函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

従軍慰安婦と蟹工船

2014年03月03日 11時57分03秒 | えいこう語る
従軍慰安婦への旧日本軍の関与や強制を認めた、1993年の河野談話(当時官房長官)を再検証するという、菅官房長官の意図がよく理解できない。
1995年初版の、吉見義明著「従軍慰安婦」を読むと、韓国ばかりではなく侵略した中国、台湾、東南アジアの広範囲にわたるまでの記述がある。
最初の軍慰安所は、1991年(昭和6年)だ。
我が国は傀儡国家「満州国」の工作を欧米諸国からの目をそらすため、南満州鉄道の路線を爆破し「満州事変」を起こす。
このときに派遣された陸海軍が、上海に軍慰安所を設置したのが始まりのようだ。
戦争が拡大する中、略奪・強姦が始まる。
強姦は民衆を敵にするので、市民がゲリラ化すると鎮圧が難しくなるという。
慰安婦についての、自分の推測は控える。
終戦後も長い間ジャングルに潜伏し続けた、軍人小野田寛郎氏の発言に注目したい。
「兵隊たちは慰安所に通うことを“朝鮮銀行に貯金するに行く”といっていました」。
私も、今は亡き戦争体験者から、慰安所に列を成して並んでいた光景を聞いている。
慰安婦の調達には、民間の業者が当たったが、軍隊という組織が背景にあり実施されたことは間違いない。
先日、函館市内で「多喜二祭」が催されたので、参加してきた。
多喜二の出身校である、小樽商大の荻野富士夫教授(日本近現代史)が「蟹工船から見えてくるもの」というテーマで講演した。
当時の我が国は、領地拡大のため満鉄と北洋漁業は、生命線だったという。
日露戦争によって、沿海州からカムチャッカまでの漁業権を獲得するのだが、当時の国家予算が15億円だったのに対し、満鉄から5億、北洋漁業から1億の収益があったという。
※津軽海峡戦の準備を始める、不沈空母「HAKODATE」。


北洋漁業の基地になったのは、函館市だ。
それを取り仕切ったのは日露漁業だ。
北洋での缶詰は、三菱商事が欧米の販売を手がけ、日露本社も丸ビル(三菱地所)にあった。
日露漁業社長堤清六、平塚常次郎も衆議院議員となり、政界と財閥との結びつきを強めている。
北洋での漁を確保するため領海侵犯をするが、それを守ったのは海軍だ。
つまり、軍隊を「門番」「見張り番」「用心棒」としながら、飽くことのない虐使をし、急激に資本主義化していくのだ。
従軍慰安婦の調達にも、軍隊がこのような役割を果たしたのだ。
講演の最後に「軍隊は存在力を示す役割」で「戦わなくとも軍を持つことで、物事を有利に運ぶ」という。
菅官房長官の河野談話の検証は、終戦直後、膨大な資料を焼失させたため、軍の関与は認められなかったとでも言いたいのだろうが、憲法を改正し軍隊を保持する国にするために、歴史を歪曲化する態度は許せない。
アベ政権とそのブレーンが、慰安婦問題を曖昧にしようとするのは、そんな目論見があるからなのだろう。
橋本大阪市長の「軍隊には必要だ」という発言は、軍隊の本質を突いているのだろう。
とにかく、現代は危険な時代にいるということを、国民が自覚するのが大事だと教授は語る。
私は、函館は市民が作り上げた自治意識の高いまちだと思っていたが、実は国策の中で繁栄したまちだということも理解した。
でも函館市は、1961年(昭和36年)「函館市安全都市宣言」、1984年(昭和59年)「核兵器廃絶平和都市宣言」がある。
これらが「市民の盾となり誇り」になればと思う、多喜二祭だった。