれる親日派の人々に対し、後世に残る一句をひねり、自衛隊派遣などという暴挙は謹んで欲しいものだ。
▼私にはそんな句は浮かばないが、我が国の総理なら、そのぐらいの教養を有して欲しいものである。
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