函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

市民自治

2014年03月17日 17時07分58秒 | えいこう語る
「市民自治」とはよく聞きなれた言葉だが、実は神棚に置いてあるような、市民が普段着のように使いこなしていない言葉だ。
自治ではなく「市民他治」といった方がいいような、親近感に乏しい存在のようだ。
なぜなら、「議会制代表民主主義」の中で、市民の代表とされる議員に、私たちの権利を代行させているからだ。
最近の一番身近な例は「集団的自衛権行使」の問題だ。
今までは法の番人である「内閣法制局」が、我が国には「憲法第九条」があるため、他国と違い容認はできないという見解だ。
それゆえに、自衛隊は軍隊にはなり得なかったのだ。
アベ総理は、法制局長に自分の意のままになる、刺客を送り込んだ。
憲法を改正せず、解釈だけで「戦争が出来る国」にしようとする危険な動きだ。
※今朝の日の出美術館。


このような問題、我が函館市にも同様なものがある。
アベ総理は、原子力規制委員会にも刺客を送り、世界一厳しい委員会の安全基準を満たせば、大間原発は稼動させるという。
この二つの問題には「主権在民」という、民主国家の「魂」が欠如している。
憲法改正や原発問題。
国民の生命にかかわるものについては、議会制代表民主主義は、極めて危険だ。
人類史上、最大の殺戮を起こした第二次世界大戦。
その反省の下に生まれた「憲法第九条」。
その戦争の歴史的記憶がまだ生々しい現在、いとも簡単に国会議員による解釈変更で、また国家が殺人を起こす愚考を、誰が阻止できるか。
「市民自治」というのは、このような危機に自覚しなければならない、民主主義の根幹ではないだろうか。
次に、我が地域の話題だ。
人口千人足らずの我が地域。高齢化と過疎化で町会活動も瀕死の状態になった。
そこで、地域の行政と町会が3年間にわたり協議を重ね、7つの町会を1つにし、町会の強化を図ることにした。
小さな地域内だが、それぞれの個性があり様々な意見が出る。
結果、私の町会も含め5町会が一つになり、残り二つは単独でという結果になった。
これを分裂とみる向きもあるが、今後数年の新町会の動きが、既存のものより成果を上げれば、問題は解決するだろう。
我が村は函館市と合併し、今年で10年を迎える。
「小さくても光り輝く村」という、まちづくりのタイトルを生かせないで「吸収合併」という不名誉を歴史に刻んだ。
合併後、旧4町村の住民からは、異口同音に「合併して何もよくならない」という声が聞こえる。
悪い面ばかり見ないでいいことを考えたい。
市町村合併をしたから、町会の再編成がすすんだのだ。
合併し、地方議会が解散された。
地方議会は住民の代表であったが、実は住民自治を阻む、大きな「権力の壁」でもあったのだ。
町会再編は、住民の代表である町会が地域の衰退を防ぐため、自発的に行政と協働した。
以前の地方議会なら「地域振興は自分たちの仕事だ。自分たちの存在をないがしろにする」と、圧力を加えたに違いない。
戦後の地方議会、住民生活の向上のために機能を発揮したのは、村史の語るところだ。。
だが、いつの間にか市民から預けられた権能を、自己保全の権力として履き違えてしまったようだ。
先日、ある町の議会議長と列車で同席になった。
その議長「私たち議員は、住民にとって必要のない存在ではないかと、自省させられるととがある」と話した。
この言葉に、戦後の地方議会の限界と再生の意欲を、私は見た。
敗戦を迎え、国家主義が崩壊し、我が国の様々な機能停止した時期、全国各地で、市民自らが考え学ぼうとする「民衆の学校」なる「社会教育」の真の姿が実践されたという。
大きなものでいえば「京都人文学園」「鎌倉アカデミー」などだ。
地域では、広島県の本郷町が名を連ねている。
10年前、函館市との吸収合併(戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町)は「財政難」を理由の「自治権放棄」だった。
私はそのことを、占領国に自治を奪われた、我が国の敗戦に重ねた。
「スモールメリット」を発揮できなかった旧自治体が生きる道は「スケールメリット」の活用だ。
隣同士連携を深め、地域のパワーアップを計りたいものだ。
幸い、平成23年4月1日。「函館市自治基本条例」が施行された。
そこには「市民自治」の指針が示されている。
基本は日本国憲法と変わりはない「主権在民」だ。
自治基本条例が「市民の憲法」といわれるのは、そこにある。
朝食の時間が迫ってきた。
今日私が言いたかったのは、市民が立ち上がれば「憲法改正」も「大間原発」も、必ず阻止できるということだ。
そのためには「市民自治」という民主主義細胞を、市民の体内に埋め込まなければならないだろう。
「真の社会教育」とは,そんな目的を持ったものかもしれないと思う、朝日がきれいな今日である。