函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

ものは言わなければ伝わらない

2014年03月26日 12時49分54秒 | えいこう語る
先日の函館市町会連合会の「会長立候補推薦委員会」。
2年前の改選で、57歳の若い会長が選出された。
市町連もちょうど設立50年を迎えたので、51年目は若く新しい会長で、新時代をという意気込みが会議でも感じられた。
ところが一期2年で、職を辞すという情報が流れている。
確かに市町連会長ともなれば、仕事はハードだ。それに無給なので、有り体に言えば、時間とお金に余裕がある人か、今までの社会的実績に加え、市町連会長という肩書きがつけば、叙勲の対象候補になる、そんな目論見がある方でなければ、務まらないと思う。
これはあくまでも、私の下衆な考えだ。会長の多くは、社会奉仕の精神に満ち溢れているのだ。
だが、これまた憶測だが、立候補に、以前会長職にあった人物が出馬と囁かれている。今回は対抗馬が無く、一人だけらしいということも。
このような情報は、ほとんど間違いない情報だとみていい。
※湯の川にある市民体育館が新築される。温泉が出てこないかと聞いたら、今のとこ全く出ませんねという。
湯の川温泉も源泉が枯渇し始めているらしい。


ところがこの候補、御歳70後半だという。一般的にいえば引退の時期だ。
多分、サミュエル・ウルマンの詩「青春」のフアンと推察される。
「若さとは年齢ではなく、優れた構想力と、強い意志力と激しい情熱だ。・・・理想を失った時、人は老いる」。
都知事選に立候補した細川の殿も、街頭演説でこの詩を引用していた。
この詩は、私も好きでそらんじているが、要は、周囲がどうみるかだ。
選考委員は、私も含めて30人の会長だ。顔ぶれを窺ったが、私が一番若そうだ。
並み居る先輩諸氏をさておいて、年齢制限と、任期の制限について意見を述べた。この顔ぶれでは、タブーの発言だ。
「若い者がやる気が無いから、しかたがなくこの年齢でもやっている。年齢制限したら、誰がやるのか」という、想定内の反論だ。
「一般の会長はそれでいいが、市町連の会長候補が、高年齢なら一般市民がどう思うかだ。それでなくとも入会が少ない(函館市の加入率60%)。老人クラブと思われやしないか」とまでは、はっきりいわないが、そんな意味を十分含めて発言したつもりだ。
結果、賛成大多数で、私のタブー発言は却下された。
でも、聡明な会長さんばかりだ。私の意図は、腹の隅にしまってくれていると私は信じている。
2年前、市町連の常任理事に就任した時の初会議。
当時、事務局員は行政からの天下りだった。
「新人なので素朴な質問だけど」と、「天下り反対」の声を上げた。
こういう質問は初戦に限る。
これも、天下りは実務能力に長けているとして、却下された。
だが、ボディーブローが効いていたのか、その後の新事局員は、民間からの採用になり、今年も同じく民間採用だ。
天下りの指定席は、そこで廃止されたのだ。
187組織の市町連会長。顔ぶれも実力も多彩だ。
それゆえ、今までは心にはあるが、言い出せない雰囲気が多いように感じる。
「市民の安心・安全を守る町会」。
アベ政権下になり、安心・安全の解釈が大幅に拡大してきた。
それらに対処するには、発想の切り換えが必要となる。
形式化した組織には、タブーを恐れぬ刺激が必要だ。
とはいえ、ままならぬのが世の中だ。
でも、適格なボディーブローは有効だ。大先輩たちは総じて体力的にボディーが弱い。
だがタブーの出し過ぎは、禁物だ。
タブーは「ちょっとだけよ」の節度が肝心らしい。