函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

「この世」とは

2014年03月23日 16時13分37秒 | えいこう語る
朝日新聞の「天声人語」にあたるのが、北海道新聞の「卓上四季」だ。
最近、この「卓上四季」のコラムが、充実している。
以前、このコーナーを担当する人と話したことがあるが、月曜から金曜日まで一人で書き、土日は休むようだ。休んでいてもネタ探しに気を張り詰めているという。
今日は、「この世」をどんなものに例えたらいいのだろう。という問いで文章が始まる。
万葉の歌人は「それは朝早く港を出て行った船の航跡が、消えてなくなるようなものである」と続く。
私も「とどほっけ村日の出美術館」の館主?として、朝日や海や船をよく撮影するが、このような思いを抱いたことはないし、文章も浮かんでこない。
※今朝の日の出美術館。


未発達な文明社会の人のほうが、感性は圧倒的に豊かのようだ。
「世の中を何に譬(たと)へむ朝びらき漕(こ)ぎ去(い)にし船の跡無きごとし」という歌だ。
「この世」とは、実にはかない。これは日々実感するが「あの世」とはいかなるものか。
私の隣の老夫婦。昨年暮れ、87歳で夫が旅立った。
80代になった頃「あの世は、どんなところだろうか」と私に尋ねた。
お酒好きだったので「あの世は天国というから、この世が地獄だ。あの世に行ったら、酒はただで飲めるし、年もとらない。それに美女がたくさんいて、相手をしてくれるようだ」といったら、笑っていた。
老々介護で、大変な毎日だったが、夫が亡くなると、84歳の奥さんが、無気力状態になった。
私も気遣い、ほぼ毎日顔を出すが「体も弱まり、食べ物も美味しくなくなり、死にたい」という。
「去年お父さんが死んだばかりで、今おばさんに死なれると、近所に迷惑が掛かるから、もうしばらく生きていてほしい。そのうち迎えが来るから心配しなくてもいい」と、こちらも意味不明なことを言い、相手の気をそらす。
おばさんも仕方なく笑っている。
普段会議などでは、自分の意志を相手に伝えられるが、こんな場合、言葉に何の意志も持たすことの出来ない自分に、無力感を覚える。
気が滅入ったので、ユーチューブで落語を観る。
「卒業式」の挨拶。形式的なものが多く、あまり心を打つものが無いように感じる。
だから、儀式的なものこそ、人間の資質が問われる場面だと私は思う。
だが、この様な場面こそ形式にとらわれないと、違和感を持たれるのが落ちだ。
なぞ掛けだ。
「卒業式とかけて、オナラととく。その心は、コウモンから出て、サヨ・オナラ」。くだらないが、思いっきり笑ってしまう。
卒業式の来賓の挨拶に、このような挨拶から始まったら、会場がどんなになるのか想像してみただけで楽しくなる。
「死んでしまいたい」という老人の真面目な問いかけに、どんな対処をするか、これからじっくり考えてみたいものだ。
超高齢化時代を迎え、町会長の仕事の大部分は老人対策だ。
「あのよ!この世とは、笑えるところだよ」なんて、今日一日に笑いがある、そんな町会にしたいものだ。
と、今日のブログを妻に読んで聞かせたら、妻からこんな標語が返ってきた。
「今死ぬな、近所に迷惑掛かるから」・・・似た者夫婦とは、よく言ったものだ。