函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

ゴーストライター

2014年03月01日 09時37分55秒 | えいこう語る
耳が聞こえないのに交響曲を作り、現代の「ベートーベン」とマスコミから絶賛された、佐村河内守なるものがいる。
黒い衣装に身を包み、サングラスにロングヘヤー、風貌は決まっていた。
生まれは広島。交響曲「ヒロシマ」は、人々の心を振るわせたに違いない。
佐村河内という名も、神秘性のアクセサリーとしては効果的だ。
かつて、NHK・TVで「あるピアニストの奇跡」で、聴力を失ったピアニスト、フジ子へミングを取り上げた。
リストのラ・カンパネラの力ら強い演奏は、悲劇のピアニストの生涯を描いた映画、そのものだった。
TVを観た私は感動し、すぐCDを購入した。
NHKは第2のフジ子を狙ったに違いない。
しかし、撮影を続けているうちに、佐村河内が耳が聞こえることに気付いたようだ。
当時の会長が籾井だとする。彼なら事実を知らされても、そのまま放映しろというに違いない。
さらに、大々的宣伝を、経営委員の百田に書かせるだろう。
籾井の言葉を借りれば「どこの国でもあることだ」。
※、寒風にさらされるだけで、酒の肴に最高の味を出す、塩鮭。


そうだ、ゴーストライターなど、どこの社会でもある。
私も、人に頼まれて文章を随分書いた。
頼まれれば少しは資料を集め、それらしいものに仕上げる。
葬儀の席上、私が書いた弔辞が読み上げられた時、隣にいた知り合いが「今日の弔辞、泣かせますね」といった。
もちろん私が書いたなどとはいわない。それがゴーストライターの矜持であり、宿命だとも思っているからだ。
「日陰者でもいい、ささやかな幸せがあれば」。
そんな心境に似た感じだ。
実際に作曲した新垣隆は、音楽界では天才少年だったという。
主役、佐村河内を世に知らしめることは、新垣自身にとっても、自分の才能が開花される喜びを感じていたに違いない。
しかし、それは犯罪の領域に達してしまい、その重圧に耐え切れなかったようだ。
主役の「暴露されたら死ぬ」という、臭い芝居に愛想を尽かし、ついに暴露に至ったのではないか。
この二人の男同士の関係に推測は控えるが、単なるナルシスト同士が演じた「日本版ベートーベン」という、稚拙な映画を見せられた後味の悪さだ。
ただ、新垣隆は、その才能と人柄故、生徒たちから教師を続けて欲しいと嘆願されたという。
新垣の人柄をしのぶエピソードが新聞に載っていた。
「仕事後、赤提灯で安酒を楽しそうにやっていた」とある。
そう、赤提灯でささやかな幸せを取り戻す、サラリーマンたちへの賛歌を作曲して欲しい。
交響曲第九番「サラリーマン」だ。
それでこそ、天才少年作曲家といわれた、新垣の真骨頂ではないか。
それは、多くのゴーストライターにも、希望を与えるものだ。