函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

縄文・再び世界遺産登録へ

2014年03月04日 09時30分59秒 | えいこう語る
富士山が、世界自然遺産に登録されたが、縄文遺跡群が見送られた。
この縄文群の中に住んでいる私も、ちょっぴりがっかりしたが、私個人としては時期早尚ではないかと、考えている。
縄文文化に関心が高いのはある一部の人だ。私の周囲で、酒の席でも縄文の話題がのぼる環境にはない。
そこに住む人が、誇りに思える存在でなければ、世界遺産には到底程遠いと思うからだ。
登録をされると、世界中から見学に訪れる。そこの住民が、訪ねられて「よく知りません」なら、世界遺産などとはいえない。
縄文の素晴らしさはその精神性にあるといわれるが、我が地域は漁業のまちなので、精神性は根性だけで、あとは労働力のみが、生活を支えるからだ。
こういってしまっては身も蓋もないが、縄文文化は一般の浸透度と理解力が、不足しているのが実情だ。
関係者が如何に努力を重ねても「新約聖書・マタイ伝第11章“笛吹けど踊らず”」の状態ではないかと感じる。
だが、ここまで運動を続けてきたのだから、とにもかくにも登録をという、関係者の情熱と努力は、痛いほど伝わってくる。
3月1日と2日の両日「津軽海峡権に展開した縄文文化とその活用:世界遺産登録に向けて」というシンポジュウムが行われた。
わたしは、1日目には「多喜二祭」に出席したので、2日目の講座が行われる、国宝「中空土偶」が出土した、隣町の縄文文化交流センターに足を運んだ。


午前10時から午後4時半までの講義だ。ウニ漁が中止になったので、久々に妻の手作り弁当持参の参加だった。
これほどの充実した勉強会で、参加費無料というのは、うれしい。
津軽海峡の海流による文化の交流を通し、世界遺産への登録に向けた新たな軸組みを強固にし、ユネスコへのアピールを再構築するという意気込みだ。
講座の内容もかなり高度で充実しているが、反面、地域の人々との意識の差は、津軽海峡をはるかに凌ぐ大きさが生じているのではないかと心配する。
館長の音頭で「世界遺産登録への新たな決意証明」は、参加者全体が強く意識したようだ。
私は、そんな熱い思いの中、この館の地下に鎮座する国宝「中空土偶」の声を確かに聞いた。
「私たち縄文人は自然豊かなこの地で、素晴らしい環境に恵まれ長い年月暮らしてきた。世界遺産の登録とは、人類が住みやすく、持続可能な地球環境を維持することを、世界に表明することだ」。
この言葉を聞き「この海峡には、大間原発はふさわしくない。原発稼動であれば、世界遺産登録はやめたほうがいい」と、私に問いかけてきたように思えた。
縄文文化は確かに世界遺産に値するものだが、世界から我が国はどう見られているのだろうか。
「戦争が出来る国」「事故の処理も出来ないのに、原発を推進する国」。
私がユネスコの世界遺産担当者であれば、このような国には、見送るというより、選考基準の枠外にしたいと思うけど。