函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

社会教育

2014年03月13日 12時51分33秒 | えいこう語る
「社会」とは何か「教育」とはなにかと問われても、答えに窮する。
社会=人間が集まって共同生活する際に、人々の関係の総体が一つの輪郭をもって現れる場合の、その集団。
   自然的に発生したものと、利害目的などに基づいて人為的に作られたものとがある。家族・ギルド・教会・社会・政党・階級・国家などが主要な形態。

教育=人間に他から意図をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動。「広辞苑」。

私はこの意味を、今まであまり意識することもなくことなく生きて
きた。しかし、4月から「函館市社会教育委員」に、任命されるか
もしれないのだ。
ちょっぴり不安になってきたので、「国民」とはなにかも調べてみた。

国民=国家の統治の下にある人民。国権に服する地位では国民、国政にあずかる地位では公民または市民と呼ばれる。「広辞苑」。

なんだか、今一よく理解できない感じだ。
この頃考えるに、というよりもっと以前からだが、私は日本語の意
味をよく理解しないまま生きたような気がする。
今まで生きてきて「だまされる」という時は、よく物事を理解して
いないからだ。
※3:12の朝。一直線に走る横雲。地震雲かと思い妻を起こした。


アベ総理は、憲法を「不磨の大典」ではないという。古くて現状に即しなければ、改正しようという。
時代は変化する。社会状況に適さなくなるものもたくさん出てくる。
人間だって老人になり、やがてはボケる。と我が身をふり返って、そうかもと思うが、待てよと、日本国憲法前文と第九条を読み返してみる。
私はこの内容は正しいと思う。永久に変えるべきではないと思う。
私の理解がたぶん正常で、アベ総理の解釈は憲法違反だ。アベ総理の解釈は、解釈を曲げて、だまそうとしているだけだ。
軍国主義教育を受けた人たちの記憶力はすごい。
大正生まれの私の母は、歴代の天皇の名を、まるで歌でも歌うように私に聞かせたものだ。
兵隊さんは「戦陣訓」を、顔がゆがむほど叩かれて覚えさせられたという。
だから異常だと思われることでも、習慣付けられれば正常だと思い込まされるのだ。

ふり返って、戦後教育を受けた私の場合を、思い出してみる。
「憲法第九条は大切だ」というぐらいにしか、教えられていないような気がする。
もし、6・3制教育で、毎日の朝礼に「憲法前文と九条」を唱和させられていたら、今のアベ政権のような、急激な改憲の動きは出来なかったはずだ。
日本国民の多くは「日本国憲法」を、よく理解していないのではないだろうか。

3:11以降「国土強靭化政策」なるものに紛れ込み、戦う国にするための「憲法改正」が、何の恥じらいもなく跋扈し始める。
さらに、戦後の日本にとって「民主主義は悪ではないか」という声まで出始めている。
簡単に言えば、アベ政権下で「民主主義の危機」が迫っているようだ。
では「民主主義」とはと尋ねられても、相手を納得させるまでの能力など持ち合わせていない。
函館市民の憲法と呼ばれる「函館市自治基本条例」には、まちづくりは「市民が主役」とある。
どうやらこれが、民主主義の実態らしい。
私はこの程度の理解力で、4月から「函館市社会教育委員」の末席をあてがわれるようだが、いまだに委嘱状が届いていない。
もしかして、推薦者の中の私の名が、黒く塗られていたりして。