函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

3:11と総原価方式

2014年03月11日 09時34分12秒 | えいこう語る
東日本大震災から、3年が経った。
あの年は、我が家も畳みサイズほどの地デジテレビに入れ替わった。
この世のものとも思われぬ光景が、画像の鮮明な大型画面に映し出される。
私はその後、ほぼ半年にわたり肉体と精神がばらばらになり、自己喪失ともいえる虚脱感に陥ったことを記憶している。
記憶は歳月と共に鮮明さを失う。忘れてしまいたいという心も、生きていく中では、否定するものではない。
被災した人たちの心情に、私たちは想像でしか添えることは出来ない。
自然災害なら、事が収まれば立ち直ることが出来るだろうが、福島第一原発事故により、魂の落ち着く場所を奪われた「故郷喪失状態」の人々の苦悩は、計り知れない。
※身を切られるような寒さの中、養殖コンブの間引き作業。ふと三陸沖の養殖を考えてしまう。


復興も遅いようだ。そればかりか復興費の流用など、この国の役人や政治家には「火事場泥棒」もいる。
原発事故で驚いたのは、電力会社の「総原価方式」だ。
電力会社が存続するためのあらゆる経費が、電気料金に含まれているという。
赤字になればその補填として、電気料金に加算する。
こんな都合のいいシステムの会社がこの世にあったなど、まるで私たちは知らなかった。
むしろ、文明を支える電気を供給する会社として、ありがたい気持ちで支持していたのだ。
電力会社は「永遠に不滅」の会社なのだ。
翻って、我が日本。
1千兆円を越える世界有数の借金を抱えても、倒産の声は聞こえてこない。それどころか、莫大なお金を使う軍隊を作り、武器を輸出しようとさえしている。
借金はというと、国民から広く徴収しようとする「消費税方式」を次々に導入しようとしている。
「総原価方式」と「消費税方式」。これは、支払いの責任を国民に押し付け、自らの責任は省みない、無責任体質の方式ではないか。
「国民総責任制度」だ。
いやといえないこの制度は「徴兵制度」と酷似している。
3:11が、私たち国民に問うたものは「進化し続ける物質文明社会」への、検証だったのではないか。
宇宙で唯一、生命が宿る地球を与えたくれた神。
その存在を疎かにした近代科学。
人類自らの手で作り上げたエネルギーが、地球を滅ぼすのだろうか。
いみじくも発見した科学者が、その巨大な能力ゆえ、名付けたのが「プルトニウム」だ。
冥王星=プルトーから命名したものだ。
「冥土の王」とは、すなわち「地獄の王」だ。
それは,やがて長崎に原爆となって落とされ、そして、今建設中の大間原発に燃料として搬入される。
人間とは何かを考えさせられる、3年目を迎えた東日本大震災だ。


孤立する日本

2014年03月11日 09時24分38秒 | えいこう語る
日曜放送の「たかじんのそこまで言って委員会」を観た。
「東京大虐殺は本当に大虐殺だ」というテーマで、作家・百田尚樹の、先の戦争に対する自己主張が炸裂した。
よく田舎の会議などで、大声で主張した方がその場の雰囲気を圧倒し有利になる、そんな会議を傍聴した感じだ。
百田の主張はこうだ。
「ヒロシマ・ナガサキ・東京大空襲」。数十万の無差別殺人を繰り返したのを棚上げし「東京裁判」を行った。
戦争に負けた日本に一方的に罪を押し付け、自分たちの罪をカモフラージュするのが「東京裁判」だという。
この主張に対し「理解を示す」か「示さない」かを、ゲスト参加者に尋ねる。
この主張だけなら、私だって「理解を示す」だ。
東京裁判の公平性については疑問が残る。しかし、ある一定の決着をつけなければならない。その場合、勝者の論理で処理するのは致し方ない。
もし日本が戦勝国なら、どんな裁判になるだろうか。
当時の軍部なら、関係者一人残らず、処罰することになりはしないだろうか。
※ガラパゴスオオガメ岩のある隣の町。


だが、戦勝国側も様々な思惑が働き「大元帥閣下」の延命を図ったのだ。
百田の主張は,今まで日本人が自らの倫理観で、声高に主張することをタブー視されていた「米国の大虐殺」を、いとも簡単に堰を切ってみせたのだ。
その倫理観を、百田は「自虐史観」だと罵倒する。400万部という、超ベストセラー作家の進軍ラッパはやむことを知らない。
米国としての反応はどうだろうか。
「それを言っちゃ、何もかもお仕舞よ」という感じではないだろうか。
「ベトナム戦争」「イラク戦争」などでの、米軍の虐殺行為も裁かれることになるのだ。
もしかして、第二次世界大戦後の世界の大犯罪者は、米国ではないかといわんばかりの勢いだ。
百田の主張は間違いではない。だがこの論争の根底に「憲法第九条」が欠けている。
なぜ「九条」が存在しているのか。
第三次世界大戦を起こしてはならないという、人類の理想がこの憲法に集約されていると私は解するからだ。
百田の主張の背後には,アベ総理がすすめる「憲法改正」「国防軍の創設」が見えてくる。
国益を守り、日本の精神文化を守るためには「戦える国」にしなければいけないという、強烈な主張だ。
周辺国との関係がとげとげしくなり、兄貴分の米国との仲も冷え切ってくるのもいとわないという、傍若無人さだ。
孤立した国はどうなるか。それは、太平洋戦争で日本が歩んだ道ではないか。
さらにいいお手本は、現在の北朝鮮だ。
アジアに仲間を増やすため、世界一高性能だという原発を売り込み、さらにODA の援助。
表面的な「援助交際?」では、真の国際関係は築けない。
本も売れ「金は腐るほどある」と豪語し、NHK放送委員としての発言力をアベ総理から許可され、まるで外交問題を漫才のようなレベルで、絶好調に語る百田だ。
檻から放たれた「つるっぱげ野獣」が、首都で吼えまくっている。
この野獣には、やはり「百叩きの刑」だ。
だが反論するだろう。「憲法第21条・表現の自由」違反だと。
番組が終了し、たかじんの口にチャックが閉じられていた画像が映った。
「そこまで言って委員会」とは、よく名付けたものだ。
こんな議論、籾井会長のNHKで放送してもらいたいものだ。