函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

靖国と諭吉

2014年03月07日 11時16分02秒 | えいこう語る
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」。
小学校に上がったばかりの頃だと思うが、親戚のおじさんに教えられたのが、福沢諭吉のこの言葉だ。
人はみな平等であるというこの精神は、差別せず仲良くしようということだと信じてきた。
従軍慰安婦問題は性差別だ。侵略した軍隊が犯したこの野蛮な行為、その軍人を祭る靖国神社へのアベ総理の参拝は、侵略された国から見れば、非礼千万ということだろう。
しかし、アベ総理は、お国のために命を捧げた兵士に、尊崇の念を抱くのは、当たり前という。
靖国問題は「感情」の問題なので、いつまでたっても堂々巡りだ。
靖国神社は1869年(明治2年)に、東京招魂社として創建され、10年後に靖国神社と改称した。天皇(国家)のため死んだ魂を祭る社だ。
国家のために死んだ兵士を崇め奉る、現在に至るシステムが形づくられたのは、明治天皇(大元帥)が日清戦争の臨時大祭に靖国神社を参拝してからだろう。
その参拝の、発端になったのが、福沢諭吉を社主とする新聞「時事新報」らしい。
明治天皇が参拝する1月前の1895年(明治28年)11月14日の時事新報の論説に「戦死者の大祭典を挙行す可し」がある。
「日清戦争(明治27年~28年)から生き返った将兵は、最高の名誉を与えられており国民に感謝されているのみならず、爵位勲章まで授けられ報奨金まで受けている。これに対し死んだ者は何も与えられず国民に歓迎されることもない。これはおかしい、このままではいけない。戦死者とその遺族にも可能な限りの名誉と栄光を与えなければならない」と主張する。
当時東洋の形勢は切迫し、もし戦争になれば誰が国を守るか。それは兵士ではないか。息子を失って家族が悲嘆の涙にくれていたのでは、次の戦争で国家のために命を捨てても戦う兵士の精神を調達することは出来ない。そのためには大元帥閣下自ら祭主と為らせ給い、死者の勲功を賞し、その英魂を慰する勅語を下し賜はんこと、我輩の大に願うところなり」と続く。
この論説が出た1月後の12月16日から3日間にわたって、日清戦争の臨時大祭が行われ、2日目に天皇(大元帥閣下)が参拝する。
※神が現れる時は、こんな光の中からか。靖国の鳩ではなく、椴法華の鴎が、光と戯れている。


「お国のための名誉の戦死」「陛下に使ってもらえる子を持たしていただきたい」「誉の母」という、逆転現象がいとも簡単に実現され、
日本人の戦死の意味を、国家という神=絶対者が保障するという体制が作られたのだ。
アベ総理の靖国参拝の真意は、もしかして天皇陛下の参拝の「露払い」の行事ではないかと疑ってしまう。
しかし、陛下は「憲法は守るように」と話している。
アベ総理は、天皇陛下にも国民にも「憲法改正」と「靖国参拝」を強制しようとしているのだろうか。
なんだか、よくわからなくなってきた。
これが「アベコベノミクス」というのだろうか。
東洋の形勢は切迫してきたのは、明治当初と酷似してきた。
「歴史は繰り返す」とは誰がいったか知らないが、私は以前、2日間靖国神社に朝から夕方までいたことがある。
靖国の英霊たちと語り合ったのだ。
英霊たちが私に語ったのは「二度と再び戦争をさせたくない」ということだ。
アベ総理の靖国参拝は、A級戦犯と会話しに行っているのではないだろうか。
どうも、英霊たちとの会話はしているとは思われないし、諭吉のいう「平等の精神」も理解していないような気がしてきた。


          高橋哲哉(哲学者)著「靖国問題」を再読して。